いぶろぐ

3割打者の凡打率は7割。そんなブログ。

8年間疲れたのはこっちだよ

2020-08-29 13:54:02 | この国の憂鬱
お疲れさま、ねえ………。
やるべきことをやった人にはそう言ってあげたいけれど。
やりたい放題、壊したい放題のまま、またもや投げ出した権力者にまでも、
そんなこと言う必要あるかな?

それにしても日本人は甘いよねえ。
戦後もそうだったけど、責任をとことん曖昧にする。
病気で辞めたらもう免罪ですか?あり得ないよ。
仮病だとまでは言わないが、病気であることを巧く口実にして、
どうにもならない問題山積で投げ出したというのが実情だろう。
世の中がコロナ拡大で大変なときに、
国会も会見も開かず2ヶ月も頬被りしていたことを言い逃れるには、
「病気」しかない。相変わらず幼児並みの発想だ。

それでもタテマエがまかり通り、
病気となると変に判官贔屓モードが発動する日本では、
これ以上追及しようとする側ばかりが叩かれるんだろうなあ。
たとえ病人であろうと、退陣しようと、相手は権力者。
検証と追及の手は緩めてはいけない。

「功罪半ばする政権」だなんて、大甘過ぎる評価だよね。
散々大風呂敷広げて、何も前向きな結果は残せていない。
拉致は無策なまま未解決、ロシアにはカネも北方領土も持っていかれ、
経済は嘘と捏造とごまかし、社会の格差は拡大する一方で、
反知性主義と国粋主義が蔓延。
差別と対立ばかりが煽られて、国民は分断。
僕にはこの政権の罪しか思い浮かばないんですが。

「ある程度やってる感」の演出に長けていたこの政権の長期化は、
「臭い物に蓋をした安定」や「現状維持ができているという幻想」を
有権者が求めた結果なのかもしれないとは思う。
安倍政権はある意味それに応えることが、
政権維持にはベストなんだと割り切り続けただけだともいえる。

だから、有権者が変わらないままの今回の辞任劇は
けっして手放しで肯定できるようなものじゃないし、
野党もふがいないままの現状では、
安倍辞任だけですべてよくなるなんて到底思えない。
とにかく今後が心配。
知恵足らずで脇の甘かった安倍よりも、もっと狡猾な人間が、
安倍の負のレガシーをフル活用すると恐ろしいことになる。

第一次政権から安倍嫌いを標榜してきた僕だが、
辞任表明に至ったいまも、そしてこれからも、
その欺瞞に満ちた在り様は徹底的に批判していくつもりだ。
病気なんか関係ない。
そのことでたとえ友達が10分の1に減ったって構わない。
安倍を支持できるような人間なんて、
その半数は根拠なくイメージだけで判断する空っぽ人間だし、
残る半分のメンタリティはつまるところ差別とパワハラ。
もともと僕とは水と油、相性最悪だ。
無理して友達でいてもらう必要なんかない。

そういえば、誰だか知らないけれど、Twitterでは
「体調不良が事実だとしても、それを隠してでも任期を全うしようとするのが一国のトップのあるべき姿だと思う」
なんてこと言ってる人、いるんだよねえ。
大坂なおみのボイコット批判の時もこういうのよく見かけたけど、
なんで日本ではこういうの(命<立場)がウケるんだろな。
こういうメンタリティが嫌いなのよ。
僕は安倍は大嫌いだけど、健康問題を理由に辞める、
そのこと自体は別に何も問題ないし、
批判の対象にすべきことでもないと思うけれど。
もっとも、本当にそれが理由なら、だけど。



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一寸の僕にも五分の矜持

2020-08-29 00:54:38 | せんせいとよばれて
偏差値や学歴、学校の勉強だけが全てではないし、
子供にもいろんな個性があるし、
知識をいたずらに詰め込むことよりも、
自分で考えて表現する本質的な学びこそが大事。

子供が自分の足で立ち、生き抜く力を身につけるためにも、
大人が過度に干渉するのはよくない。
どんな子供も得手不得手、長短両所があるので、
成績だけじゃなく長い目で見ましょうよ。

…というのは17年間この世界でメシ喰ってきた僕の、
多くの生徒や卒業生のその後を見てきた上での偽らざる本音。
実感に満ち満ちた、本音中の本音。

こう言うと、不特定多数への一般論としては、
ほとんどの親御さんに賛成してもらえるんだけど、
それでも我が子のこととなると難しいようで、
よほど聡明な保護者でも、どうしても近視眼的になってしまいがち。
言葉の上ではオブラートに包んでいても、
とにかくひとつでも「上」の学校に入れてくれ、
いますぐ成績を上げてくれ、なんていうのもヒシヒシと感じる。

親というのはそういうもの、かもしれないが、そればかりとも言えず。
親たちがかつてそういう価値観の下に育ってきたからでもあるだろう。
自分の経験を完全に離れて価値判断することは至難の業だ。

いよいよ切羽詰まってくると、
「理想論はいいから」
「目の前の結果に繋がる話を」
ということにもなる。
んで、満足のいく回答(即効性のあるドーピング)が得られないと、
じゃあよそへ行きますねということにも。

こういうとき僕は、過剰なサービスやナイショの特約を提示してまで、
顧客を引き留めるべきかということをいつも考える。
営業優先・売上維持なら、一も二もなくそうすべきなんだろう。
でも僕は、これまでずっと正論を歪めずに、阿ることもせず、
去る者は追わずでやって来た。
それでも何とか喰ってこられてるところを見ると、
間違った判断でもなかったようだ。

そりゃあもちろん学力向上を請け負う学習塾として、
顧客の期待、即ち成績を上げて志望校に受かるように持っていくべきなのは、
ゴマカしようのないところだ。

でもねえ…。
大人の都合や損得勘定だけで、一度しかない子供の大事な時期を、
不毛な点とり競争だけに費やさせていいものかどうか。
どうしても僕はここが引っかかってしまう。

まあ、こういう蒼臭いこと言ってると、大きくはなれないかもね。
ビジネスとしては甘いとか言われるんだろうな。
でも、あんまりそこには価値を置いてないんだよね…。
僕らは僕らで矜持を持ってベストの仕事をしてるんで、
見る人が見ていてくれて、共感した人が来てくれて、
生徒たちが明るい表情で教室に通ってくれて、
それでいて職員みんながちゃんとメシ食える程度にやれてれば、
それでいいんだよね。

人はパンのみにて生くるものに非ず。
雇ってもらいさえすればどこでもできる塾屋商売を、
敢えて自分で旗揚げしたんだから、
創業当時の理想とか理念というのは色あせないよう大事にもっていたいよな。
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