人の才能や適性、潜在力や将来的な可能性など、
的確に見抜くのは至難の業よね。
相当にその道を極めたはずの人でも、見誤る。
10年前、今日の大谷翔平の姿を、
相当にその道を極めたはずの人でも、見誤る。
10年前、今日の大谷翔平の姿を、
果たして何人の専門家や評論家が予想したろうか。
わずかに落合だけが理解を示した程度で、
あとは異口同音に無理だ無謀だ舐めてる思い上がるなの大合唱だったかと。
プロ中のプロでさえ、自分の経験を超えては判断できない。
野茂やイチローも通用しないとかボロクソ言われてた。
そう、人は自分の器を超えて正しく他者を評価することなどできない。
挑戦するものを批判したがるのは、
挑戦しなかった自分を正当化するためかもしれない。
超一流の経験と実績を持つ専門家や評論家ですら、
超一流の経験と実績を持つ専門家や評論家ですら、
そうした人間のサガ、バイアスから逃れられない。
いわんや、たかが一介の塾講師が(学校の教員が、部活の顧問が、会社の上司が、親が)、
子供や生徒や部下の将来性を見抜くことなどとてもとても。
偉そうに人物評価なんか語ってるの見ると、恥ずかしくなっちゃう。
見誤ったところで責任を取るわけでなし、
ていうか取ることなどできないのだから、
指導者としては可能性を限定したり、本人の意欲を削る方向ではなく、
応援することをデフォとした方が良い…というか無難なんだろうなあ。
思えば僕は割とそういう大人たちとの出会いに恵まれていたかもしれない。
父は不在だったが母はそうだったし、高校の担任もそうだった。
過不足は指摘しつつ、僕の向かおうとする方向を否定することはしなかった。
いつでも背中を押してくれた。
まあ、その成れの果てがこの体たらくなので、
なんだか申し訳ないような気持ちもするが。
僕もまた、夢を語る子供たちを前に、
「なんでも誰でも、やりたければとことんやればいいよ、ガンバレ!」
…と気持ちよく言える先生であり父親でありたい。
「なんでも誰でも、やりたければとことんやればいいよ、ガンバレ!」
…と気持ちよく言える先生であり父親でありたい。
恩送りのようなものだろうか。
しかし、メジャーのダブルヘッダーで、
1試合目完封の後、2試合目で二発だってよ。
規格外すぎるわ。
こんなん、予想できるか!