いぶろぐ

3割打者の凡打率は7割。そんなブログ。

テレビがみんなをバカにした

2002-11-09 03:02:18 | 似非哲学の部屋
Rebirthのリハスケジュールが変更になり、
今までリハに入っていた水曜日の午後が自由になった。

平日の夕方に家にいるのは久しぶりだ。
さりとてするべきこともなく、何となく日は暮れて…
いや、ほんとはいっぱいあるんだけど。
今から12月のライブシリーズ突入まで、
残された創作時間はわずかだ。
何度か触れてはいるが新曲は目白押し。
イサキ君のが1曲、シュンスケのが4曲。
ここにさらにジュンイチも新作を持ってくるらしい。
それらに詞を書かねばならない。

詞というのは実にやっかいなもので、
うかつなことを書くと、そのうかつっぷりがもろに出てしまう。
そういう歌詞はあとあと死ぬほど後悔すること請け合いだし、
せっかくいいメロディやかっこいいバックが出来ていても、
歌いたくないな~なんてことにもなりかねないので、
歌詞はいつも時間をかけ、慎重に紡ぎ上げることにしているのだ。

テーマが決まれば早いのだが、これが決まるまでが大変。
本を読んだり、映画を観たり、CD聴きまくったり…。
みんなからメールで寄せられるあの作品が良かったとか、
そういうのを参考にすることも多いし、
直接のお悩み相談などから着想することも多い。
また、意外なトコに落ちていることも多いので、
何とも手につかないときはぼーっとテレビを眺めることも。
そんなわけで久々に平日の夕方、部屋でテレビをつけた。
こんな時間に家でテレビを見てることなんてほとんどなく、
大抵スタジオリハ後の深夜番組か、夜勤後の朝のワイドショーだったから、
ゴールデンタイムの番組を見られるのが楽しみだったのだ。

だが。しかし。
テレビってこんなつまんなかったっけ???

びっくりした。あまりのくだらなさに。
あまりの程度の低さに。
出演者が、発言の内容がどうこうというレベルじゃない。
企画自体からしてもう"childish trick"(子供だまし)以外の何でもないのだ。
前もってやらせで収録され、編集されたVTRを垂れ流すだけ。
その番組に誰が出てるかなんて関係なし。
無難なコメントやありきたりなボケをかますだけ。
しかもそのいちいちにご丁寧にも字幕がついてまわる。
みんな日本語喋ってんだぜ?
音消しても何言ってるかわかるほど、殆ど全ての発言に字幕付き。
何の必要があってそんなことしてんだ?
視聴者をバカにしてるか(まあ実際番組内容をいちいち真に受けてテレビ局にわざわざクレームつける奴はバカだけど)、
さあ、ここが笑うとこなんですよお、と指示されてるみたいで不愉快だ。

チャンネルを変える。
ドラマは学芸会みたいで白けるだけだから見ない。
だってどんな名作もキャスティングで台無しだもの。
日本のドラマは演技力や作品の世界観丸無視で、
人気と事務所の強さだけで配役されるからなあ。
それが素人にまで透けて見えちゃうところからしてダメだよな。
「アルジャーノンに花束を」なんて俺昔から大好きだったのに、
あんな安っぽいドラマにされちゃあ恥ずかしくて電車の中で読めないよ。
菅野美穂もユースケサンタマリアも別に嫌いじゃないけどさ、
所詮はタレントの域を出ない、本物の俳優じゃねえからな。
演技力のなさはどうしようもない。
何の役をやっても劇中の人物ではなくそのタレントにしか見えないというのがその証拠。
反町隆史のやった信長なんて寒すぎて凍死するかと思った。
その点ロビンウイリアムスなんてすごいぜ。
どんな役にもびしっとはまりこむもんな。
「レナードの朝」「いまを生きる」「ミセスダウト」「パッチアダムス」、
全部全く違うキャラだけど同じ人物が演じてるとは思えないもんな。
日本で言うと西田敏行とかがそうかな。
田村正和は持ちキャラ一つしかないけど、
それをどのドラマでも活かしてるからプロだと思う。

さて、チャンネルを変えていく。
出ました、俺の最も嫌いな恋愛企画もの。
それまでの波瀾万丈を超えていよいよ今夜は、
このカップルが成立するかどうかの瀬戸際だという。
イスラム過激派の連中に言っておきたいが、
アカの他人の恋愛の成否を固唾をのんで心配するような国、
テロ起こしてもしょうがねえぞ。

先週までの回想シーンが続く。
「ナオキの優しさに触れたあの時…」
画面ではキャンプ場だかどっかの野原で摘んできた花を女に渡す男。
みんなに問う。

それ、優しさか?

野で一生懸命に咲いている花を自分の都合でむしり取って、
惚れた女に手渡して悦に入っている男は優しいのか?
花といえども一つの命、摘まれる痛みを考えもしない、
そう言う男はきっと女の気持ちも解ろうともしないで、
てめえの勝手な理屈でやりたい放題やるぞきっと。
俺は寂しかったんだ、疲れたんだとか言いながら浮気するぜ。
酒飲んで暴れるぜ。
嫁入り道具売っ払って競馬行くぜ。

「君のためにニワトリしめてきたよ…」
「君のために牛一頭さばいてきたよ…」

そういってまだナマ暖かい死体を渡されたらどうだ?

「おいしそう!!私のために?!ありがとう!やさし~んだぁ~?」

とかって、コロッとまいっちゃうわけ?
同じ事なんだけどなあ。

やたらと陳腐な「優しさ」「感動」「愛」「勇気」を振りかざすのが本当に鼻につく。
安っぽいことこの上ない。
本当の「優しさ」ってのは、特定の相手だけじゃなくて、
周りの全てに思いやりをもつことだ。
本当の「感動」というのは心が自然に震えることだ。
本当の「愛」ってのは必ずついてまわる醜い面をも塗りつぶさない、ごまかさない。
本当の「勇気」というのは退くべき時に退けることだ。

ちゃらちゃらと言葉だけで相手を褒めそやしてご機嫌をとるのは「優しさ」じゃないし、
病気の子供や戦災孤児に対する無力な形だけの同情に「感動」を覚えるのは難しい。
相手に対する単なる欲望を「愛」と言い換えていいのなら、
ストーカーの連中は実に「愛」の深い人種だし、
スポーツの感想代わりにとりあえずその場しのぎで言う「勇気」は商売道具だ。

はっきり言おう。使い古された表現ではあるが。

テレビばかり見てるとバカになるぞ。
ほんとのほんとにバカになるぞ。

まだゲームやってた方が頭使えるぞ。
よっぽどそこらのバンドの方が面白いことやってるぞ。

深いため息のあと、テレビのスイッチを切った。
こういうテレビ番組のような人間にはなりたくないなあと、
心から思った。
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