【ラジオ列島】

【ラジオ列島】

太平洋の島々は接尾辞の「島」である「ネシア」がついたメラネシア、ミクロネシア、ポリネシアに分かれている。メラネシアは「黒い島々」、ミクロネシアは「小さい島々」、ポリネシアは「多い島々」を意味する。地図を見ると覚えきれないほどの名前がついた島が首飾りのように点在している。

寺田寅彦は「明治四十四年まで電燈を引かないで石油ランプを点していた」という。電燈を引いたのが 1911 年、NHK がラジオ放送を開始したのが 1925 年、寺田寅彦が亡くなるのが 1935 年だから、彼がラジオに接した期間はとても短い。

「寺田寅彦はトリルダインのラジオを某百貨店で買ったと書いている。当時の百貨店はそれぞれのブランドのラジオを売っていたらしい。高島屋には『タカシマヤダイン』というのがあった。SHARP が作っていたのは『シャープダイン』で、むかしラジオはニュートロダインやヘテロダインやスーパーヘテロダインと電波増幅に関して技術競争をしていたので、電波の単位にも用いるダインを商品名につけるのが流行ったのだろう」

(2014年11月30日の自分の日記「ラジオ雑感」より)

2023/01/17
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寺田寅彦が苦手だった演説放送における高嶋米峰の活躍もあってラジオは次第に普及した。昭和の商店街を思い浮かべると、セピア色した風景の背後で途切れなくラジオが鳴っている。むかしは各店舗が客サービスとして大音量でラジオをつけていたのであり、数珠繋ぎのラジオをたどりながら買い物客はのんびりと商店街を流れていた。世界に比してラジオ所有者数の少なかかった日本で、格段に聴取者数が多かったことの所以である。

 

 

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【そうしよう】

【そうしよう】

会社員時代、なにかを始めようと提案すると「そうしようるいたんしようるい」と答える、というつまらない駄洒落を言う友人がいて、子どもの頃から言い続けた口癖が抜けないのだという。彼は「あいしんくそうおもう」とも言い、「バカ」のかわりに古代三韓の丸覚えで「ばかんしんかんべんかん」などと言うので笑った。

ベランダ隅の吹き溜まりにかわいい双葉が発芽し、ケヤキだと思って鉢に植え替えたらやがてギザギザの葉っぱが出てイロハモミジとわかった。双子葉類(そうしようるい)なのだ。

昨年ベランダに置いたプランターにパセリと青紫蘇の苗を植えたら、青紫蘇は大健闘して長いこと食卓に彩りを添えて秋に枯れた。枯れた青紫蘇にはスズメたちがやってきて賑やかに紫蘇の実をつついた。脇に植えたパセリ(これも双子葉類)は年越ししていまだに元気なので毎朝水やりしている。

毎朝水やりしていたらスズメたちが食べ散らかした紫蘇の実が発芽して小さな双葉が並んだ。このまま冬の寒さに耐えて育ったら春に苗を買わずに済むかもしれないなどと思い、別の小さなプランターに植え替えてみようと考えながら、赤羽を通りかかったのでホームセンターに寄り道し、野菜用の腐葉土と一緒に買ってきた。

2023/01/14
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週末になったら「そうしよう」と思っていた計画を土曜日の朝早起きして実行してみた。「あらじょうず」と妻が笑い「でも紫蘇じゃないのも混じってるんじゃないの」などと暖かい室内から見て言う。

一番最初に発芽したやつはもうギザギザの葉っぱに生え変わっている。植物の幼児期はそういう成長の仕方をするのであって、青紫蘇もイロハモミジも同じだ、と寒いベランダで笑いながらも「ばかんしんかんべんかん」とは言わなかった。

 

 

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【冬の良寛】

【冬の良寛】

良寛の漢詩に「落葉辞寒枝」(落葉寒枝を辞す)とあって、静謐できれいな言葉づかいに感心した。

この冬の六義園は窓ガラスに突き当たってドンと音がするような強い北西季節風が吹かず、 役目を終えた枯れ葉が一枚いちまい静かに落ちてゆき、描かれた細密画のような枝だけが冬空に残っていた。

吉本隆明の良寛でちょっと先へ進めないところがあって同じ箇所を行きつ戻りつ何度も読んでいる。豪雪で立ち往生したのだと思ってひと休みし、新美南吉の良寛物語をしみじみ読んだ。

2023/01/15
9階のガラス窓の向こうにシラサギがとまって羽繕いをしていた

昨日は妻の買い物につきあいがてら書店に届いた水上勉の良寛を受け取り、一遍について書かれた本を読んで感心したことのある栗田勇にも良寛があったので古書で注文した。

そういえば仕事で東大正門前を通るたびに本郷通り舗道脇の良寛墨跡「天上大風」を眺めたのを思い出す。毎月通ったあの出版社も吹き飛ばされるように消えていまはもうない。

 

 

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【亀】

【亀】

寺田寅彦を読んでいたら「富士山の上に天井があるのは嘘だろうと思った」という話が面白かった。

K先生は教場の黒板へ粗末な富士山の絵を描いいて、その麓に一匹の亀を這(は)わせ、そうして富士の頂上の少し下の方に一羽の鶴をかきそえた。それから、富士の頂近く水平に一線を劃しておいて、さてこういう説明をしたそうである。「孔子の教えではここにこういう天井がある。それで麓の亀もよちよち登って行けばいつかは鶴と同じ高さまで登れる。しかしこの天井を取払うと鶴はたちまち冲天(ちゅうてん)に舞上がる。すると亀はもうとても追付く望みはないとばかりやけくそになって、呑めや唄えで下界のどん底に止まる。その天井を取払ったのが老子の教えである」というのである。何のことだかちっとも分からない。しかし、この分からない話を聞いたとき、何となく孔子の教えよりは老子の教えの方が段ちがいに上等で本当のものではないかという疑いを起したのは事実であった。富士山の上に天井があるのは嘘だろうと思ったのであった。(寺田寅彦「変った話」)

この話をされたという漢学者K先生とは別人で文中にでてくる「ケーベルさん」はケーベル先生のことだろうと思う。漱石の書いたものを読み返して、ところでケーベル先生の住まいはどのへんにあったのだろうと思う。

2023年1月14日 朝一番でチケットを予約購入した

甲武線の崖上は角並(かどなみ)新らしい立派な家に建て易(か)えられていずれも現代的日本の産み出した富の威力と切り放す事のできない門構(もんがまえ)ばかりである。その中に先生の住居(すまい)だけが過去の記念(かたみ)のごとくたった一軒古ぼけたなりで残っている。(夏目漱石「ケーベル先生」)

甲武線は1889年に開業して1906年に国有化されており、御茶ノ水が起点で八王子が終点だった。その起点ちかく神田駿河台鈴木町19番地というから、宮城道雄が教えるために通った東京音楽学校(現東京芸大)の分教場があったあたりだ。今の池坊お茶の水学院敷地で元は日仏会館だった場所にケーベル先生は住んでいた。

 

 

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【名前の音読み】

【名前の音読み】

いつもごく身近にいて親しくしている M さんは疑問がすぐ言葉になって口をついて出る。そういう敏捷な点で頭の良い女性なのだけれど、すぐ調べればわかることであってものらりくらりとかわして調べようとしない。

面と向かって質問されたような気がするので「かわりに調べようか」と聞くと「いい」と言う。一昨日は、犬童さんという著名人の名をあげて「いぬどう……でいいのかな」とつぶやくので「調べてみれば」と言ったら「いい」と言うので「人前で口にしたとき間違えてると恥ずかしいから調べておいた方がいいよ」と言ったら「人前では口にしないからいい」などと言い逃れる。目の前にいるこの親しい生き物の面前は人前ではないのだ。

調べごとが嫌いではないので調べてみたら「いぬどう」ではなく「いんどう」と読み仮名があるので「いぬどうじゃなくていんどうだってさ」と言ったら「へえ~いんどうって読むのか」と感心している。わかれば感心するので読み方に対して無関心なわけではないらしい。

2023年1月11日 赤羽駅
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年上の男性 M さんは著者の名を音読みする。「きん」とか「ぎどう」とか「しょう」とか言うので、自分が口にする番になると「ひとし」「よしみち」「わたる」と正しい読みで言いなおす。するとその後は「きん」が「ひとし」、「ぎどう」が「よしみち」、「しょう」が「わたる」に置き換わっているので、名前を音読みすること自体に主張があって固執しているわけではないらしい。

 

 

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【でかすぎ】

【でかすぎ】

老子の「大器晩成」とは「大きなうつわはおくれて成る」ことという一般的な解釈ではなく、「でかすぎる器は出来上がらない」という解釈が好きなのだけれど、「でかすぎる器はものが入らない(包蔵できない)」というのがあって、それもひねりが効いていていいなと思う。名言などは自分にとってひねりが効いてありがたい解釈を座右に置いておけばいいと思っている

2023年1月10日 戸田市
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「大方無隅」は「でかすぎる四角は角が丸い」、「大音希声」は「でかすぎる声は聴こえない」、「大象無形」は「でかすぎる光景には形がない」、それに「大器晩成」の「でかすぎる構想には実がない」を勝手に加えている。「無限の遠方は復帰である」というのも ∞ のようにひねれていて好きだ。

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【それは私です】

【それは私です】

NHK で 1960 年から 1968 年まで東京オリンピックを挟んでテレビ放送されていた『それは私です』というクイズ番組が大好きだった。

野村泰治アナウンサーが言う
「ここに三人の方がお見えになっていらっしゃいます。その中から、ある特別な経歴をお持ちの一人を見つけていただきたいと思います」
というナレーションが懐かしい。

レギュラー解答者は池部良、安西愛子、曽野綾子だった。安西愛子、曽野綾子の顔が思い出せなくて記憶の中で原田泰治が描いた絵のようなのっぺらぼうになっているのに対して、野村泰治アナと池部良の顔は鮮明に憶えているのが不思議だ。

2023年1月10日 戸田公園駅
DATA : SONY Cyber-shot  RX100 ll 

これは非常に面白い番組で小学生ですら夢中にさせられた。子どもにもわかる哲学エンターテイメントで、三人の同姓同名さんが登場して「私は〇〇〇〇です」と同じ名前を名乗るという恐ろしい事態が発生する。それに対して三人の回答者が巧妙に質問をしながら、ある本物の〇〇〇〇さんを当てるのだ。

「〇〇〇〇である私」という述語ではなくて、「この〇〇〇〇」としか言えない主語になれる「私」、いわばほんとうにほんとうの「個人」を探すわけで、よくあんな名番組を思いついたものだと西田幾多郎を読みながら思う。

 

 

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【雪の朝の記憶】

【雪の朝の記憶】

1 月 7・8・9 日の三連休が終わった。連休初日の 7 日土曜日は雪になるかもしれないという予報が出ていたけれど、みごとに外れてパサパサに乾燥した晴天だった。

ふと電子書籍の読書用に使っている古いスマホ内の画像整理をしたら、なんと一年前、1 月 7 日の東京は雪の朝だった。まったく忘れていたのでびっくりした。

2022年1月7日
DATA:SONY Xperia XZ1 SO-01K

未明に目が覚めたのでいつも通り寝床の中でぬくぬくと本を読み、午前 6 時をまわったので朝食準備のため起きてみたら、冷蔵庫に牛乳がないのに気がついてコンビニまで買いに出た。そして雪の朝であることに驚いて持っていたこのスマホで写真を撮ったのだ。電子書籍リーダー専用機のつもりでいたので丸一年気づかなかったらしい。

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【鰈】

【鰈】

鰈(かれい)は海の底にいていつも上目遣いで頭上の世界を見ている。「左ビラメの右カレイ」というので、鰈はふつう両眼とも体の右側についている。

体を挟んだ目の位置が左右対称でないだけではなく、「有眼側は暗褐色ないし黄褐色,無眼側は白色ないし淡黄色」をしているというので、鰈は体自体の左右も対称ではない。

2023/01/05 戸田市上戸田
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左右の目の色が違う猫がいてオッドアイといい、目の中にある虹彩の色が違う。子どものころ縁の下の暗がりに逃げ込んで、こちらの明るい方を見ている猫の目が、左右違う色に光って見えるので驚いたことがある。

メラニン色素の関係で猫に起きる非対称の現象が、いつも海底で上目遣いの鰈には生まれながらに備わっている。いつも上目遣いに世間を見ていると、人間のこころも非対称になっているかもしれない。

 

 

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【いじさぺん】

【いじさぺん】

昭和の中学生英語で、女性教師が
「いじさぺん?、いじさぺん?、はいみんな一緒に、いじさぺん?」( Is this a pen? )
とくりかえす口元を見つめながら、
「はい、それはペンです」
ではなく
「それがペンでないならいったい何ですか?」
と英語で答えるのは難しいなあと思った。
「いじさてーぼー?」( Is this a table? )
なら、
「いいえそれは堤防ではありません」
と明快に答えられる。

2023/01/04 文京区本駒込
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誰が見てもペンに見えるものを手にとって口に持っていってしまうようなことを老人介護の終末期でよく目にした。認知のちからが衰えた人にはそういうことも起こる。

誰が見たって「ペンである」ことをペンの実相といい、見た瞬間「ペンでしょう」と気づくことを観照という。般若(はんにゃ)などという漢字があてられるので妙な連想をしてしまうけれど、ハンニャはサンスクリット語の「 prajñā 」で智慧を意味する。智慧とは実相と観照が合わさったものである。

老いてペンも食べ物も判断がつかなくなった親たちの姿を思い出すと、「はい、それはペンです」とわかることはたいへんな智慧であり、そういう般若をもっているだけで生き物にはみな仏性(ぶっしょう)があるんだなと大乗的に思う。

 

 

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【ある正月の日記】

【ある正月の日記】

一月七日
 明日から、学校だ。また、予習もはじまる。大いにしっかりやろう。橋本先生は、僕たちのために、いつもおそくまで残っていてくださる。あ、先生に、年賀状をあげるのを忘れた。(小川未明「ある少年の正月の日記」)

一月七日
 関東地方の松の内があけるので今日は正月飾りを片付けよう。明日から連休だ。けれど、連休明け締切の仕事があるので大いにしっかりやろう。(小川未明風、今日の日記)

2023/01/05 戸田市上戸田中山道沿いの種苗店
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種田山頭火の昭和三年は伊予路の遍路宿で明けている。相部屋になった遍路は荷を広げた一隅に正月飾 りをしたという。『遍路の正月』にこうあった。

同宿は老遍路さん、可なりの年配だけれどがっちりした体躯の持主だった。彼は滞在客らしく宿の人々とも親しみ深く振舞うていた。そしてすっかりお正月の仕度――いかにも遍路らしい飾りつけ――が出来ていた。正面には弘法大師の掛軸、その前にお納経の帳面、御燈明、線香、念珠、すべてが型の通りであったが、驚いたことには、右に大形の五十銭銀貨が十枚ばかり並べてあり、左に護摩水の一升罎が置いてあった!(種田山頭火「遍路の正月」)

護摩水という言葉を初めて聞いた。般若湯と同じように便利な仏教的特殊用語なのだろう。山頭火はこの老遍路さんの「酒と餅と温情」によって慰められ寛ろげられて孤寒を凌いだという。

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【川面をわたる風】

【川面をわたる風】

関東平野を吹きわたる風が平らで真っ直ぐで一目散であるとき、ああ自分は「武蔵野原をゆく人」という点景になったのだなと思う。

国木田独歩は『武蔵野』の中で、

東京はかならず武蔵野から抹殺せねばならぬ。
しかしその市の尽くる処、すなわち町外ずれはかならず抹殺してはならぬ。

と、書いている。

2023/01/06
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埼京線が赤羽駅を出て荒川にかかる鉄橋をを渡るとき、たしかにいま東京が抹殺されて武蔵野に抜け出たなという感がある。

その証拠に、戸田駅で下車して市役所通りを中山道めざして東進する人になれば、「平らで真っ直ぐで一目散」な風が容赦なく吹きつけるのであり、荒川を挟んだ岩淵や戸田あたりは、いかにも武蔵野らしい「町外ずれ」になっている。

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【戸田再訪】

【戸田再訪】

新年の仕事始めは埼玉県戸田市に事業所を移転した出版社で、移転後初めての打ち合わせがある。二十代終わり頃に勤めていた電機メーカーの工場があったり、映像作家で亡くなられた森田恵子さんの住まいがあったりで、たびたび訪ねた懐かしい町だ。埼京線戸田公園駅か戸田駅から歩くことになる。

両駅からは北大通り、市役所通り、市役所南通り、五差路通りなどと名前の付いた道があり、後谷(うしろや)公園や戸田市役所などの目印もあり、しかもめざす出版社は中山道沿いなので迷うはずはないのだけれど、懐かしくて地図に見入ってしまう。

2006年2月19日 日曜日 12:31 後谷公園にて
DATA:RICOH Caplio R3

旧中山道の蕨宿は目指す出版社に隣接した蕨市中央 5 丁目から錦町 5 丁目までのあたりにあったが、古くは埼玉県戸田市にあたる元蕨にあって、のちに移転してきたのだという。未明のスマホで中山道の道筋を辿っていたら児玉幸多『中山道を歩く』を読み返したくなった。その文庫本は仕事場の本棚にあるので、電子書籍化されていないか調べてみたけれど見当たらない。ああいう紀行本こそ電子化されたら寝つかれぬ人の役に立つと思うので残念だ。

寝床にスマホのあかリ灯し凍える夜に街道をゆく

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【包丁選び】

【包丁選び】

「包丁(庖丁)」の「包」は台所、「丁」は召し使いの男を言い、元来は「料理人」の意味だと辞書にある。

莊子(そうじ)の養生主(ようせいしゅ)を読んでいたら料理名人の庖丁(ほうてい)が梁(りょう)の恵(けい)王の前で、まるごと牛一頭を、音楽を奏でるように解体して見せる話(庖丁為文恵君解牛)が出てきた。

「庖(ほう)」は料理人、「丁(てい)」はその料理人の姓で、この話が日本においては料理道具「包丁(ほうちょう)」の語源となったが、中国では同じものを包丁とは言わないらしい。

2022/01/03
DATA : SONY Cyber-shot DSC-L1

包丁の中国語訳に「菜刀(さいとう càidāo )」があり、菜刀といえば中華包丁と形が類似した菜切り包丁が思い浮かぶ。莊子に出てくる庖丁さんの道具は「牛刀(ぎゅうとう)を以(もっ)て鶏(にわとり)を割く」などと言われる大きな牛刀のはずだけれど、「菜切包丁(なっきりぼうちょう)を以て牛を割く」という道具選び失敗的に追い詰められた状況をついつい思い浮かべてしまう。昔の四コマ漫画に、菜切包丁を両手で突き出して押し込み強盗を追っ払う、勇敢な主婦の絵があった。

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【耄碌頭巾】

【耄碌頭巾】

年をとって心身のはたらきが鈍くなることを耄碌(もうろく)するといい、老人がよくかぶることから焙烙頭巾(ほうろくずきん)の別名を耄碌頭巾(もうろくずきん)という。

円形で、低くわきにふくれ出たかたちをして、むかし年寄りが茶を焙じていた素焼きの浅い土鍋のようなものを焙烙といい、炮烙を伏せてかぶったように見えるから焙烙頭巾という。大黒様もかぶっているあれのことだ。

2022/12/23 本駒込
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ということは「ハッハッハッ」と高笑いで登場するテレビの黄門様がかぶっていたのもそれの一種かなと東野英治郎の顔を思い浮かべたらちょっと違う。あれは頭巾の黄門かぶりだ。

同じくテレビに登場する松尾芭蕉のかぶりものを思い浮かべたらちょっと違って、あれは歌人や茶人がかぶった利休帽という。帽子が歌人や茶人という仕事をあらわすところが野球帽に似ていて、年をとった黄門や芭蕉や利休が、「ハッハッハッ」と野球帽をかぶって登場したら、それもまた耄碌帽だろう。

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