◉儀助と義三郎

2019年5月3日(金)
◉儀助と義三郎

三月の帰省時、清水駅前に降り立ったら胃もたれがするので駅前の薬局に入り、パッケージのイメージに知覚が呼応していたのでシオノギの顆粒状胃腸薬を買った。即効性があってなかなかいい。

シオノギといえば長寿音楽番組のミュージックフェアを思い出す。あの番組が好きな人が身近にも多い。シオノギの社名は塩野儀助から来ていると覚えていたが、調べてみたら塩野義三郎が正しい。

SONY Cyber-shot DSC-WX300

夜中に目が覚めたら胸焼けがするので、バッグの中にあの時の胃腸薬があるのを思い出して飲んだ。すっきりしたらまた、どうして義三郎と儀助が混線したのか気になって眠れないので、粘り強く検索したら謎が解けた。接着剤コニシボンドの小西儀助と混同していたのだった。

そして驚いたことに塩野義三郎も小西儀助も、ともに明治のはじめ、薬のまち大阪道修町(どしょうまち)で薬種業を興していた。

(2019/05/03)

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◉タイムカプセルとゾウガメ

2019年5月2日(木)
◉タイムカプセルとゾウガメ

1970 年大阪万博で埋められたタイムカプセルのひとつは 5,000 年後の 6,970 年に開封されることになっている。埋めた人たちが誰も生きて見ることのない未来を目指すからこそ、タイムカプセルらしく厳粛な思いも封印されている。

平成元年に子どもたちが埋めたタイムカプセルを平成最後の日に掘り出すイベントが放送されていた。30 年前に自分が書いたものを読んで歓声をあげる参加者が映されていたけれど、参加できなかった人もいれば、そんなものを見たくない人もいたに違いない。

住まいというのは否が応でもタイムカプセルになっている。親たちの看取りを終えて最初のゴールデンウィークがやってきた。今年は改元の行事もあって 10 連休になっているのがありがたい。自分たちの住まいと、仕事場と、親の住まいの大片付けおよび大移動をやっている。

親たちが捨てられなかった明治時代のものから、われら子どもを育てた頃のもの、そして自分たち夫婦自身が若かった頃のものまで、西脇順三郎が朝の光の中に掘り出したタイムカプセルを覆(くつがえ)したように、さまざまなものが出てくる。

子どもの頃に描いた油絵や、何かでもらったトロフィーまで捨てられずに出てきて、妻は悲鳴をあげていた。親は子育ての記憶を捨てられないものらしく、自分が小学生時代に書いた作文の綴りを見せたら妻も呆れていた。

友人の女性編集者が寄越した一筆箋が何枚も出てきて、彼女の手紙もタイムカプセルから出てきたように若々しい。1991 年の春だから雑誌 Bricolage 第 4 号発行直後のものだ。「先日の夜は飲みすぎて、自分の言動を思い出すと、耐え難い自己嫌悪でゾウガメのようになっています」などと書いてある。

ゾウガメが自己嫌悪に責めさいなまれ、のたうち回れないので這い回っているとは思えないけれど、喩えとしてはふるっている。タイムカプセルを覆して自己嫌悪で呻き声をあげるゾウガメを想像する令和初日である。働きすぎて身体の節々が痛く、動き出すたびに呻き声をあげている。

(2019/05/01)

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◉令和と片岡

2019年5月1日(水)
◉令和と片岡

未明に目がさめると枕元のスマホでニュースを読み、天気を確かめ、本を読み、気が向けば今日の日記を書いている。

日記はまず「きょう」と打ち「2019年5月1日」に変換してタイトルにしている。iOS ではまだ「平成31年5月1日」と候補が出て令和が出ない。システムアップデート待ちだろう(2019/05/01 現在)。

スマホには西暦と元号を換算するアプリが欠かせないのだけれど、長年使っていたアプリが令和未対応のままになっている。App Store を見たらよく似たアプリがすでに対応済みで、しかも干支を表示して広告を表示しないので、今日からそちらに乗り換えた。

一歳年上の従兄がいて幼い頃から仲が良かった。片岡という姓なので幼い頃から片岡姓は馴染み深い。けれど、梨園の名家としてマスコミでよく見聞きするのに、実生活で別の片岡姓に出会ったことがない。有名なわりに一般人が出会う機会は少ないのかもしれない。

未明の読書で定番の随筆を読んでいたら、井伏鱒二に姓ではなく片岡という一般名詞が出てきて驚いた。

雲谷峠のことを、土地の人はモヤノトンケと云っている。トンケは峠である。一面に雑草と灌木に覆われた片岡で、背伸びをして競うような樹木は一つも見当らない。(井伏鱒二『晩春の旅 山の宿 現代日本のエッセイ』講談社文芸文庫)

辞書を引くと確かに片岡で項目がある。いままで引いたことがない、だから知らなかっただけだ。デジタル大辞泉には、

一方が切り立ち、他方がなだらかになっている丘。また、一つだけの孤立した丘。

と書かれている。

子どもの頃、郷里清水には「前はでこぼこ巾着頭、うしろは絶壁久能山」という囃し言葉があった。いまの子どもたちは知らないかもしれない。北がなだらかで南が切り立った山塊を人の頭の形にたとえているわけで、確かに有度山塊は片岡である。さらに景勝地日本平を含む有度山塊はかつて駿河湾に浮かぶ島だったので、地続きとなっても孤立しているように見える。そちらの意味でも片岡の名にふさわしい。令和の初日にアプリと認識を新たにした。

(2019/05/01)

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