真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「緊縛色情夫人」(昭和55/製作:わたなべぷろ/配給:新東宝興業/監督:渡辺護/脚本:小水一男・縞田七重/撮影:鈴木志郎/照明:近藤兼太郎/編集:田中修/音楽:飛べないアヒル/助監督:加藤繭・塩谷武津奈・根本義博/撮影助手:遠藤政史/照明助手:佐久間照男/効果:東京スクリーンサービス/録音:銀座サウンド/現像:ハイラボセンター/協力:上板東映/出演:高原リカ・竜本寿・市村譲・五月マリア・広田清一・丘なおみ)。出演者中、広田清一は本篇クレジットのみ。逆に、あるいは何故か。旧版ともポスターには名前の載る佐野和宏が、本篇には鮮やかなくらゐ影も形も出て来ない。声だけでも気づく自信があるのと、全体何でまた、しかも佐野が湧いたのか。
 夜景にプアンと一発電車の汽笛鳴らして、オッパイを抱き隠した高原リカが横になり、男の手がおパンティを弄り始める。同じゼミ生の利彦(滝本)と奈美(高原)がホテルに入る、奈美は、初めてだつた。ホテル街の朝、擦れ違つたオッサンから冷やかされつつ、訳の判らないキレ方をした奈美は一方的に別れを告げて去り、利彦は女の扱ひ方に軽く途方に暮れる。大学にも行かず、上板橋駅に降り立つた利彦は丘なおみが渡り始める横断歩道に通りすがる、唐突な引きの画で人妻の千鶴子(丘)に心奪はれ、狂ひ咲く上板東映までついて行く。
 配役残り、それなりに仲良くはなつたのち、実は結構近所な千鶴子に付き纏つた利彦が、結局その日は手ぶらで帰宅すると大絶賛真最中の広田清一と五月マリアは、利彦に九時まで部屋を借りる約束の友人・ヒロシと、その一応彼女・ハルコ。ヒロシ曰く、ハルコはラッタッタ。そのこゝろが、「誰でも簡単に乗れまーす」。ところでこの広田清一、既視感のある顔だと思つたら、中村幻児昭和56年第二作「セミドキュメント 特訓名器づくり」(脚本:吉本昌弘・伊藤智司)の和田家長男・総一郎役の広田性一と同一人物、性一て。市村譲は、一歩間違へば死んでしまはないかと心配になるほどの、苛烈な責めを日々千鶴子に加へる夫・輝雄。八作前の「団地妻を縛る」(脚本:小水一男)と全く同じ組み合はせで、限りなく全く同じ造形の夫婦である、今回は戸建に住んでゐるけれど。その他上板東映に、観客部を若干名投入。「あのう済みません、僕途中から入つちやつて」、「あの男あの女の何なんですか?」。上映中の映画―渡辺護の、「をんな地獄唄 尺八弁天」(昭和45)らしい―に関して質問を投げる、利彦の斬新なナンパに乗つた千鶴子は、割と底を抜く二分の長尺を費やしヒロインの心情をああだかうだ、要は詳らかに自作解説。煩えなと後方から至極全うなレイジを飛ばす、モッジャモジャのパーマ頭に上映中の場内でもティアドロップをキメた、まるで遊戯シリーズの頃の優作みたいな男が見切れるのは誰なんだろ。
 最早ほかに打つ手もないのか、“懐かしの新東宝「昭和のピンク映画」シリーズ!”で渡辺護昭和55年第十四作。ビリング頭が豪快に三十分退場する間、主人公が出会つた肉感的な人妻の体のそこかしこには、痛々しい縄の跡があつた。モラトリアムを拗らせ人妻に入れ揚げる青年の周囲を、仲良く飄々とした男女三番手が呑気に賑やかす。利彦でなくとも理解に難い、情緒不安定ばりに甚だしくランダムな奈美の言動がそもそもなアポリアではあれ、そこに捕まると恐らく禅問答。如何にもありがちな構図の物語はいざ絡みの火蓋を切るや質的にお量的にも十全に見させ、殊にゴッリゴリ押し込んで来る力技通り越し荒業のサドマゾを主兵装に、裸映画としての腰の据わり具合は案外比類ない。にしては、全般的な湿つぽさなり不用意に豊かな情感が、寧ろ煩はしく感じられなくもないものの。「アタシ何でもする」と健気に膳を据ゑる奈美の言葉に、利彦の野郎は邪に起動。カット跨ぐとブルータルにフン縛つてゐたりする、クッソ外道な締めの濡れ場とか殆どギャグに近いのだが、加速して文字通り縄で縄跳びする奈美のカット挿んで、何処にも誰もゐない噴水のロングに“終”が叩き込まれるに及び、映画の底は何だこれの領域にスッコーンと突き抜ける。


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