いぶろぐ

3割打者の凡打率は7割。そんなブログ。

本当のことを言うと…

2011-09-09 00:47:02 | 超・いぶたろう日記
死の街を死の街と言ったら、ぼっこぼこに叩かれるそうだ。
さすが。言霊の国。
じゃあ、誰があそこで生きていけるんですか。
セシウムもストロンチウムもプルトニウムまでもが舞い散ってて。
そこに住んでた人々が可哀想?何言ってんだか。
誰が彼らの土地を死の街に変えたんですか。
正直に感想漏らした人間が悪いわけ?それは違うんじゃ。

最悪の状況を認めないからこそ、すべてが後手後手に回るんでしょう。
最悪の状況を認めないからこそ、子どもを危険にさらしているんでしょう。
除染(これ変換できないくらい一般的な言葉じゃなかったのにね)だ復興だって、
カンタンに言いますけどね、どれほど大変なことかって。
「がんばろう」とか「分かち合おう」とか、美しい言葉ばかりにこだわって、
その意味しているところは何?
放射能で汚染されたものを文句言わずに黙って食い、
放射能で汚染されたがれきを全国で燃やして拡散し、
日本全国放射能で汚染させて、みんなで仲良く早死にすることなんですかね。

ねえ、それよりさあ。
3月以降ウソばっかついて、隠し事ばっかしてる新聞、テレビ、
アンタたちこそよっぽど極悪人じゃないの。
ぽろっとクチ滑らした政治家をねちねち叩くだけが社会の木鐸の仕事なの。

死の街だよ。
福島第一原発周辺は死の街だ。
あそこに住んでいた人は気の毒だけど、あきらめてもらうしかないと思うよ。
気持ちは解るけど、どうしようもない。
あの土地に何千億円もかけて除染するよりは、
あそこだけに封じ込めて、どうにか被害の拡散を防ぐ、それしかない。
腕一本切り落とすことをためらって、命を落とすことはない。
いや、福島が些末だと言っているのじゃない、
例え命を長らえたって、腕一本切り落とすのは相当のことだ。
しかし、こういう時こそ、受け容れるべきものは受け容れなければならないのでは。

「死の街」という表現に反発するよりも、その事実を受け容れて、
そんな事実を招いた(ことをきちんと認めようとしない)国を、東電を追及していくべきだし、
そして何より新しい土地で少しでも幸せに生きていくことを考えなければ。

僕はそう思うが。
Comments (2)
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