いぶろぐ

3割打者の凡打率は7割。そんなブログ。

居場所

2015-08-21 01:58:21 | 超・いぶたろう日記
身近に小中学生をたくさん教えていると、だんだん情が移る。
何年も教えてるとみんな親戚の子みたいに思えてくる。
だから同じくらいの年頃の子が、
残虐な事件や悲惨な事故の犠牲者になったりすると、
どうしたって教え子たちの顔が浮かぶ。
するとやはり、どうにも許せなくなる。

何年か教えただけでもこうなのだから、
親御さんのお気持ちはいかばかりかと思う。

…はずなんだけど。

今回の事件は周囲の大人次第で防げたはずだ。
そこがどうにもやるせない。

かたや夜9時に外出する12歳の息子を止めない親。
かたや外泊常連で帰ってこない娘を放任し、
事件に巻き込まれてなお気づかず捜索願の遅れた親。
事後に彼らばかりを責めても仕方ないし、
そのつもりもないけれど、ちょっと理解は難しい。

ワイドショーではいつものごとく、
被害者は「明るくて」「人気者で」「どうしてこんな事件に巻き込まれたのかわからない」
なんて紋切り型だ。
でも、背景にはどうも複雑な家庭環境があったようで、同情に堪えない。
ネットでは一方的に不良扱いする心ない声もあったりして、
でもきっと環境ひとつ違えば普通の子だっただろうなと思う。

今回の事件は結果を見ても、経過を考えても、
不運などではなく明らかに親の監督責任放棄と、
子供の(自由に行動できるだけの)資質不足だと思う。
子供を自由にさせるには相応の教育や、前提を身につけさせないと。
積極的な意味での自由・自主・自律と、消極的な意味での勝手放任とは、違う。

せめて、彼女に安心できる居場所があったなら、なあ。
昔は隣近所のおばさんだったり、親戚だったり、
親とぶつかってもどこかに避難所があったものだが。

「塾」がそれに代わる役割をいくらかでも担えないものか。
真夜中にあてもなく徘徊なんかしなくたって、
僕の教室に来てくれれば、話ぐらいいくらでも聞いてやるのだが。