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真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「悩殺業務命令 いやらしシェアハウス」(2019/制作:ナベシネマ/提供:オーピー映画/監督:渡邊元嗣/脚本:山崎浩治/撮影 照明:小山田勝治/録音:小林徹哉/編集:酒井正次/助監督:小関裕次郎/演出部応援:赤羽一真/撮影助手:山川邦顕・高橋広海・渡辺晃己/現場応援:鎌田一利/合成:飯岡聖英/スチール:本田あきら/選曲:徳永由紀子/MA:Bias Technologist/仕上げ:東映ラボ・テック/カラリスト:如月生雄・やよいあい/出演:生田みく・原美織・ケイチャン・可児正光・美咲結衣)。何気に驚異のピンク戦歴―これまで―全六作継続した、美咲結衣のパーマネント二番手が遂に途切れる衝撃に泡を吹きかけたが、寧ろ前作が形式上ビリングの二人目に名前が載るといふだけで、実質的にはトメに座る今作の方が矢張り、あるいは歴然とした二番手である。
 新東宝旧ロゴ壁紙みたいな背景に、銀色の大体スポーツブラとホットパンツ、頭にはハートの触覚?の生えたヘアバンドを載せた八雲花恋(生田)が「ハーイ!」と元気よく飛び込んで来る。花恋の祖母が、令和生れといふくらゐの近未来。素頓狂な扮装は当代のモードらしい劇中世界は、人類が単純労働をロボットと人工知能に行はせる理想郷、全く以て素晴らしい。藪から棒でしかないが当サイトは改憲論に決然と与する、非人道的極まりない第二十七条一項を即刻削除すべきである。二項と三項は、それでも働きたがるかも知れない病的な物好きか、主体性の希薄な暇人のために残しておけばいゝ。完全無欠の閑話休題、にも関らず、「AI任せぢやつまんない!」と頭のおかしな不平を垂れ『モテ本!』なる色恋マニュアルの小―さくない―冊子を取り出した花恋は、令和の町並を遺したレトロ地区に、同じく令和のビンテージ・ファッション―と称した私服―で現れる。なかなか秀逸なのか開き直つた力技なのか、よく判らない方便ではある。いらすとやを使用した「お見合ひシェアハウス」の看板の掲げられた一軒家に辿り着いた花恋が、「ゴキゲンだね☆」と親指を立てるとキラーンと音効が鳴り、空にパンしてタイトル・イン。初陣にして工藤雅典の電撃大蔵上陸作「師匠の女将さん いぢりいぢられ」(2018/共同脚本:橘満八/主演:並木塔子)三番手から二階級特進した主演女優が、何か顔が変つたやうに映るのは気の所為か。
 わざわざ一軒家を用立てた割に、シェアハウスの参加者は花恋と、背広で二十世紀のサラリーマンを意識した桐島平田(ケイチャン)の二人きり。花恋に対し桐島が覚えた、以前に会つたやうな謎の疑問を遮るかの如く、シェアハウスの企画者で、「スター・プリンス」社の社長・草壁冴子(美咲)がホログラフで登場。この人の格好は、緩めのサンタコス風に猫耳。冴子と目配せを交す花恋が実は、開発部所属のスター・プリンス社員。かつ桐島は自らが人間である記憶を埋め込まれた、スタプリ社主力商品たる人工知能搭載のヒューマノイド。自律思考可能な新型にヒューマノイドをアップデートする一貫で、スタプリ社は恋愛機能の実装を目指してゐた。とかいふ次第でシェアハウスを通して霧島を恋の虜にする、要はオトせといふのが、希望した―けれど社内選考に落ちた―開発チームへの参加と特別ボーナスを成功報酬に、花恋が社長から直々に受けた特命だつた。
 配役残り、地味に五年目六本目の原美織は人間童貞の桐島がかつて使用した、恋人型ヒューマノイドのエヴァ。桐島の近未来モードは、まんまか単なるモジモジくん。一方可児正光は、ヒューマノイド処女である花恋の元夫・友哉。AIが弾き出した幸福確率99%を真に受け結婚したものの、友哉が余所に女を作り一年と続かず破局する。
 2016年第二作「めぐる快感 あの日の私とエッチして」(主演:星美りか)以来、山崎浩治が三年ぶりに復帰した渡邊元嗣2019年第三作。もう一人小山田勝治のナベシネマ参加は、確認し得る範囲では1998年第四作「壺いぢり名器天国」(脚本:波路遥/撮影:下元哲/主演:西藤尚)の撮影部チーフ以来。
 如何にもオッサンじみた―オッサンだからな―繰言を吐くが、林由美香なら卒なくこなしてゐたであらう、過剰なマンガ芝居に生田みくが概ね憤死しつつ、花恋は他愛ない手練手管で持ち前のオーバーアクトを一切封印した、表情の乏しい桐島を籠絡すべく悪戦苦闘する。逆に、さういふ造形を宛がふのであれば、そもそも何故ケイチャンを連れて来たのか。兎も角山崎浩治御自身のブログによると、木乃伊取りこそが木乃伊であつた、2015年第三作「愛Robot したたる淫行知能」(主演:彩城ゆりな)の姉妹作、ぽいとのこと。土台がサシでテラスハウスを気取らうだなどと、大概な蛮勇に関してはそれをいふても始まらないゆゑ、と後ろ向きな言草で呑み込むとしても、画的にもこれといつた煌めき一つ欠いた平板さの中、決定力不足の俳優部による大人の映画で子供も騙し損なふ稚拙なラブコメは、山崎浩治大復活に狂喜したときめきを、容赦なく霧散させるに余り有る、頼むから余つて呉れ。尤も桐島がロボット工学を嗜む設定で軽くミスリードする、ある程度容易に予想し得よう「愛Robot」調のオチを軽やかか力強く通り越し、2009年第三作「愛液ドールズ 悩殺いかせ上手」(主演:クリス・小澤)の領域に至る辺りからは俄然一気呵成。「愛Robot」ではある意味見事に等閑視してのけた、ロボット三原則の第二条周りにも細やかな冴えを感じさせる。何より―恋をするのに―年齢や性別はまだしも、人機の別すら最早関係ない。桐島が到達したジョン・レノンばりの視座から、カット跨いで締めの濡れ場に轟然と突入する馬力、あるいはアクセルの踏み抜き処を決して逃さない一種の勘こそが、依然ナベがナベたる所以。百一回目の試行なのか、友哉の扱ひがあんまりなエピローグに際しては尺を持て余し気味で、スーザン・カルヴィンに片足突つ込むかのやうな、草壁冴子―美咲結衣の濡れ場は、充電中に桐島のVR遠隔セックス機能を使ふ形で処理される―が最終的に目指す地平は雲を掴む。正直昨今一抹以上の厳しさも否み難い、ナベシネマ的には些かならず物足りない一作ながら、漸く活きのいゝ連中もぼちぼち出始めて来た外様の台頭を、渡邊元嗣には鼻歌で弾け飛ばす、果てしなく高く無慈悲に頑強な壁でまだまだあつて貰はないと困るのだが。

 ところで今作のシナリオ題が、「星の王女、お見合ひに行く!」。「星の王子 ニューヨークへ行く」翻案が大蔵から与へられた御題であるといふのには、幾ら続篇が製作されたとはいへ何をこの期にと驚くほかないが、実際に星の王女様なり王子様がどの程度フィーチャーされてゐるのかといふと、テラハ以上だか以下に木に竹しか接がない。


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 「緊縛色情夫人」(昭和55/製作:わたなべぷろ/配給:新東宝興業/監督:渡辺護/脚本:小水一男・縞田七重/撮影:鈴木志郎/照明:近藤兼太郎/編集:田中修/音楽:飛べないアヒル/助監督:加藤繭・塩谷武津奈・根本義博/撮影助手:遠藤政史/照明助手:佐久間照男/効果:東京スクリーンサービス/録音:銀座サウンド/現像:ハイラボセンター/協力:上板東映/出演:高原リカ・竜本寿・市村譲・五月マリア・広田清一・丘なおみ)。出演者中、広田清一は本篇クレジットのみ。逆に、あるいは何故か。旧版ともポスターには名前の載る佐野和宏が、本篇には鮮やかなくらゐ影も形も出て来ない。声だけでも気づく自信があるのと、全体何でまた、しかも佐野が湧いたのか。
 夜景にプアンと一発電車の汽笛鳴らして、オッパイを抱き隠した高原リカが横になり、男の手がおパンティを弄り始める。同じゼミ生の利彦(滝本)と奈美(高原)がホテルに入る、奈美は、初めてだつた。ホテル街の朝、擦れ違つたオッサンから冷やかされつつ、訳の判らないキレ方をした奈美は一方的に別れを告げて去り、利彦は女の扱ひ方に軽く途方に暮れる。大学にも行かず、上板橋駅に降り立つた利彦は丘なおみが渡り始める横断歩道に通りすがる、唐突な引きの画で人妻の千鶴子(丘)に心奪はれ、狂ひ咲く上板東映までついて行く。
 配役残り、それなりに仲良くはなつたのち、実は結構近所な千鶴子に付き纏つた利彦が、結局その日は手ぶらで帰宅すると大絶賛真最中の広田清一と五月マリアは、利彦に九時まで部屋を借りる約束の友人・ヒロシと、その一応彼女・ハルコ。ヒロシ曰く、ハルコはラッタッタ。そのこゝろが、「誰でも簡単に乗れまーす」。ところでこの広田清一、既視感のある顔だと思つたら、中村幻児昭和56年第二作「セミドキュメント 特訓名器づくり」(脚本:吉本昌弘・伊藤智司)の和田家長男・総一郎役の広田性一と同一人物、性一て。市村譲は、一歩間違へば死んでしまはないかと心配になるほどの、苛烈な責めを日々千鶴子に加へる夫・輝雄。八作前の「団地妻を縛る」(脚本:小水一男)と全く同じ組み合はせで、限りなく全く同じ造形の夫婦である、今回は戸建に住んでゐるけれど。その他上板東映に、観客部を若干名投入。「あのう済みません、僕途中から入つちやつて」、「あの男あの女の何なんですか?」。上映中の映画―渡辺護の、「をんな地獄唄 尺八弁天」(昭和45)らしい―に関して質問を投げる、利彦の斬新なナンパに乗つた千鶴子は、割と底を抜く二分の長尺を費やしヒロインの心情をああだかうだ、要は詳らかに自作解説。煩えなと後方から至極全うなレイジを飛ばす、モッジャモジャのパーマ頭に上映中の場内でもティアドロップをキメた、まるで遊戯シリーズの頃の優作みたいな男が見切れるのは誰なんだろ。
 最早ほかに打つ手もないのか、“懐かしの新東宝「昭和のピンク映画」シリーズ!”で渡辺護昭和55年第十四作。ビリング頭が豪快に三十分退場する間、主人公が出会つた肉感的な人妻の体のそこかしこには、痛々しい縄の跡があつた。モラトリアムを拗らせ人妻に入れ揚げる青年の周囲を、仲良く飄々とした男女三番手が呑気に賑やかす。利彦でなくとも理解に難い、情緒不安定ばりに甚だしくランダムな奈美の言動がそもそもなアポリアではあれ、そこに捕まると恐らく禅問答。如何にもありがちな構図の物語はいざ絡みの火蓋を切るや質的にお量的にも十全に見させ、殊にゴッリゴリ押し込んで来る力技通り越し荒業のサドマゾを主兵装に、裸映画としての腰の据わり具合は案外比類ない。にしては、全般的な湿つぽさなり不用意に豊かな情感が、寧ろ煩はしく感じられなくもないものの。「アタシ何でもする」と健気に膳を据ゑる奈美の言葉に、利彦の野郎は邪に起動。カット跨ぐとブルータルにフン縛つてゐたりする、クッソ外道な締めの濡れ場とか殆どギャグに近いのだが、加速して文字通り縄で縄跳びする奈美のカット挿んで、何処にも誰もゐない噴水のロングに“終”が叩き込まれるに及び、映画の底は何だこれの領域にスッコーンと突き抜ける。


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 「痴漢電車 さはつて出勤」(昭和62/製作・配給:新東宝映画/監督:渡辺元嗣/脚本:平柳益実/製作:伊能竜/撮影:倉本和比人/照明:守田芳彦/編集:酒井正次/助監督:笠井雅裕/監督助手:瀬々敬久/撮影助手:池田恭二/照明助手:鈴木浩/スチール:津田一郎/録音:銀座サウンド/現像:東映化学/協賛:㈱呉工業/出演:小林あい・橋本杏子・秋本ちえみ・北川聖良・ジミー土田・池島ゆたか・山本竜二・螢雪次朗)。協賛の呉工業が、大正義防錆潤滑剤「KURE 5-56」で御馴染のあの呉工業。
 電車が行き交ふカットにタイトル開巻、社長秘書の藍沙弥佳(北川)が、労咳持ちみたいな藪蛇な造形の、白手幹(螢)の痴漢電車を被弾する。一頻り責めたのち、沙弥佳の愛液のスメルに昂つた白手―までが苗字でいいんだよね?―は、懐から取り出した折り畳みナイフを火花も散らして三閃。駅から歩く沙弥佳の衣服が、パンティだけ残して斬鉄剣的に時間差破断。見た感じオフィス街のど往来で、沙弥佳は半裸になる。豪快だな、昭和。一方、軽く驚く勿れ銘板から作り込んである、下着メーカー「バコール」。こんな名前の会社、商業ポルノの中にしか出て来ない、ローレン・バコールをフィーチャーするのでなければ。着衣した上から触つても直に触られてゐるかのやうな着心地で、なほかつ沁みなり匂ひは、薄布一枚の外には一切洩れない。新開発の超軽量形状記憶合金繊維「メタリングス」製の究極スキャンティ、を穿いた―御丁寧に上半身もブラのみの―商品開発部研究員・桃井未来(小林)の体を、芥川社長(山本)が固唾を呑み見守る中、部長の黒井(池島)が―何故かオッパイも―弄る天衣無縫な社内プレゼン。もうかうなつたら、時代の所為にしてしまへ。
 開き直つてパン一で堂々と出社して来た沙弥佳は芥川の秘書、兼愛人で、社長室に辿り着くなり熱い一戦をキメつつ、一枚しかない試作品を自らモニタリングする未来は、帰りの電車で究極スキャンティを白手に擦られる。実はメタリングスは偶然生まれた産物で、現状再生産不能。芥川には秘したまゝの究極スキャンティ奪還に迫られた黒井は、未来の助手に元々大学の使用済み女性下着同好会の後輩で、エロ本紛ひのカタログを作り未来からは目の敵にされる、企画部の赤尾松太郎(ジミー)を連れて来る。
 松太郎は未来の気持ちをノセる以外には、最終的に何の役にも立たない“一度触つた素材の感触は絶対に忘れない”特殊能力頼りで、闇雲に単身電車に突入。配役残り、鬼のやうにハクい橋本杏子と秋本ちえみは、まんまと罠にかゝつた松太郎に手錠をかけるゆゑ女痴漢捜査官なのかと思ひ、きや。蝋燭に囲まれたベッドに松太郎を鎖で拘束、女王様ルックで「ようこそ私達のお仕置き部屋へ」と来た日には、アグレッシブな私刑集団なのかと思ひ、きやきや。結局公安調査特殊課痴漢ハンター国鉄バイス、コンビ名が「ランジェリーズ」とかいふ愉快なワイルドセブン、二人しかゐないけれど。ところで呉工業製品は、火気厳禁の研究室にて、松太郎が煙草に火を点けようとした―だから昭和だ、昭和―ドリフ大爆発後。未来が消臭に商品名も呼称しての除菌・衛生スプレーのメディゾールを取り出すのと、アルミケースの中に5-56も見切れる。5-56にハイフンが入るのは、正直今回ちやんと調べてみて初めて知つた。
 ex.DMMのピンク映画chにタグつきで残る未見作を、片端から見て行く新東宝痴漢電車虱潰し戦、五本目で渡辺元嗣がヒットした、昭和62年第二作。ちなみに、ナベのタグはついてない、新東宝限定で結構そんなもん。
 電車に出没する怪人から、夢の新素材・メタリングスを奪ひ返せ。怪獣が出て来ないと成立しない怪獣映画が如く、痴漢電車でなければならない極めて魅力的な物語を構築しつつも、女の裸込みで中盤のバコール社内で大きく尺を食ひ尽くすのもあり、ある意味ナベシネマ的にはまゝある、終盤がガッチャガチャに尻窄む印象は否めなくもない。結局バックボーンには一切手が回らない白手のキャラクターは徒に大仰なばかりで、画期的に超絶美麗な2ショットを形成してゐながら、「ランジェリーズ」は限りなく明後日な絡み要員に止(とど)まる。さうは、いへ。全出演作でも両手両足、主演作となると片手で全然足る。実質二年間くらゐと決して実働期間が長くはないのも起因してか、ニッコニコに可愛らしい陽性のルックスと、プッリプリに弾ける健康的な肢体。この期にしか及ばないが、どうしてこの人がもう少し天下を取れなかつたのか不思議な小林あい(ロマン子クラブ No.4)が総合的には物足りない劇映画を、アイドル力の力任せで支へ抜く。最初は毛嫌ひしてゐた松太郎の、ギフテッドを知るやメタリングス探索の糸口を得た、未来がみるみる瞳を輝かせ膠着した局面が動き始める展開は、娯楽映画的に麗しく鉄板。それで、ゐて。未来と松太郎が遂に結ばれる、感動的な―筈の―締めの濡れ場をも、寧ろ不自然にすら頑なに完遂に至らせない。全く以て不用意な小癪さが、激しく水を差すのは重ねて頂けない。

 三分も超過してのエンディングは「鎌田行進曲」の替へ歌を皆で合唱後、“渡辺組”のカチンコが改めて鳴るのに何事かと思つたら。「新東宝の」(螢雪次朗)、「痴漢電車シリーズ」(小林あいと池島ゆたか)、「今年もよろしく」(北川聖良と山本竜二)、「お願ひしまーす」(ビリング頭三人にジミー土田)と、小林あいと北川聖良はオッパイも気前よく見せ賑々しく締め括る。


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 「好き好きエロモード 我慢しないで!」(2019/制作:ナベシネマ/提供:オーピー映画/監督:渡邊元嗣/脚本:増田貴彦/撮影・照明:飯岡聖英/録音:小林徹哉/編集:酒井正次/助監督:小関裕次郎/監督助手:鈴木琉斗/撮影助手:岡村浩代・三浦裕太・高橋佑弥/照明助手:佐藤英蘭/お手伝ひ:鎌田一利/整音:Bias Technologist/選曲:徳永由紀子/スチール:本田あきら/仕上げ:東映ラボ・テック/カラリスト:やよいあい・如月生雄/出演:神谷充希・美咲結衣・ケイチャン・津田篤・森羅万象・山口真里《愛情出演》・横山みれい)。出演者中山口真里のカメオ特記は、本篇クレジットのみ。
 川原で振り向いた神谷充希が男嫌ひを大連呼して、夕陽にタイトル・イン。マンション夜景を一拍噛ませ最初に飛び込んで来るのは、湯船に浸かつたオッパイ。ジャスティス!と渾身で言祝ぐほかない。翌日に結婚式を控へた立川千里(美咲)が入る風呂に、両刀にさうゐない千里に対し真性の、ルームメイトである三池奈央(神谷)も入つて来る。ところで美咲結衣がポスター上の序列は三人目ながら、本クレでは横山みれいが定位置のトメに座ることにより、足かけ五年六本目となるエターナル二番手の座を辛うじて死守、何気な偉業である。風呂はサクッと上がり、ビリング頭二人が麗しく絡み合ふ初戦までは、二人が全裸で部屋中をキャッキャ戯れるチャレンジも敢行、全然瑞々しくあつた。のだ、けれど。入浴中既に伏線を投げ済みの、台所の水漏れを直しに千里が手配してゐた「マンショントータルメンテナンス」の修理工・瀬戸渡(ケイチャン)が、奈央の一人暮らしとなつた部屋を訪れる。嫌悪が恐怖症に徳俵を割つた奈央は、男とサシになるや―赤色灯メットを被つた―チープな“妄想炸裂中”モードに突入。瀬戸からバイブ責めを受けるヴィジョンに忘我した、奈央は瀬戸を殴打し卒倒させてしまふ。再度ところで、千里は微妙でもあれ奈央が造花で生計を立ててゐるとか藪蛇か非現実的な造形は、もしかすると“妄想炸裂中”モードで通常の社会生活に相当な困難が容易に予想される、点まで目配せした案外周到なものなのかも、考へすぎなやうな気しかしない。
 配役残り、登場順をケイチャンと前後して津田篤は、色情もとい式場帰りの奈央が再会する、年長の長馴染・須藤克己。高級官僚を輩出する家系ではあるが結局両親の期待には沿へず、「ニコニコ総合保険」の企画営業課勤務。森羅万象は壁一面に貼り巡らされた野鳥の写真を見るに、趣味のバード・ウォッチングは別に全くの伊達か隠れ蓑ではない模様の、奈央が住むマンションの管理人・中之島高雄。瀬戸の件で中之島が奈央に説教する最中には、ナベさんから好ポイントを見つけた電話も入つて来る。横山みれいは、トラウマを克服すべく奈央が門を叩く、「鳴海性愛クリニック」のセラピスト・鳴海理沙。当然の如く男性患者に対しては体を開く、ドリーミンな優しい世界、何が“当然の如く”なのだ。二本目は何処に出てゐたのかよく判らない、竹洞哲也2017年第四×五作・「ヤリ頃女子大生 強がりな乳房」(脚本:当方ボーカル=小松公典/主演:若月まりあ)と、「まぶしい情愛 抜かないで…」(脚本:当方ボーカル・深澤浩子/主演:優梨まいな)以来の―正式な三本柱だと山﨑邦紀2016年第二作「巨乳vs巨根 ~倒錯した塔愛~」(主演:東凛)―山口真里は、須藤が進学した全寮制の「愛染高等学校」男子寮と森中でY字路を成す、「流星学園」女子寮に暮らす女子大生。山口真里が確か女子大生女優として世に出て来たのなんて、もう何世紀前の遥か太古の昔なのかなんて、遠い来し方を振り返るのはやめるんだ、未来に目を向けろ。
 元々ある津々浦々ラグをコロニャンにも加速されついうつかり忘れてゐたが、今上御大の我等がナオヒーロー主演作「5人の女 愛と金とセックスと…」(2019/監督:小川欽也/脚本:水谷一二三=小川欽也/主演:平川直大)に続き、平成を丸々跨いで監督生活三つ目の元号に軽やかに突入した、渡邊元嗣2019年第二作。尤も撮影してゐた風情は小耳に挟みつつ、ナベが2020年は未だ沈黙してゐる。次作では山崎浩治が2016年第二作「めぐる快感 あの日の私とエッチして」(主演:星美りか)以来待望の帰還を果たすゆゑ、今後再びパーマネントに戦線復帰した場合、「未来H日記 いつぱいしようよ」(2001/監督:田尻裕司/田尻裕司との共同脚本/主演:川瀬陽太・高梨ゆきえ)から十五年ぶりの大復活を遂げた増田貴彦とのコンビは、間に波路遥を二本挿み四作で打ち止めとなる格好に。
 序盤に咲き誇る大輪にして超絶の百合は、残念ながら最終的か結果的には全く失速する一発勝負のスタート・ダッシュ。ナベシネマ常連の二番手とトメが、共に拘束一日?をも疑はせる束の間な出演時間を駆け抜けるか通り過ぎる中、軽くガングロでショートカットの、ボーイッシュな主演女優が渡邊元嗣の琴線にあまり触れなかつたのか、辛うじて破綻はしてゐない程度の漫然とした出来栄え、栄えてない。仲良く喧嘩する奈央と瀬戸が別れ際に延ッ々繰り広げる、アッカンベー合戦には100%悪い意味で眩暈がした、大人の娯楽映画やぞ。締めの濡れ場を完遂したのち、エピローグまでわざわざ持ち出して懇切丁寧に開陳される“あの日、あの時…”の真相は、仕方のない頭数の僅少にも火に油を注がれ、七十分を費やすに値する大層な代物とは凡そ思へない。六十分でもまだ長く、深町章の最速ばりに、五十分辺りでサクッと丸め込むか振り逃げるのが、相当な―薄さの―ネタなのではあるまいか。もう一点、余計なツッコミ処を思ひ出した。徒にやゝこしい瀬戸のブブセラに関してはいつそ等閑視するにせよ、十年前まづは東大を目指して愛染に入学の決まつた須藤と、奈央の別れの件。数メートル離れたしかも直立した状態から、四つ葉のクローバーを発見する真央の人外な視力に俳優部含め誰も立ち止まらなかつたのか。神谷充希が映し出されてさへゐれば箸が転んでも満面の、そこに神谷充希がゐる限り電信柱が赤からうが郵便ポストが高からうが満足のクラスタ以外には、正直お勧めし難いショッパい一作と難じざるを得ない。

 ワンモア、今度は大事な点を思ひ出した。奈央が最初に瀬戸の訪問を受けた際着用の、水森亜土系な懐かしいテイストのイラストがプリントされたYou & meの黄色いエプロンは、あれは全体何十年前から使つてゐる衣裳なのか、物持ちがいいにもほどがある。
 備忘録< アフリカ象研究者と再婚した母親の夫婦生活に衝撃を受けた、瀬戸はいざといふ段にブブセラの幻聴が聞こえ萎える


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 「トリプルエクスタシー けいれん」(昭和63『恋する女たち トリプルエクスタシー けいれん』のVHS題/製作:獅子プロダクション/配給:新東宝映画/監督:渡辺元嗣/脚本:双葉零/製作:伊能竜/企画:白石俊/撮影:宮本良博/照明:田端一/編集:酒井正次/助監督:笠井雅裕/監督助手:小原忠美/計測:中松敏裕/撮影助手:渡辺タケシ/照明助手:金子高士/スチール:津田一郎/録音:銀座サウンド/現像:東映化学/出演:林里奈・橋本杏子・伊藤清美・池島ゆたか・山本竜二・守矢トオル・山口麻美《友情出演》・螢雪次朗)。
 夜明けのベッド、「済まんな、祥子・・・・」と詫びるレコーディング・ディレクターの斉巻幸一(螢)に対し、祥子(橋本)は「謝つたりしないで」。続けて「今がよければいいの」とか、典型的な風情の会話。キスを交して開戦、したところで女子ぽく散らかつた部屋の電話が鳴る。「あたしヤッちやつたんだ」といふ祥子の声に、部屋の主・星野陽子(林)は寝惚け眼で「なあに?新記録でも作つたの」、なかなか斬新な会話ではある。風鈴×プリンと寝起きのボケを二手重ねて、陽子は祥子の不倫報告に跳ね起きる。不倫かあと陽子が上方を見やり、波面に上の句を端折つたビデ題でのタイトル・イン。タイトルバックは陽子が起床するカットで軽く見切れる、彼氏と波打ち際でキャッキャするロング。
 配役残り、捕虫網を携へ虫籠も提げてゐるゆゑ、てつきり昆虫クラスタなのかと思ひきや。小脇にハードカバーを挿んでゐたりもする。要は、本気で虫を捕まへる気なんか別にない、空前絶後に藪蛇な造形の伊藤清美は、陽子・祥子と女子大生三羽烏を成す飛鳥今日子、もしかしたら明日香今日子かも。それなりにイケメンではあるものの、前後が長い髪型と全体的にオーバーサイズのトップスに、止(とど)めは裾の絞れたケミカルウォッシュ。グルッと一周して最早眩いほどの、壮絶な八十年代ファッションに軽くでなく眩暈のする守矢トオルが、改めて陽子の彼氏・ヒロシ、地味に絡みが上手い。一応ググッてみた限りでは、守矢トオルが今作以外には佐藤寿保昭和62年第一作「暴行クライマックス」(脚本:夢野史郎《a.k.a.大木寛/a.k.a.別所透》/主演:岡田きよみ)しか出演した痕跡は見当たらない、変名ないし改名の底なし沼はもう知らん。山本竜二は、祥子に不倫マウントを取られ、激しく対抗心を燃やす陽子が目星をつける、仏語教授の前原。雑にいふと山竜版のイヤミ、流石にシェー!はしないけど。前原がレストランにてボーイに、テレホンカードが使へるかとドヤる場面には、時代が偲ばれる。今や、公衆電話を探すのに苦労する。話を戻して西洋文化を、肌で感じるだ体で覚えるだのといつた如何にも秀逸な方便で、据膳モード全開の陽子を前原はホテルに連れ込んでおきながら、子供からのポケベル―配偶者には実家に帰られた―が入るやそゝくさと帰宅する。池島ゆたかは、前原を追ひ往来に飛び出した、陽子がミーツする男・氷室、職業は外科医。最後にカメオの山口麻美は、ヒロシを車で回収する海辺の女。その他ノンクレ隊が人相は抜かれない乳母車を押す人妻とボサッとした背広に、前原からフランス語同好会に勧誘される二人組。
 公称を鵜呑みにすると、林里奈と伊藤清美なんて実は齢が八つ離れて―林里奈とハシキョンで三つ―ゐたりもする、何気に豪快なキャスティングの渡辺元嗣昭和63年第一作。不倫してゐる自分に酔ふ祥子と、祥子にアテられた陽子はどうかした勢ひの邪気の無さで不倫に焦がれる。そして今日子はそんな陽子が蔑ろにするヒロ君に、秘かに想ひを寄せる。女優部三本柱を軸に構築するとした場合、何気に超絶の完成度を誇らなくもない物語はその割に、ビリング頭と、今もあまり変らないといへば変らないナベがキレを欠き、一見すると他愛ない。かに見えかねないところから、それぞれの幻滅の末に三人が旧交を温める極めて穏当な着地点に、鳶が油揚げをカッ浚ふスパイスを効かせるラストは、パッと見以上に気が利いてゐる。大人びた、といふかより直截には背伸びした祥子と、気と尻のどちらがより軽いのか、どつちでもいい陽子。に、かなりハードコアな不思議ちやんの今日子。パーソナリティーが対照的どころかバッラバラで、何でこの面子で仲良しなのかよく判らない三人娘の、案外綺麗な青春映画。砂浜に配した―だけの―椅子とテーブルとビーチパラソルとでカフェ面してのける、堂々とした安普請の回避策は御愛嬌。

 とこ、ろで。クライマックスは、並走する横恋慕の実つた今日子V.S.ヒロシ戦と、スッぽかされた同士の陽子V.S.氷室戦の並走。ダサい通り越して馬鹿馬鹿しいズーム、略してバカズー三連打―をしかも各々繰り返す―で順に今日子と陽子は濡れ場を完遂に至る一方、祥子と斉巻の逢瀬は、何れも中途で端折られる。即ち、公開題でトリプルを謳ふエクスタシーは、実際の劇中ではダブルまでしか描かれてゐない。


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 「乙女の挑発パンティー」(昭和61/製作・配給:新東宝映画/監督:渡辺元嗣/脚本:平柳益実/製作:伊能竜/撮影:志賀葉一/照明:守田芳彦/編集:酒井正次/助監督:笠井雅裕/監督助手:小原忠美/撮影助手:中松敏裕/照明助手:鈴木浩/スチール:津田一郎/録音:銀座サウンド/現像:東映化学/出演:橋本杏子・小林あい・秋本ちえみ・ジミー土田・山本竜二・鈴木幸詞・池島ゆたか《友情出演》・螢雪次朗)。出演者中幸嗣でなく鈴木幸詞は、本篇クレジットまゝ。
 無音の新東宝ビデオ開巻に一旦突き落とされた絶望は、最後そのまゝ普通に流れる本クレに救はれる。わざわざ無用の手間をかけて、余計な真似仕出かさなくていいんだよ。クレジットの如何を問はず、見れば新たに撮影したアダルトビデオなのか、流用したピンク映画なのかなんて大人なら大体判るだろ。
 夕暮れ空に、危ふげな劇伴が鳴る。その日婚姻届けを提出した新婚―貧乏―カップルの角田優(鈴木)と由絵(小林)が、記念にとホテルに時化込む。正式な結婚指輪の買へない角田が、由絵の左手薬指に通した指輪の大ぶりな赤い石に、オッカナイ秋本ちえみが透けて見える。人気のない廊下に魔子(秋本)がおどろおどろしく起動、一方美乳を堪能させ湯を浴びる由絵は、爪を黒く塗つた謎の二人組に犯される。何時まで経つても風呂から出て来ない、由絵に業を煮やした角田が覘いた浴室に、新妻の姿はなかつた。魔女の館的な異空間、由絵が全裸で十字架にかけられたゴルゴダみ爆裂するショット―怒られるぞ―を叩き込んだ上で、青バックでのタイトル・イン。ビデオ題は冠にビリング頭の橋本杏子、ではなく、小林あいを戴く匙加減。
 新宿のロングからカットを適当に連ねて、歌手を兼業にあくまで本業は探偵―とかいふ設定に特段の意味は一切見当たらない、前作でも何かあんのかな?―とする魔夜未来(橋本)の事務所。調査書に悪戦苦闘する未来を、相手にされない刑事・早川創元(螢)が冷やかしに顔を出す。欧米人ならソノラマ・スニーカーとでもなるのか、あるいはフランス・グリーンドアとか。フルスロットルな閑話休題、高校の後輩である由絵(ex.小林)から届いた結婚報告葉書に目を落とした未来は、葉書に緑色のスライム的な異物が滴る、幻影に慄く。胸を騒がされた未来がノーヘルの原チャリで角田家を訪ねてみたところ、由絵に変つた様子は別に見受けられない反面、心なしか憔悴した角田は浮かない顔をしてゐた。とこ、ろで。法令の改正と、撮影時期との兼合ひが判らないが、原付も含めた全ての単車に、全ての道路でヘルメット着用が義務化されたのは同じ昭和61年のことである。今の目で見ると、片側数車線のダダッ広い道路を、裸の頭で走る画がストレートに一番恐い。あと角田家が貧乏所帯の所以が、劇中角田に仕事をしてゐる様子が窺へない件。
 配役残りカメオの池島ゆたかは、角田が指輪を買つた、古物商「国際古美術百貨センター」の店主。この頃多用してゐた、軽く?化粧を施しユニセックスな造形。何処に如何なる形で出て来るのか全く読めなかつたジミー土田と山本竜二は、魔子の僕(しもべ)・裕矢と敏詩。裕矢は兎も角、敏詩といふのは何と読ませる気なのか。こちらの造形は、ピエロ的なメイクのショッカー戦闘員。遅れ馳せながら今回改めて気づいたのが、ジミー土田が案外小気味よく体が動く。
 少なくともきちんとタグ管理されてあるものに関しては、ex.DMMにいよいよ残り弾も僅かとなつて来た渡辺元嗣昭和61年最終第七作。単独第十三作で、年を跨いだ次作が、買取系ロマポ初陣の「痴漢テレクラ」(昭和62/脚本:平柳益実/主演:滝川真子)となるタイミング。
 探偵であるのを由絵の口から知つた角田に泣きつかれる格好で、未来は由絵が結局一人で帰宅してゐた失踪騒ぎ以来、夜な夜な別人格に変貌し角田も夫婦生活の間意識を失ふ、二人が苛まれる怪現象に首を突つ込む。ダーク系ファンタなナベシネマ、とは、いふものの。当時二十一歳の橋本杏子が全盛期を思はせる鮮度を爆裂させる、アイドル映画パートに中途半端にも満たないチャチい怪異譚がある意味見事に完敗し、全体的なトーンはとかく漫然か雑然としかしてゐない。魔子の正体は、昭和の始めに死んだ廃ホテルの女主人で色情狂の女―の亡霊―であつた。早川が未来と由絵を異界から一か八かで救出した正真正銘次のカットで、最終的な解決には至らないまでも、怪事件の真相が未来の口から唐突に開陳される。機械仕掛けの神様が登場する暇もない、木に東京タワーを接ぐ箆棒な展開には終にこの映画グルッと一周したと、観念にも似た感興を覚えた。魔子にさんざ貢がせた上で、張形二本を手切れに捨てた極道。のなれの果てである古美百センター店主が、実際張形を魔子に渡す件を、角田が来店した際とビジュアルに変更も加へずに古美百センター店内で撮つてゐては、昭和初期とされる魔子の死亡時期と否応ない齟齬を来す。止めを刺すといふか、寧ろ通常の範囲内とは全く異なつた別の次元に映画が突き抜けるのが、未だ囚はれる角田の奪還に、未来と早川が赴く最終決戦。十手を得物とした、未来美少女戦士ver.の意匠―多分オリジナル―が大概藪蛇なのは予熱以前。ジェット・ストリーム・アタック的な攻撃も敢行する裕矢と敏詩が、大雑把に説明するとゴン太くんにキャノン砲を生やしたやうなデザインの、チンコ怪獣に合体変身するのには度肝を抜かれるのも通り越してリアルに眩暈がした。いやいやいやいや、キマッてないつて。正気だつてば、ホントにさういふ映画なんだよ。俳優部の発声が粗いのか録音部が録り損ねたのかは知らないが、未来がチンコ怪獣を倒す、必殺技の名前がよく聞こえない辺りはこの期に及ぶと逆の意味で完璧。角田を解放するシークエンスを端折るのは兎も角、ラスボスたる愛子を実は倒してゐない。そもそも、安アパートにて角田が魔子に喰はれる絡みを四十分前の最後に、幾らエンドロール込みともいへ残り二十分を丸々スッ空騒ぎに空費してのける、尺の配分が完全にブッ壊れた構成が最早腹も立たない木端微塵。強ひてよくいへば凄いものを見た、直截にいふと、酷い代物を見たなんだけど。


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 「痴漢電車 いけないこの指」(昭和60/製作・配給:新東宝映画/監督:渡辺元嗣/脚本:片岡修二/製作:伊能竜/撮影:倉本和人/編集:酒井正次/音楽:芥川たかし/出演:大滝かつ美・田口あゆみ・しのざきさとみ・風見玲香・ジミー土田・池島ゆたか・久保新二)。スタッフはナベと倉本和人(a.k.a.倉本和比人)のみ、俳優部に至つては男主役であるにも関らずジミー土田の名前がない、絶望的なビデオ版クレジットに匙を投げる。残りとビリングはjmdbにひとまづ従ひ、ついででVHSは田口あゆみ・しのざきさとみ・大滝かつ美・久保新二・池島ゆたか・風見玲香の順、責任者か担当者は土に還れ。
 星空で開巻、JAL69便、の玩具。パイロットが管制と連絡を取らうとしてゐると、操縦席の外側から逆さにフレーム・インした田口あゆみが、「東京て何処ですか?」。下を指差した操縦士が首を傾げる一方、キャンディ(田口)はパラソルでゆるゆる降下。続いて高層ビルの窓拭き―但し内側から―に渋谷、烏には月見荘の場所を尋ね、当の月見荘。チャップリンTの小林松太郎(ジミー)が、明日の告白と結婚とを満月に期す、開けた窓からキャンディが松太郎の部屋に墜落する。電磁加速砲を喰らつた鳩のやうな松太郎に対し、キャンディが“世界で一番惨めな男”の松太郎を幸せにするやう神様に命じられた、天使である旨素頓狂か無礼千万な自己紹介をしてタイトル・イン。松太郎の部屋に、キャンディが文字通り飛び込むシークエンスは奇跡的なカット割りで案外見させるのと、パイロット共々、窓拭きが内トラにしては馬鹿にといふか、本職の男優部三本柱よりも寧ろ男前。
 配役残り、巨大なロイドに戦慄を禁じ得ない池島ゆたかは翌朝の通勤電車、松太郎について来たキャンディに痴漢する男。セットなんて組むのが面倒臭いとでもいはんばかりの、フリーダムな実車輌撮影―カメラ位置が妙に高い―が清々しい。話を戻して池島ゆたかに基いた松太郎いはく痴漢の定義が、「女が好きな癖に女をモノに出来ない内気な助平さ」、実も蓋もない。主要キャストの筈なのに、序盤かつ斯様な形で使つてしまつて池島ゆたかはどうするのか。と激しく疑問に思つてゐたら、月見荘住人の新劇俳優とかいふ形で力技の再登場を果たす。大滝かつ美は慌てて階段を駆け上がる松太郎が食パン感覚で激突する、段ボールに溢れるほど書類を抱へ下りて来た同僚の野沢か野澤未来、松太郎意中の人。何気に歯がガッチャガチャの久保新二は、松太郎に殺すだ何だ出鱈目な雷を恐らく毎日落とす園山課長。未来で野沢を切つてゐるゆゑ、新劇の苗字は本命が轟で対抗は江藤かな。しのざきさとみと風見玲香は、松太郎に激おこすると決まつて最後は鼻血を噴く園山を、介抱すると称して抱かれる画面手前のアスカと、真ん中に未来挟んで奥のキョーコ。絡みの順番的にはキョーコが先、といふかアスカはギリギリのスレスレまで温存する。あと、未来の机上に算盤が置いてあつたりするのは、有線電話以上に今の若い子達には理解し難いレガシーかも。忘れてた、最終盤聞かせる神様の二言三言は、混同もものともせず池島ゆたか。
 「マイ・フェア・レディ」の次は、「メアリー・ポピンズ」と来た渡辺元嗣昭和60年第三作。未来と松太郎の物語であれ、主演女優は大滝かつ美、ではなく田口あゆみ。松太郎から贈られたダサい三日月のペンダントを気に入つた未来が訪ねて来たところ、月見荘に転がり込んでゐたキャンディを見て恋路が拗れる、といつた方向に当然展開する。相変らずワン・ノブ・ロケーションに過ぎない電車が本筋には掠りもしない無頓着は兎も角、内気な新劇クン(仮名)をキャンディが筆卸し一皮剝く中盤の見せ場を最大のハイライトに、裸映画的にはとりあへず安定。風見玲香にしのざきさとみ、巨乳部を二枚並べた豪華な濡れ場要員は、全く同じ手口を厭ひも構ひもせず、久保チンが堂々と介錯する。今でいふパワハラ糞上司に連日怒鳴り散らかされる以外には、松太郎がそこまで“世界で一番惨めな男”にも見えない根本的な疑問は、豪快かつ小洒落たオチで回収してみせ素のお話もそこそこに纏まる。銀幕―ないし液晶―の此岸の“世界で一番惨めな男”に対し、キャンディが本当に「それー!」と飛んで来る爽快なラストもお見事。さうなるとなアキレス腱が、ナベは相当に惚れ込んでゐたらしいものの、酷いパーマ頭に絵に描いたやうな団子鼻で、精々ビューティー・ペアに憧れた全女の練習生といつた風情の大滝かつ美。星空に松太郎の名を叫ぶ、壮大か壮絶なロングには悶絶した。そこかしこの臆面もない安さは雀の覚えたダンスにせよ、今となつては如何せん厳しい、無造作なミソジニーは一旦さて措くに流石に難く、とかく初期ナベが持て囃される風潮に関しては、厳密な現在は未だ当地に着弾してゐないゆゑ兎も角、全般的に近年の方が普通にプログレスしてゐるのではなからうか。狙ひを定めると確実に低調してゐた2000年前後十年くらゐに醸成された、過去の過大評価であるやうにも思へる。


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 「エッチな18才 はちきれちやふ!」(1998/製作・配給:大蔵映画株式会社/監督:渡邊元嗣/脚本:波路遥/撮影:清水正二/照明:伊和手健/編集:酒井正次/助監督:佐藤吏/監督助手:湘南太郎/撮影助手:佐久間栄一/照明助手:小田求/スチール:津田一郎/録音:シネ・キャビン/現像:東映化学/出演:相沢知美・田口あゆみ・林由美香・樹かず・久保新二)。
 麗しの王冠開巻、街の遠景に天使の羽が舞ひ、キラキラリン音効が鳴る。本を読む背中挿んで、少女の足下に羽が落ちる。ルーズソックスとガングロの舞(相沢)が空を見上げると、今度はニュータイプ的な音効に閃光まで走らせた上、鐘の音によくいへばこの頃御馴染の、レス・ザン・バジェットなペラ紙一枚のタイトル・イン。正直この時点で既に、悪い予感しかしない。
 城山ゆき(田口)が日傘を差し楚々と歩く後ろを、処女作一発屋の小説家・河原畑淳之介(久保)が尾ける。またこの河原畑先生がゾンビ紙一重に隈がどす黒く、久保チン今回コンディション不良なんかいなとも思ひかけたが、体の動きなり口跡から窺ふ分には、別にさういふ風でもない模様。藪蛇な造形にも、早速あるいは順調に躓く。見るから不審な河原畑に舞が声をかけると、動揺した河原畑が橋の欄干であれよあれよバタついたのを、今度は舞がスーサイドするものかと勘違ひする。クリシェ迸るグダグダ通り越してグッダグダなシークエンスの末、制止したつもりの舞が橋から入水する。不安ないし猜疑が、ハンドレッド戦もとうに通過した経験に基づく確信に変る。うん、ダメな時のナベにさうゐない。兎も角、近辺のロケーションで何となくピンと来る、当然勿論絶対自動的な勢ひの津田スタに運ばれた舞は、自称小学校時代の愛読書『やどなしキューピッド』の作者が河原畑と知るや、寡暮らしの河原畑家に押しかけ家政婦を決め込む。
 配役残り樹かずは、零細出版社「ほがらか出版」の河原畑担当者・大藪。林由美香は大藪の同僚兼、事実上の婚約者・桑野か鍬野万里。編集部にもう二人見切れる、男女は完全に不明。それと、河原畑の絵本周りでひろぽん画伯のイラストが登場するのだけれど、湘南太郎だとか如何にも変名臭いセカンド助監督は、もしかして広瀬寛巳の変名?仮にさうであつた場合、藪から棒に、何でまたさういふ勿体つけた真似をするのかは知らないが。小田求かもよといふ可能性もなくはないにせよ、探せばあちこち出て来よう、広瀬寛巳と小田求が併記されたクレジットで否定し得るものと看做す。そもそも、小田求も小田求でそこはかとない共有スメルは否み難い。今に始まつたことでもないが、最早際限のない、無間地獄の獣道。何処かに辿り着く辿り着けるつもりで、歩いてる訳ぢやないんだよ。
 渡邊元嗣1998年第一作にして、大蔵第二作。何某か重たいドラマを抱へてゐるらしき久保チンの家に、軽やかな相沢知美が薄らかに転がり込む。コンフィデンスに進化か後退した危惧は、残念ながらまんまと的中。締めの濡れ場を、よもやまさか残り尺五分まで温存した二番手に委ねるだなどと、アグレッシブな奇策は展開上必ずしも酌めなくはないものの、それもそれで、せめて完遂させて欲しい。結局河原畑先生が舞には手を出し損ねた結果、三番手が絡みの回数を稼ぐアンバランスも微妙でなく苦しい。尤もその点に関しては、よしんばその場限りであつたとて、画期的な機動性で幾多のピンクをビリング下位からも救つて来た、林由美香の真骨頂をこそ尊ぶべきであるのかも知れない。最たる致命傷が、『やどなしキューピッド』に喰ひついた舞は、ネグレクト気味の家庭環境を匂はせつつ、今はすつかりくたびれたかやさぐれた河原畑に投げる。“世の中には沢山の孤独な子供達のゐること”と、“楽しい物語がそんな子供達の心の隙間を埋めること”とを。一撃必殺、一発大逆転も可能なエモーションの種を蒔いたにも関らず、結局<舞の正体が天使>とかいふありがちが暴力性に突き抜けるオチは根本的にどうしたものか。天からの何者かの降臨を、ギャルが察するアバンと激しくちぐはぐな以前に、林由美香を差し措いて、天使に適役な人間がこの星の上にゐるであらうか。否、ゐまい。一言で片付けるほかない、チャチいナベシネマ。クロッカス―劇中では頑なにクロウカス―の色によつて変る花言葉を、過去を引つ繰り返す重大なモチーフに持ち出すのも、オッサン相手の量産型娯楽映画としては疑問も禁じ得ない。クロッカスに限らず、花言葉なんて知らんがな、吉行由実でもやらないぞ。


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 「痴漢電車 発射一分前」(昭和60『痴漢電車 発車一分前』のVHS題/製作:日本シネマ/配給:新東宝映画/監督:渡辺元嗣/脚本:平柳益実・片岡修二/製作:伊能竜/撮影:志村敏夫/照明:森久保雪一/編集:酒井正次/助監督:笠井雅裕/監督助手:高嶋静子/撮影助手:片山浩/照明助手:坂本太/録音:銀座サウンド/現像:ハイラボセンター/主題歌“星間鉄道の夜へどうぞ”作詩:高嶋静子 作曲:鈴木智子 編曲:中谷靖 唄:冬樹澪/出演:早坂明記・麻生うさぎ・藤冴子・彰佳響子・ジミー土田・池島ゆたか・ルパン鈴木)。製作の伊能竜は、もういいか。共同名義ともいへ、プロデューサーに関してはほぼほぼ向井寛だろ。
 「あれは小学校一年の時だつた」、ルパン鈴木のモノローグ起動。うたゝ寝から目覚めた子役(不明)は、満月を横切る機関車を目撃。慌てて母親(クレジットレスの冬樹澪)を呼んだものの、列車の影は既になく。狐につまゝれる優少年に、お母さんは“満月の夜結ばれた世界で一番素敵なカップルを、銀河の果てまで運んで行く”ハネムーン超特急であると語る。尤もママは、パパと銀河の果てに行つてはゐなかつた。十九の時に乗りかけつつ、そのボーイフレンドは、別の女と結婚してしまつてゐた。旨まで話した上で、パパには内緒と口止めしてビデオ版のタイトル・イン。絵柄は牧歌的なアニメ絵ながら、少女が大勢から中出し電車痴漢される大概ハードなシチュエーションがタイトルバック。クレジットに通り過ぎられては、絵師当然不明。
 そして電車、最早当たり前の勢ひで実車輌内。ボストンの範疇に入るのか、それとも巨大なロイドなのか最早判らなくなる、一言で片付けると壮絶なオロナミン眼鏡の早坂明記に、ルパン鈴木が電車痴漢。多分零細の旅行会社「銀河旅行社」に出社した主任の竹口優(ルパン)は、部下の山田(ジミー)から紹介された社長の遠い親戚とかいふ新入社員・杉本公子(早坂)と改めて対面し仰天する。あるとしたらこの辺りの法則性がよく判らないが、未来でも、松太郎でもないんだ。
 配役残り藤冴子も、銀河旅行社の社員・安井?みさ。麻生うさぎは竹口が秘かにでもなく想ひを寄せる、得意先の社長秘書・江梨。池島ゆたかがその得意先「大手商事」―王手かも―の社長・近松。彰佳響子は、電車痴漢を通して客を捕まへる、ソープランド「ジューシー」の泡姫・アキ。あと山田が江梨に仕出かす件の周囲に、笠井雅裕―か笠松夢路―は台詞つきで明確に抜かれ、少なくとも若き渡辺元嗣が見切れる。
 ナベも見られるだけ見ておくかとした、渡辺元嗣(勿論現:渡邊元嗣)昭和60年第二作、単独通算第四作。田舎から出て来た野暮つたい少女が、都会の伊達男の手によつてみるみる洗練されて行く、サルでも判る「マイ・フェア・レディ」―「プリティ・ウーマン」には五年早い―もの。に、渾身のファンタジーをブチ込んだナベシネマらしいナベシネマ。部屋ごとハネ超に連結してのけるプリミティブ特撮が案外満更でもなく、悲恋をクロスさせる力技で回収してみせたアバンが宇宙規模のロマンティックに見事結実する、一撃必殺滂沱の感涙作。と、手放しで激賞して済ませられたなら、どれだけ幸福であつたらう。
 たかが初代林家三平似のルパン鈴木が、確かに芋臭くはある上京直後ver.の公子を“連れて歩くだけでお得意さんに失礼になる女”とか外見を全否定。アキ篇の冒頭では女子社員の容姿が勤労意欲にも関ると公言―実際、双方向に関らなくはないんだが―し、あまつさへ山田が江梨に電車痴漢を働いた特大不祥事の詫びに、公子を近松に差し出すに至つては言語道断。息を吸つて吐く感覚の、無造作なミソジニーが今となつては到底素面で呑み込める代物ではない。保守を標榜する分際でらしからぬ綺麗事をいふやうだが、2020年に初めて触れて、流石に首を縦には振り難い一作。それでも俺は、今でもこの映画が大好きなんだよといふリアルタイマーの諸兄に於かれては、当然尊重するに吝かではない。誠実に、葛藤してをられるのであれば。美しい夢物語から意図的に女の裸を排したものなのかも知れないが、ハネ超での締めの濡れ場を堂々と撃ち抜けなかつたか撃ち抜かなかつた、匙加減ないしメガホン捌きには、裸映画的な疑問が時代の如何を問はず残る。あと少々ブッた切つたとて、電車で繋げば何とかなる、といはんばかりの雑な展開にも。


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 「お元気クリニック 立つて貰ひます」(昭和63/製作:獅子プロダクション/提供:にっかつ/監督:渡辺元嗣/脚本:平柳益実/原作:乾はるか 秋田書店刊 プレイコミック “お元気クリニック”より/企画:角田豊/撮影:志賀葉一/照明:田端功/編集:酒井正次/助監督:橋口卓明/監督助手:小原忠美・瀬々敬久/計測:宮本良博/撮影助手:中松敏裕/照明助手:金子高士/スチール:津田一郎/美術協力:佐藤敏宏/録音:銀座サウンド/現像:東映化学/出演:滝川真子・螢雪次朗・水野さおり・秋本ちえみ・黒沢ひとみ・川奈忍・ルパン鈴木・ジミー土田・橋本杏子・下元史朗)。
 原作準拠ならばもう仕方もないが、何の意味があるのか全く判らない平安開巻。竹取の翁(下元史朗のゼロ役目)が竹林に入ると、凄まじい流れ星が間近に着弾。光り輝く竹を切つてみたところ、中から金太郎ルックのキューピーが現れる。迸る、何が何だか感。産声代りに金太郎キューピーが大射精、満月は赤く発光する。暗転して昭和末期の東京、“現代に於ける性の悩みは”云々と最短距離のイントロダクションを通過して、都内某所にあるセックスクリニック「お元気クリニック」。三ヶ月分溜めた家賃を取り立てに来た大家の美留野緒奈(黒沢)を、院長の御毛栗触(螢)と看護婦の多々瀬ルコ(滝川)があれよあれよと診察椅子に座らせての、正直グッダグダに火蓋を切る巴戦にクレジット起動。とりあへず完遂、これでまた三ヶ月とか高を括る御毛栗に、ルコが同調して乾はるかのイラストを使用したタイトル・イン。へべれけなアバンに、激しく覚えた危惧は残念ながら外れない。
 半ば白旗を揚げるかの如く配役残り、橋本杏子はタイトル明け診察を受ける、大巨根の夫(一切スルー)に先立たれて以来、絶頂知らずの“イカず後家”・タミコ。イカず後家といふのは劇中用語ママ、あんまりだろ。マンガでは、真央元のやうなチンコそつくりの頭といふ設定になつてゐる御毛栗と、所謂スカルファックを豪快な模型を用ゐて敢行する。何時まであつた小屋なのか、新宿にっかつから「矢張りにっかつ映画は勉強になるは」だなどと、ある意味外様ならではなのかな自画自賛を爆裂させ出て来るルコに、石田(ルパン)と篠崎(ジミー)の義兄弟が目をつける。アイドルのスカウトと称して連れ出したルコを、鉄橋下にて二人がかりで手篭めにしようとする現場に、トレンチをキメた松平政雄(下元)が介入。折角カッチョよく登場したにも関らず、松平が「うーやーたー」の掛け声でスーパーマンと金太郎を足して二で割つた意匠の、キンタマンに変身する始末、下元史朗に何をやらせよんなら。兎も角ルコが松平に心奪はれるお元クリに、まさかの当人が来院。実は童貞の松平が巡らせる、雑なイメージだか回想。セーラー服の秋本ちえみが学校の間の聖子で、バニーガールの川奈忍がクラブの間の宇佐子に、修道服の水野さおりが教会の間の真里亜。兎も角、あるいは改めて橋本杏子が、女王の間に鎮座するマドンナお京。
 渡辺元嗣昭和63年第三作は、買取系最終第三作。といふか、同年ロマポ自体が終焉する。乾はるかの出世作『お元気クリニック』の映画版、となると如何にも「コミック・エロス」的な企画にも思へ、必ずしもさう謳はれてゐる訳ではない。ピンナップ・ガールばりのスーパー通り越したエクストリームにグラマラスな女が、乾はるかの常にして主兵装ではあれ、それが滝川真子かよ!といふ脊髄で折り返したツッコミは、強ひて呑み込む。ツイッターを窺ふに、AVをレンタル開始が待てなくてDVDで買ふほどの乾はるかが、自身の生み出したヒロインを滝川真子が演じることに対して当時如何に捉へてゐたのか、尋ねてみたくなくもない。
 一旦は凄まじい裸要員三連撃かと見紛はせた、水野さおり×秋本ちえみ×川奈忍が手短に駆け抜けるジェット・ストリーム・アタックを象徴的に、少なくとも獅子プロ的にはオールスター的な布陣を構へてゐながら、前半は雑然としかしてゐない。寧ろ最初から十全に語つておかない構成が不可解な、郊外の高台にある特殊浴場「エロチック・マウンテン」で極度の早漏をマドンナお京以下四名の嬢に嘲笑された松平が、ルコとの特訓を経て哀しい過去の克服に挑む。後半漸く本筋が起動すると物語は求心力を取り戻し、ルコ・御毛栗を伴ひ再度エロチック・マウンテンに乗り込んだ松平が聖子から順々に撃破して行く展開は、安い美術には目を瞑れば釣瓶撃たれる濡れ場のテンションは何れも高く、少年誌のバトル漫画を、大人の量産型娯楽映画で形にした風情と興奮に溢れはする。尤も、マンガ映画なんだから、こんなもんでいいんだよ。さう開き直つてしまへばそれまでともいへ、そこかしこといふか要は逐一のチャチさと雑さは如何ともし難く、2020年視点で触れる分には、結局ナベが滝田洋二郎にはなれなかつた、限界なり壁のやうなものが透けて見えて来るのも否めない。折角二人が揃つてゐる割に、螢雪次朗と盟友であるルパン鈴木が、同じフレームに納まるカットが設けられないのも矢張り寂しい。ついでといつては何だが、何処からでも主演を狙へる、何気でなく超攻撃的な女優部。滝川真子とともに本篇の最初と最後を飾る黒沢ひとみの働きを見るに、水野さおりから川奈忍までの、完全にランダムとしか思へないビリングには軽く疑問を残す。

 そんな中、明後日か一昨日なハイライトは、松平のエロマリベンジ戦に於ける教会の間。自在にコントロールするに至つた―しかもロングレンジ―射精の狙ひ撃ちで、松平が祭壇の蝋燭を消すのに続きキリスト像にぶつかけると、十字を切つた御毛栗が「ザーメン」。バチカン激おこ、だからそんな映画撮つててどうなつても知らんからな。


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 「エイズをぶつ飛ばせ 桃色プッツン娘」(昭和62/製作:獅子プロダクション/提供:にっかつ/監督:渡辺元嗣/脚本:平柳益実/企画:塩浦茂/撮影:志賀葉一/照明:守田芳彦/編集:酒井正次/助監督:笠井雅裕/監督助手:五十嵐伸治・横田修一/色彩計測:稲吉雅志/撮影助手:中松敏裕/照明助手:田端一/スチール:津田一郎/録音:銀座サウンド/現像:IMAGICA/主題歌:“桃色プッツン娘”作詞:川上謙一郎 作・編曲:西田一隆・近藤正明 唄:滝川真子/出演:滝川真子・橋本杏子・山口麻美・藤冴子・ジミー土田・池島ゆたか・山本竜二・螢雪次朗)。出演者中、山口麻美と藤冴子が本篇クレジットのみで、逆にポスターにのみ秋本ちえみ。大分派手なやらかしに紛れ、池島ゆたかがポスターには池島豊、何処まで自由なのか。
 雲に隠れる満月がファースト・カット、時は江戸。水を浴びる滝川真子に、左手が藪蛇に手の込んだ金属製義手の螢雪次朗が忍び寄る。月姫(滝川)からいはゆる逆夜這ひを仕掛けられた、若侍が次々と死に至る怪事件の捜査を家老から依頼された包茎坊(螢雪次朗のゼロ役目)は、逆回転や壷の内側視点の魚眼レンズ等、案外サマになるプリミティブ特撮を駆使して月姫を壷の中に封じ込める。折角封じ込めたのに、その壷をいとも容易くその場に放つて帰るのは無造作なツッコミ処、本気で退治する気あんのかよ。無念を嘆く月姫護衛のくノ一・熊笹(山口)が、天変地異的な現象に見舞はれて赤バックのタイトル・イン。明けて―三十三年前の―現代、専門商社「任賑堂」、何の専門かは等閑視。エイズ騒ぎで歓楽街に閑古鳥が鳴く世風に触れつつ、社内に二人きりのプログラマ―といふ設定に、特段の意味は一欠片たりとてない―である屋上松太郎(ジミー)と横島英司(山本)の顔見せ、特定不能のもう二人見切れる。レス・ザン・モチベーションな横島が医務室に行くと称して平然と油を売りに行く一方、袋小路社長(池島)の令嬢・菊乃(橋本)が、大学生なのか専門商社のレポートを書くといふので社内見学に現れる。横島が会議室でサボつてゐると蛍光灯が点滅、観音様を光り輝かせた熊笹が、所謂おつぴろげジャンプ的に、あるいはフライング顔面騎乗を横島に直撃させる形で飛び込んで来る。それ、なのに。即座にオッ始まる濡れ場に際しては、熊笹が何故黒い下着を着けてゐるのか。兎も角熊笹と致した横島は、案外クオリティの高い吹き出物メイクとベタな隈取でゾンビ化。横島が担ぎ込まれた任賑堂医務室の産業医・異常愛作(螢)は一瞥するや、「まるでこりやエイズだ」とか大雑把極まりない臨床診断を下す。配役残り藤冴子は、医務室の看護婦・七本樫。螢雪次朗の異常愛作医師といふと、確認出来てゐるだけで九作前の昭和61年第二作「ロリータ本番ONANIE」(脚本:平柳益実/主演:大滝かつ美)に続いて二度目、但しここでの七本樫は、藤冴子ではなく清川鮎。異常も異常で左手が、包茎坊と同じ義手になつてはゐない。
 渡辺元嗣昭和62年第四作は、第一作「痴漢テレクラ」(脚本:平柳益実/主演:滝川真子)から二本空けての買取系第二作。三百年の時空を超えて、江戸時代から滅法男好きなお姫様とくノ一がエイズ?を持つて来る大騒動。といふと一見如何にもナベシネマらしい趣向にも思へ、昭和末期の獅子プロ作をある程度数こなしてみるに、俳優部の近似も踏まへれば尚更、偉大な兄弟子である滝田洋二郎の背中を渡邊元嗣が追ひ駆けてゐた風情が窺へなくもなく、当時的には寧ろ、至極当然にさう看做されてゐたのかも知れない。それはさて措き、さて措けないのが映画の仕上り。盛大な超風呂敷を広げ倒しておいて、ものの見事にといふか、より直截には見るも無惨に畳み損なふ。端的に酷い、一言で片付けると酷い。結局月姫と熊笹が伝染すゾンビ的な奇病が、単なる過労で形がつく豪快な方便は豪快すぎて理解に激しく遠いどころか、そもそも全く以て説明不足、こんなもの理解出来る訳がない。無理から一件を収束させての、各々の行く末に関してはナレーションの日本語からへべれけ。画は菊乃と熊笹であるにも関らず、“月姫と熊笹はこの現代に新しい安住の地を見つけたやうだつた”と観客を煙に巻き、改めて“そして月姫は”と月姫―と松太郎―の着地点に入るのは、最初の月姫が余計であつたやうにしか思へず、公園で他愛ないチャンバラに戯れる画を見る限り、“新しい安住の地”の中身もてんで判らない。月姫の松太郎に対する呼称が一貫して“殿”であるのに呼応させての、ジミ土がバカ殿になるクッソ下らないオチは、一旦失せた呆れ果てる気力が、グルッと一周して腹が立つて来る。それ以前に、例によつて過剰な山竜のメソッドを主に姦しい意匠と劇伴から徒にラウドで、おちおち女の裸さへ満足に愉しませさせない体たらく。ピンクと買取系と本隊ロマポ、三者の大まかな序列がリアタイ如何様に捉へられてゐたのかは知らないが、決然と斬つて捨てるとピンクの顔に泥を塗る一作。いつそ買取拒否されてゐれば、平然とか臆面もなく新東宝から配給されてゐたりもしたのかな。


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 「痴漢テレクラ」(昭和62/製作:獅子プロダクション/提供:にっかつ/監督:渡辺元嗣/脚本:平柳益実/撮影:佐々木原保志/照明:金沢正夫/編集:酒井正次/助監督:笠井雅裕/監督助手:瀬々敬久・五十嵐伸治/色彩計測:図書紀芳/撮影助手:中松敏裕/照明助手:渡部豊/スチール:津田一郎/録音:銀座サウンド/現像:IMAGICA/協力:テレフォン ショッキング 新宿/出演:滝川真子・橋本杏子・秋本ちえみ・小林あい《ロマン子クラブNo.4》・ジミー土田・池島ゆたか・山本竜二・下元史朗)。出演者中、小林あいのロマン子特記と下元史朗は本篇クレジットのみ。
 新宿の高層ビル群をグルグル抜いたカメラが、ガード下にグワーッと寄る。車が動かず遅刻する旨担当ディレクターに電話を入れる、FM埼京DJ・朝雲アキ(滝川)の傍らでは、若崎綾乃(小林)がテレクラ。とりあへずの話が纏まり、スキップで捌けて行く綾乃にアキは何となく心奪はれる。山川勇(ジミー)と接触した綾乃が「ウッソでせう!?」と目を丸くする繋ぎで、IMAGICA現像であるにも関らず、少なくとも玄関周りのロケには相変らず東化を使用するFM埼京。ビリング順にアシスタントの桑江沙世代(秋本)、先に軽く声は聞かせたディレクターの天草貞時(池島)とADの大河内伝三郎(山本)に、あと笠井雅裕ともう一人初老が見切れる、生放送直前の慌しいスタジオ。ラジオなのにレオタードの衣装に着替へたアキが、机上でガッンガン大股もオッ広げて人気番組「朝雲アキのみんなはソレを我慢できない」のタイトルコールと、「ボッキボッキ勃起行かうぜーイヤッホー」だなどと出鱈目に絶叫する画を止めてタイトル・イン。だからラジオなのに、ブースの中にはミラーボールが提がつてゐたりもする闇雲さが清々しい。
 いふほどの物語もないゆゑサクサク配役残り、ポスターに載つてゐないのが謎な下元史朗は、芸歴二十五年、元映画スターのF埼DJ・ムッシュ大熊。陽性といふかハッチャケ倒す「みんソレ」とは対照的な、明示的に「JET STREAM」を模した―のち山川に対して使用する偽名が城達也―「ムッシュ大熊の君だけにグッドナイト」を担当、新番組パーソナリティーの座をアキと争ふ。大概ぞんざいに投入される橋本杏子は、商売の邪魔になるとかテレクラを敵視するパン女・藤木潤。
 三月中旬のシネロマンから結構間を開けず地元駅前ロマンに着弾した、渡辺元嗣昭和62年第一作にして、全三作の買取系第一作。痴漢要素は正直絶無、テレクラも本筋に絡んで来なくもないとはいへ、基本線はラジオ局を舞台に繰り広げられる、ナベらしいといへばナベらしい大雑把なコメディ。四本柱を全員疎かにしはしない、潤沢な濡れ場も流石にかうなると諸刃の剣。ただでさへピンクと殆ど全く変らない、六十三分弱から残り尺が激しく削られる中、大役を巡るアキと大熊の相克は、元々構図も単純でまだしもすんなり通る。尤もカーセクロスの最中も「みんソレ」を聴き続けた結果、事後綾乃を憤慨させるほどの山川が―綾乃を捜してゐた―テレショ実店舗にてよもやまさかアキからの電話を被弾する件辺りから、俄かに展開はへべれけかしどろもどろに錯綜。木に竹も接ぎ損なつたかに思はせたハシキョンが、予想外の慧眼を発揮する形でギリッギリ持ち堪へる一方、果たして怪音源を作成し、アキを貶めようとしてゐるのは何者なのか。直截なところ、普通の俳優部を起用した上で、整理して演出すればもう少しでなく幾らでも綺麗に成立した脚本にも思へつつ、大胆にグルッと一周させた禍を芳醇な嘉福にブチ込むのが、山本竜二の偏執的な突破力。探せばまだほかにも出て来る気がする、ゾンビ化した山本竜二が大暴走。強制的に廃業させ自分のものにするつもりであつたアキを拉致し、F埼社用車で逃走した大河内は、自身がNSP方式で作成したアキのエロ音声と、大熊が放送禁止用語を連呼する放送前ウォーミングアップの録音とで翌年のジャンピン・ジャック・パイレーツを完全に凌駕する、豪快な電波ジャックを敢行。ハイエースをブッ飛ばしながらの、「大河内伝三郎、一世一代の海賊放送ヤッタルワーイ!」のシャウトは、紙一重で映画を木端微塵にしかねない破壊力と引き換への、山竜一撃必殺のエモーションを撃ち抜く。忘れてた、走行中の天井から車内に侵入する、何気でないスタントをジミ土も大披露。画期的な足の短さに節穴を曇らされたか、高さうには決して見えないが、案外身体能力満更でもないのかも。俄然勢ひを取り戻すクライマックスで無理から立て直すと、強引な大団円にオーバーランで滑り込む。終盤までのグダり具合からすると鮮やかな幕引きが寧ろ不思議にすら思へる、終りよければの精神が唸りを上げる一作である。


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 「売春婦マリア」(昭和50/製作・配給:ミリオンフィルム/監督:若松孝二/脚本:出口出/撮影:伊東英男/照明:磯貝一/編集:エディ編集室/録音:杉崎喬/助監督:高橋伴明/撮影助手:遠藤政史/照明助手:萩原範敏・原田政幸/?:菊地好夫/効果:秋山実/出演:中島葵・市川貴史・今泉洋・野上正義・国分二郎・坂本昭・星乃宏美・仁科鳩美・小林健作・黒渕達男・斉藤進・渡辺光春)。例によつてスタッフで一括るクレジットにつき、菊地好夫の担当には辿り着けず、現像に該当する名称が見当たらないのは本篇ママ。脚本の出口出は若松プロの共有ペンネームで、今回は高橋伴明の変名。製作ともミリオンとしたのは若松プロ特記が見当たらないのと、jmdbに従つた。
 新宿ゴールデン街、ネタに窮した『女性現代』誌記者の藤田瑞穂(中島)は、懇意のスナック店主・ゴッちやん(坂本)に新宿も大人しい街になつた云々愚痴をこぼす。受けたゴッちやんの切り口が、「美少女の売春婦なんてのはどうかねえ?」。素人で、身銭がなくなると小遣ひ代りに三千円で男に身を任す。“新宿マリア”と呼ばれるその女は、ピントの向かうのボックス席に実は既に座つてゐた。とかいふ次第でマリアこと後々明らかになる本名はヨシノマリ(星乃)の、物憂げなアップを抜いてそのまゝタイトル・イン。よくいへばアンニュイな、直截に脊髄で折り返すと草臥れた主演女優の面相は、昭和50年当時、果たして素面の美少女で通つたのであらうか。
 「僕はもう、ポルノ映画は撮らないよ」。マリアの取材をぼちぼち進めつつ、瑞穂が軸足をテレビに移す演出部・宮川(野上)との結婚の準備を進める中、何事か追はれてゐる風情の鈴木ヒロシ(市川)が、とりあへず一息ついた店でマリアと出会ふ。商売後も何も詮索しないのを気に入られマリア宅に招かれた鈴木は、ベルボトムの腰に回転式を差してゐた。
 配役残り、何気に作中最強の美人に映る仁科鳩美は、宮川の浮気相手、枕で営業する俳優部。瑞穂の射殺事件を捜査してゐるかと思ふと、鈴木兄貴分の梅岡(一欠片も登場せず)らを追つてゐたりもする。終盤に飛び込んで来る今泉洋は一課なのか公安なのかよく判らない官憲で、国分二郎が相棒。小林健作以下は、特定不能ながらマリア客要員と見て頭数は合ふ。
 最後の五都道県の対新コロ緊急事態宣言も明日には解除されるとなると、土台アバウトな期間限定も終りを見据ゑて行かないとならなくなるのか若松プロVODで、若松孝二昭和50年第二作。jmdb準拠だと、既にロマポでブレイク後の中島葵初ピンク。謎なのがウィキペディアの、中島葵が“独立系ピンク映画にも多数出演”してゐるとする記述。jmdbを眺める限り、片手で足るのだが、大量に洩れてたりするんかいな。それは兎も角序盤で女の裸が銀幕に載る尺をしこたま稼ぐ、中島葵と野上正義による大熱戦の入り。部屋が赤々しく点滅するのがこれは全体何のリフレクションなのかと首を傾げてゐたら、以降も随所で同様の現象が多発。要は、劣化したプリントが激しく褪色してゐるだけであつた。
 パン女・ミーツ・テロリスト、といつて、全篇をパレスチナ歌謡が貫くほかは、概ね徒にポリティカルな方向に振れてみせるでもなく。都会の片隅で出会つた行きつぱぐれた二人が、偶さかの蜜月を過ごして、呆気なく弾け散る。星の数より多さうな物語が、満更でなく実を結ぶ。発作的に瑞穂を射殺し、新宿の路地裏を手と手を取り逃げる疾走感。マリアは逃がさうとする鈴木に、マリアが叫ぶ「アタシには明日がないつていつたでせう!」。別に、さういふ内容の発言をマリアが鈴木にするシークエンスが、事前に設けられてゐる訳では必ずしもないものの、些末に一々立ち止まるな。「アタシには明日がないつていつたでせう!」、「だからアタシの好きにさせてよ!」。時代を超えて、新宿マリアが撃ち抜く剝き出しのエモーションこそが全てだ。単館に於いての上映時には、ラストの―マリアが腕を撃たれただけで死ぬ―無防備な銃撃戦に失笑が起こつたさうだが、より頓珍漢なのはその少し前。詰まらない万引きを犯し、富士宮警察から釈放され鈴木が潜伏するアジトに向かふマリアを、今泉洋と国分二郎が尾行。ところが林中のどストレートな一本道で気づかれて、誤魔化すもへつたくれもないだらうといふ間抜けなカット。オーラスの拳銃のアップが、どう見ても弾倉に弾が入つてゐるやうに見えないのは、だから神の宿らぬ細部など気にするな。裸映画的にはドラマの主役は星乃宏美に譲つた格好の中島葵が、濡れ場でビリングを回復する構図はピンクならではといへ感興深い。絡みがいたつて淡白な星乃宏美と、束の間を駆け抜ける三番手。ガミさん相手の質量とも藪蛇もとい闇雲に充実した長丁場で、中島葵が一人大いに気を吐く。のは認めるものの、ただ一点通り過ぎるに難いのが開巻即目を疑ふ、長さから派手に短い、チリッチリに当てた中島葵の壮絶な大仏パーマ。どうかした髪型が流石に攻めすぎだと思ふ、不細工に見せる方不細工に見せる方に突つ走つてしまつてゐる。

 これ今気づいたのが、よくよく考へてみるに、定石からすると日本シネマなりミリオンに買ひ取られたものを、とうの昔に消滅したのをいいことに、若松プロが勝手に配信して金儲けしてゐる形にならないのか?現存する国映には、話を通してゐるのかも知れないけれど、もしかしたら。いやいやいや、待て待て待て。ex.ジョイパック―がex.ミリオン―の、ヒューマックスも現存してるだろ。


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 「色情家族」(昭和46/製作・配給:国映株式会社/監督:若松孝二/脚本:出口出/企画・制作:矢元一行/撮影:伊東英男/照明:磯貝一/編集:宮田二三夫/助監督:吉積め組・斉藤高五/撮影助手:高間賢治・福井通雄/照明助手:北村一雄/効果:創音社/録音:目黒スタジオ/現像:東映化学/出演:香取環・林美樹・武藤洋子・宮下順子・市村譲二・矢島宏・島たけし・今泉洋)。
 確か配給もした際に使用する、燃え盛る国映ロゴ。一度か二度見覚えもあるけれど、最後に使つたのは何の時になるのかな。帰宅した自衛隊要職に就く嵯峨栄(今泉)が、妾に産ませた三姉妹の三女・春子(宮下)に帽子と上着を渡す。和服に着替へた栄は、家の様子を春子に尋ねがてら“何時ものやうに”机上に半裸で横たはらせた娘を弄る。手前花で腰から下を隠した別室、長男で司法関係と思しき晴一(市村譲二/a.k.a.市村譲)が三姉妹長女の秋子(林)を抱き、更に別室次男でカメラマンの康二(矢島)も、三姉妹次女の夏子(武藤)を抱く。栄に対する春子の報告が再三再四リフレインされる、「何も変りありません」。秋子らも、変らない日常に揃つて諦念を滲ませる。一方、兄弟の母親、即ち栄の正妻・えつ(香取)が乳も放り出して激しく苦悶し、傍らでは三男の昭三(島)が、詰襟で立ち尽くす。追ひ討つ薬を飲ませられた、えつは終に事切れる。退室した昭三が廊下で、春子と鉢合はせてタイトル・イン。ところで今作、香取環が轟然と飛び込んで来るカットの跨ぎ以降、暫し画面が色彩を失するパートカラー。それと、後に昭三が秋子・夏子を指して義姉さんとしてゐる点を窺ふに、各々晴一・康二と結婚してゐる模様。と一旦思ひかけたが、腹違ひでも姉さんはあくまで姉さんである以上、最終的に婚姻の有無―三姉妹が戸籍の上では父親の欄が空白な婚外子につき、出した届は一旦通る―は矢張り不明。
 斎場から秋子が出て来るロングに、起動するクレジットが凄まじい。“作つた人達”の一括りで矢元一行・出口出・伊東英男の順に、個人・団体問はず俳優部通過して若松孝二までを、数も含め所々入る中点でアクセントをつけつつ、それぞれの担当は端折つてズラーッと一列。“作つた人達”とかいふ子供相手のやうな十把一絡げにも腰が砕けるが、斯くも画期的かプリミティブなクレジットにもさうさうお目にかゝれまい。実際の塩梅―は縦に並ぶ―を併記すると、“作つた人達 矢元一行・出口出・・伊東英男 磯貝一 宮田二三夫 吉積め組 斉藤高五 高間賢治 福井通雄 北村一雄・創音社 目黒スタジオ 東映化学・・・香取環 林美樹 武藤洋子 宮下順子 市村譲二 矢島宏 島たけし 今泉洋・・・・若松孝二”となる。えつの葬儀には出なかつた康二―jmdbには健二とあるが、劇中では康二―が家系図を書き殴り、“妾の娘を三人また妾に”した父親から、払ひ下げられた女と兄弟が“ごしごしセックスに明け暮れ”た末に、母が狂死した嵯峨家の現状を整理する。呼び出されその場に現れた秋子を、康二は犯す。
 基本的に残らない配役残り、何某かの―非合法な―政治活動に身を投じてゐた夏子の同士の若い男と、康二がヌードを撮影する、ナンシー・アレンみたいなパーマ頭のモデルは、クレジットに通り過ぎられては手も足も出しやうがない。
 いはゆる期間限定の、限定具合がへべれけにアバウトな若松プロのVODに絡めた国映大戦第三十戦、若松孝二昭和46年第五作。原題らしき「性家族」で登録されてゐるjmdbと、今回配信された動画では尺に五分の開き―当然jmdbの方が長い―があり、「性家族」と「色情家族」がタイトルだけ違ふのか幾許か手を加へてゐるのかが判らないが、現に、あるいは兎にも角にも。話を辛うじて見失ひはしない程度に、全篇そこかしこでブッツブツ飛び倒す。
 えつの死を契機に、栄を絶対的な頂点に据ゑた嵯峨家の秩序が揺らぎ始める。権力構造の崩壊、より直截には転覆。支配者に対するレイジといつた主題は、若松孝二の名前から平板に脊髄で折り返せば御家芸にも思へ、時代の空気か単なる当サイトの資質か、2020年のこの期に触れてなかなかおいそれと呑み込める筋合の代物でもない。何はともあれ、無闇な家長の支配力も兎も角、矢鱈な家人の無力感が甚だしく理解に遠い。何か、君等その屋敷出たら、時限発火する爆弾でも体に埋め込まれてゐるのか。寧ろ、嵯峨家を覆す力の源が長兄と次兄に対し、春子を宛がはれなかつた昭三の、ルサンチマン面した要は拗らせた性欲ででもあつて呉れた方が、ピンクである以上尚更しつくり来る。そもそも、若松孝二的にドラマ上はよしんば十八番といへるものであつたにせよ、それと裸映画としての評価は全く別。絡みに費やす、物理的時間自体は決して短くないどころかそれなりに潤沢である割に、真面目に濡れ場を撮らうとする貪欲なり誠実さを殆ど全く窺へさせない。お門違ひ?ふざけるな。女の裸を措いて求めるものなど、ピンク映画にあつて堪るか。秋子を断罪した返す刀で牙を剝いてはみたものの、栄にケロッと手篭めにされる夏子が、自らを奮ひ立たせるべくインターナショナルを歌ひ始めるシークエンスの、壮絶な頓珍漢さには正直頭を抱へた。こんな代物で勃つのかだなどと、いはずもがなはこの期に申さん。仮に当時これはこれで受けたのであれば、それが受けた偶さかに一抹程度の感興ならば覚えながらも、俺には関係ない。


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 「スージー明日香 緊縛の舞」(昭和61/製作:ローリング21/配給:新東宝映画/監督:渡辺護/脚本:しらとりよういち/企画:渡辺護/撮影:志村敏夫/照明:石部肇/編集:田中修/音楽:飛べないアヒル/現像:東映化工/録音:銀座サウンド/助監督:塙幸成・大野芳嗣/撮影助手:古谷巧/照明助手:山田一/出演:スージー明日香・更衣詩子・風原美紀・堺勝朗・田村寛・岡大介)。
 古民家の白黒画に、ローリング21クレジット。直ぐ様カラー復帰、地味に尻がエロい女中が階段を上がり、別の女の観音様を背負つた背中にタイトル・イン。彫師の九条清治(堺)が、根を詰めて久子(スージー)の背に観音を彫る。女中の一枝(更衣)が告げる薬の時間を無視しつつ、ある意味定刻に発作を起こした九条は昏倒。慣れた風情で、一枝が口移しで粉薬を飲ませる。中略して久子の肌の、朱の発色に不満を覚え煮詰まる九条は、一枝が顔色を変へる“あの男”の招聘を思ひたつ。
 配役残り、口跡だけなら津田寛治の岡大介は、飲み屋を潰した借金の形に、久子を九条に売つたクソ亭主・安夫、体を表す名が清々しい。口跡だけなら津田寛治なんだけど、千鳥足も別の意味で覚束ない大根。風原美紀は、目下の安夫の情婦・ひろ子、夜の女。精一杯、ただの濡れ場三番手で済ませようとはしなかつた、節は窺へなくもない。そしてティアドロップが戯画的に似合ふ佇まひは悪くないものの、一言でも口を開くや下卑た地金が出てしまふ田村寛が、九条が呼び寄せた縄師・流山童子。
 四月七日に緊急事態宣言が発令されて以降も、十二日までは営業を続けてゐた福岡県下映画館最後の砦たる地元駅前ロマン―とパレス―が、遂に十三日からクソ国は補償もしやがらない休業に突入。そのため、ex.DMM戦で十七日から来る予定であつた渡辺護昭和61年第一作、残りは買取系とミリオンの全三作。
 何時の間にか見初められてゐた彫師に売られた女が、何時の間にか縄の味を覚える。言葉の響き的にはより眼力に近い、堺勝朗の目力。何時の時代でも十二分に戦ひ得よう、粒の揃つた女優部と、あくまで汚くはならなくも苛烈な、見応へある責めの描写。丹念に積み重ねられた一幕一幕が、ある程度深い映画的充実を湛へる、にせよ。白鳥洋一が何処まで書いてゐたのか、あるいは渡辺護がどれだけオミットしたのか。一枝の外堀は九条と流山双方向にまるで埋められず、篭の鳥があまりにも判り易すぎて、寧ろ暗喩だとは思ひたくないひろ子周りのありがちなシークエンスは、三文に値引きされる。久子に至つては彫られ縛られする内に、勝手に開花した印象、狂ひ咲きか。状況的にはハードランディングともいへ、定番みの色濃いラストに大人しく収まるとあつては、よくいへば広い行間に余裕を持たせた、直截にはモサーッとした作劇が、最終的には薄さか安さを露呈してしまふ印象が強い。当時的には最先端であつたのであらうが、ダサいシンセがその癖下手にラウドに鳴る劇伴は聞くに堪へず、仕出かしたスタッフの足下が映り込むだとか、九条の刺し棒で頬を切られた安夫が、その前に何某か刺したのか刺さなかつたのかゴチャゴチャしてよく判らない。終始狙ひ過ぎかねないほどキメッキメに画角と距離に凝り倒す割には、選りにも選つてクライマックス近辺で激しく出来の宜しくないカットが散見されもする。殆ど積極的に観るなり見てゐないといふのも否定はしないが、橋が転ぶと祭り上げられる渡辺護といふ映画監督を、当サイトはこの期の未だに理解してゐない。

 逆の意味で見事なのが、調教の目処のついた久子に対し、九条が「女といふものはな、男に愛されるやうに出来てゐるものなんぢや」、“なんぢや”ぢやねえよ。現在の、所詮は偶さかな価値観で過去を一方的に裁断する悪弊に関しては、保守を標榜する以上なほさらいはれなくとも忌避するところであれ、流石にこれには震へた。その煌びやかなまでの旧さをこそ尊ぶか勿体ながるべきなのかも知れないが、正直付き合ひきれない。浜野佐知は、この手の人等と戦つてゐた、もとい今も戦つてるんだらうな。


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