「痴漢電車 みだらな指先」(昭和63/製作・配給:新東宝映画/監督:深町章/脚本:周知安/企画:伊能竜/撮影:志賀葉一/照明:小田求/編集:酒井正次/助監督:笠井雅裕/監督助手:五十嵐伸治/撮影助手:中松敏裕/スチール:津田一郎/録音:銀座サウンド/現像:東映化学/出演:橋本杏子・堀河麻里・しのざきさとみ・秋本ちえみ・いわぶちりこ・池島ゆたか・山本竜二・小杉甚)。脚本の周知安と企画の伊能竜は、それぞれ片岡修二と向井寛の変名。それ、どころか。
ど頭の衝撃が、例によつての津田スタ台所、忙しなく朝食の支度をするジミー土田が飛び込んで来る。・・・・て、あれ?クレジットには、ジミー土田の名前なんて何処にもないぞ!慌てて調べてみると、初めて見た小杉甚といふのがジミー土田、何と読むのかも判らない。そんな次第でサクッと、あるいはググッと簡略に当たれる範囲では、ジミー土田の活動が公に確認されるのが昭和57年からで、小杉甚の痕跡が窺へるのは昭和から平成に跨ぐ二年間。但し、土屋隆彦の「メイク・ラブ 女体クルージング」(ロマンX/脚本:浅井理=渡辺寿)は二月公開―ちなみに今作は六月―につき、もしかすると62年終盤辺りも怪しいのかも知れない。幸ひ、「女体クルージング」もex.DMMにあると来た日には、毒を食らはば何とやらで見ざるを得まい。毒なのか、毒だつたんだけど。
閑話、休題。幾ら呼んでも、何時まで経つても起きて来ない妻・明子にキレたジミ土が、起こしに行くカットでは撮影部も追随して家内を大がかりに動きつつ、ジミ土の稼ぎが少ないからと実も蓋もない理由で、ルポライターとか藪蛇な職を持つ当の明子(橋本)は、書きかけの原稿に突つ伏して寝てゐた。ここで、嫁が明子となると、どうせ旦那は渉で苗字は轟だらうと高を括つてゐたところ、後々明子が電話口で名乗る苗字が予想外の岩渕か岩淵。さうなると、ジミ土の役名には呼称なり自己紹介して呉れないでは途端に手も足も出せなくなる。明子とジミ土が朝から盛大に夫婦喧嘩した上で、電車が行き交ふ軽く俯瞰のロングにタイトル・イン。ところで小杉甚名義時に於ける、仕事ぶりに関しては今回目にした限りでは特にも何も全ッ然変らない、全く以て何時も通りのチャカチャカ愉快なジミー土田。
鮨詰めの車中、ジミ土のすぐ前に立つた、髪飾りからアレな所謂男顔といふよりも、寧ろ女装子に近く見える―VHSではジャケを飾る―二番手が、電車逆痴漢を仕掛けて来る。今作の特徴として、ほかの乗客の隙間から下手に狙ふ、臨場感だか画角だかに拘つた―あるいはセット撮影を誤魔化した―結果、誰が何をどうしてゐるのか判然としないシークエンスを暫し漫然と見せた末に、堀河麻里はジミ土の耳元で「貴方つて不幸な人ね」と囁き虚を突く。てつきり警察に突き出されるものかと平謝りするジミ土を、堀河麻里が「いいからついて来て」と強引に誘(いざな)ふ一方、電話越しの声が白山英雄の声色に酷似して聞こえる編集長から、明子は社会問題化する悪質な新興宗教のルポルタージュを依頼される。
堀河麻里がジミ土を連れて来たのが、デッカい張形状の御神体の供へられた、「世界まぐはひ教」の本堂。配役残り改めて堀河麻里は、まぐはひ教の工作員を自ら名乗る、蜂谷ならぬ七谷か質谷真由美。不謹慎の誹りを懼れもせず、エッジ効かせすぎだろ。山本竜二がまぐはひ教教祖で、秋本ちえみが片腕格の教育係・ウメ。しのざきさとみは、悪魔祓ひと称した、教祖による公然セックスを恭しく被弾する信者の女。その他信者部に、二十人くらゐ擁する無闇な大所帯。どちら様なのか、お爺さんに片足突つ込んだやうな御紳士までゐたりする。池島ゆたかは、結局何の目的で電車に乗つてゐたのかは謎な、明子に接触するまぐはひ教工作員、実は真由美の夫。男の悪魔祓ひは真由美ら女人がヤッて呉れると聞くや、ジミ土は脊髄で折り返してまぐはひ教入信に翻意。とはいへ入会金始め諸経費を払へず、真由美の指導の下、免除を許される工作員の途を目指す。イコール五代尭子のいわぶちりこは、さういふ塩梅での痴漢電車車中、ジミ土が目星をつける女、声はしのざきさとみのアテレコ。
ex.DMMのピンク映画chにタグつきで管理されてある新東宝の痴漢電車を、手当り次第に見て行くかとした虱潰し戦。七本目で凄い映画がヒットしたかと思ひきや、単に酷い映画であつた深町章昭和63年第三作。
ジミ土が小田急線のりばの表で真由美に拉致されるカット跨いで、受話器片手にハシキョンが「新興宗教のルポ!?」。すは深町章が社会派ピンクかと、ときめいたのはまんまと吠え面かゝされる早とちり。最大の見せ場は、まぐはひ教の読経風景。基本形は「まぐはつたーらーええぢやーないか」を山竜に続いて一同が合唱する合間合間に、秋本ちえみがファルセットで叩き込む素頓狂な合ひの手が「エーイヤイヤ」。この「エーイヤイヤ」が爆発的に面白くはあるものの、所詮は枝葉。酷いのが明子に金ぴかの電動コケシを七千円で買はせた直後に、改心か変心し編集部に苦情の投書を寄こした池島ゆたかと、接触した明子が思はぬ再会を果たす件。そもそも池島ゆたかがまぐはひ教に回心(ゑしん)した経緯に関して、真由美の浮気性に苦しんでと語り始めたにも関らず、切らずに長く回す一幕のうちに、先に工作員になつた真由美に勧誘されてやりましたとか、話が思ひきり変つてしまふ木端微塵の体たらく。この手の支離滅裂を見るなり観てゐて常々不思議なのが、だから誰も、何も思はなかつたのか。斯様なザマで、宗教とは何ぞや、インチキに絡め取られる心の隙間とは如何なるものか。本質的な領域に切り込んでみせよう訳がなく、教祖とウメの造形も精々パパさんと愛人に二三本毛を生やした程度の、市井の枠内から爪先も踏み出ではしないチンケな小悪党に止(とど)まる。加へて火に油を注ぐ本末転倒が、「エーイヤイヤ」遊ぶのにうつゝを抜かした挙句、何時しか疎かになる女の裸。しのざきさとみの悪魔祓ひに際しては、折角のどエロい女体が信者部に埋もれよく見えないもどかしさに急き立てられ、ビリング頭たる橋本杏子が、初めてまともに脱ぐのが驚く勿れ五十七分といふ、壮絶なペース配分には引つ繰り返つた。ジミ土の誠意は認めた真由美が、教祖には内緒でコッソリ悪魔祓ひする濡れ場。数少ないオーソドックな攻め方を見せつつ、オッパイを押しつけるでもないガラステーブルが、邪魔で邪魔で仕方ないのは逆の意味で画期的、そんな間抜けな絡み見たこたねえよ。最初は女高生と家庭教師といふ形で出会つた明子とジミ土の、上京しようとするジミ土を、明子が観音様を御開帳して天照大御神を誘き出さう、もとい引き留めようとする回想。ジミ土が明子にハモニカを吹き始めると、出し抜けに電車音が鳴るのが何事かと思へば、そのまゝ現在時制の電車に繋ぐのには、何と雑な映画なのかとグルッと一周した感興すら覚えた。中身がないのは十万億歩譲るにせよ、乳尻さへ決して満足には拝ませないとあつては、溜息も萎むルーズな一作、エーイヤイヤ。ぢやねえよ、トカトントンか。
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