いぶろぐ

3割打者の凡打率は7割。そんなブログ。

コロナ後の世界

2020-05-05 04:54:19 | 超・いぶたろう日記
「コロナ後の世界」を予測しようたって、無理だよね。
あんまり地味な予想だと注目されないもんで、耳目を惹くためなんだろうけど、
やたら派手にポジティブかネガティブかの両極端ばかり。
思いつく限りを口にして、どれかひとつでも当たれば、
鋭い感性だの先見性だのがあったなんてことにするんだろうなあ。
自分の箔付けを目的としたハッタリ未来予測なんかより、
地に足ついたレベルでこういう未来が来ると好いなあという
個人的願望を集めた方が、案外に当たるんじゃないだろうか。

僕個人としては、とにかくこれで
「別に無理にやらなくてもまったく害がなかった形式的なあれやこれ」
への認識が深まるといいなあと思っている。
別に会社に行かなくても、満員電車に揺られなくても、
都心近くに居を構えなくても、対面営業やリアル会議にこだわらなくても、
ハンコなんかなくても、学校なんかいつからいつまで行こうと行くまいと、
全然OKじゃん。

やりたいことはやろうと思えばできるし、
遅いとか遅れてるとかいうことは全然ないし、
別にメンドクサイ何かを省略したところで、
いうほど相手は失礼だなんて思ってないし、
(むしろ自分に対して失礼だと喚くヤツの方がずっと失礼だ)、
もっと個人にアジャストした色んなスタイルがあっていい、というところ。

まあ、そういうと集団指導の学習塾なんて、真っ先に切られちゃうかもしれないんだけど(笑)。

反面で「アナログでリアルだからこその良さ」も見直されるとバランスいいね。
どちらかに偏るのではなく、個人の感覚や嗜好で柔軟に使い分けられないものかと。

2ヶ月というのはこれまでの当たり前を色々と見直すには充分な時間に思う。
「こうでなきゃいけない」という思考停止を問答無用で一律に強いられる、
その圧力が強すぎることが日本社会の抱えた根深いストレスのような気がするよ。
それを「大人だから」「社会人だから」なんて誤魔化して、
みんなでやせ我慢しちゃってる。
時にそれをさも社会的良識でもあるかのように押しつけ合ったりもしている
(自分だけがガマンするのはシャクだ、というだけなのにね)。
そこにみんなが気がついて、
ちょっとずつ「理不尽な当たり前」をズルズルとなし崩しにしていけるといいなあと思う。

改革は苦手でも、なし崩しなら得意じゃないか、日本。

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