いぶろぐ

3割打者の凡打率は7割。そんなブログ。

人はパンのみに生くるに非ず

2006-01-25 03:57:09 | 似非哲学の部屋
お金があるのはいいことだ。
僕だってお金は嫌いじゃない。むしろ、好きだ。
欲しい物が何でも買えるとか、働かなくていいとか、
どうにも人間がダメになりそうなキーワードがちらついてしまいがちだけど、
あったらあったでいいと思う。
気持ちにも時間にもゆとりが出来る。
細かいことにあくせくしなくなる。
金持ちケンカせず、というが、小さいことで腹を立てなくなる。
なんだか人間が大きくなったような錯覚を覚える(あくまで錯覚なんだが)。
周囲にどう映るかさえ気にしなければ、金持ちで困ることはない。
本当の友達とお金目当ての取り巻きとの区別がつかなくなるくらいで。
僕だって、お金がいっぱいあればいいなあとは思う。

だけど、お金が目的になるような人生はイヤだ。
お金がいくらあったって、それを遣う時間も目的も歓びも無い人生なら、
結局はゆとりも何もあったもんじゃない。
まだ、貧しい中で知恵を絞って、小さな歓びの中にあった方が、
生きている実感にあふれている。
お金のために人を傷つけたり、裏切ったり、騙したり、
お金で人を買ったり、売ったり、
お金を執拗に追いかけたり、お金に死の淵まで追われたり、
そういうのは、イヤだ。
欲望のままに、がっついている自分の姿ほど嫌なものはない。
カネでもオンナでもチカラでも。
欲望は満たしきってしまえば、虚無感しか残らない。
すり切れた心に残るものが恥だけだなんて、あまりにも空しい。

お金では買えない物もあると、なんだか得意げに言う人がいる。
でも、愛も夢も結局は欲だ。心だってお金の前に揺れ動く。
お金は万能とまでは言えないにしても、もっとも公平な力の尺度だ。
だからお金だけは信じられるという人がいる。

けれど、お金なんてタダの数字だ。
お金だけが目的で、ひたすらにそれを追い求め、蓄積するだけなら、
ゲームの点数と同じで何の意味もない。
100億と1000億の違いなんて、あるようでないようなもんだ。
お金はそれを生かした使い方をしてこそ、意味がある。
ため込んでおくだけならばお金もまた、水面に映る月影みたいなものだ。
テストで満点を取ったって、一位を取ったって、
合格点さえ超えてしまえば皆同じこと。
大切なのはそこから先をどう活かせるか、だ。

そんなこと考えたこともないだろう。
自分よりも下位の人々を見下して、征服した気でいただろう。
本当は空っぽな自分の心を、数字で埋め尽くし、守り、正当化し、
物欲の具現化と無鉄砲な言動とで飾り立て、
金色夜叉を気取るしかなかったのだろう。

額に汗してクソ真面目に働くだけが人生ではない。
アタマの遣いようでうまいことやり抜く生き方もありだ。
世の中は勝ったヤツの勝ちだ。
くだらないルールを振りかざすのはやっぱりくだらない人々で、
嫉妬と正義感と憂さ晴らしと不公平感とが入り交じった凡人の愚痴は、
やはり聞くにたえない愚かなものばかりだ。
それは僕もそう思う。

けれど、勝者は勝者に相応しいだけの理想を抱いていなければ。
理想を追うウチに見失い、気づけば理想に追われていた、
そんなのもよくある話で。

人は金がなければ生きていけないが、金だけに生きるものでもない。
仕事は金のためにするものだが、金だけのためにする仕事は心が晴れない。
僕は金のみに生くるに非ず。
金は手段であって目的ではない。

僕は、そう思うよ。ホリエモンくん。
Comments (3)
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