スキゾとパラノ、もしくは散漫と集中

 担任教師が書いた小学生時代の通信簿には必ず、「散漫で落ち着きがありません…×」という意味のことが書かれていた。確かに散漫で落ち着きのない子どもであり、それは根っこの部分で今も変わっていないと思う。
 一方家内の子ども時代は写真でしか知らないが、脇目もふらず物事に集中するタイプで、おそらく子どもの頃からそういうタイプだったのだろうと思う。通信簿に「脇目もふらず物事に集中できます…○」と書かれていたとしても驚くにはあたらない。
 長所と短所は表裏一体をなしていて、散漫で落ち着きがないぼくは、きょろきょろしながら平行してたくさんのことを程ほどにこなすのが得意で「あら気が利くわね」などと言われることが多い。
 いっぽう脇目もふらず集中する妻は、一つのことに集中して素晴らしい働きをする反面、集中しすぎてまわりが見えなくなってしまうという弱点があり、日常生活では「ごめんなさい、わたし気が利かないので」などと自分で謝る姿を目にする。

|ガラスやビニールなどの平滑面に書けるダーマトグラフ|2012年3月14日|

 11月末から毎日続けている老人ホームでの食事介助。出かけていった家内からメールが入り、先週末から体調不良が続いている義母を、急遽総合病院に連れて行くことになったという。先週土曜日に見た義母は意識が混濁して食事もできず、熱があり下痢気味だったので「おなかの風邪」かなと思ってはいたが、感染性食中毒の治りかけだと診断がでたそうで、体力維持のため点滴して貰い老人ホームに戻ったという。
 夕食の食事介助まで済ませて家内が帰宅したのは午後8時を過ぎていた。
 話し出すと話しに集中して夕食の支度もままならなくなるので、夕食準備が完了して食卓につき、落ち着いて今日の出来事の顛末を聞き、話を聞き終えてテレビをつけ、午後9時になったので日中三陸沖であった地震のニュースを見ていたら、携帯電話の緊急地震速報がけたたましく鳴り響き、千葉沖を震源とする地震でゆさゆさ揺れた。手順を決めて複数の重大事項が重複しないようにしていたのに、結局地震のニュースを見ながら実際の地震で揺れてぶちこわしになった。

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人間アップデート

 仕事で Macintosh を使い、たまに Windows のコンピュータを使おうとすると起動するたびにシステムのアップデートがかかり、使用するために起動したのにアップデート作業を手伝わされ、これでは機械に使用されるために起動しているようなものだ、などと憤っていたが、気に入りのノートパソコンができて毎日起動していると、システムアップデートもなく妙におとなしい日が続く。
 気になるので Windows Update を起動してみると「Windows は最新の状態です。」などと思いがけないことを言うので、本当だろうかと「更新プログラムの確認」をクリックして再スキャンすると、「このコンピュータで利用できる更新プログラムはありません。」などと言う。
 時は日々規則正しく流れて分母を作り、ときおり作られた生成物が分子としてその上に貯まっていく。パソコンを使わない日が多ければ多い分、分母が大きくなるのに比例して分子である累積アップデートも多くなるという当たり前の話だ。その当たり前のことが理解できないか、理解できても納得がいかないのが人間の身勝手さで、たまにしか使わない自分を棚上げして怒っていたわけだ。

|六義園夕景|2012年3月13日|

 時の分母の上で人間にもまたアップデートがあり、たまに見る他人との間には思いがけないほど大量の累積アップデートがたまっている。だから、この人はなんて年をとったのだろうと驚き、過ぎ去った日々とうまく対応させてその人の今現在を受け入れるのに時間がかかるのだ。
 しばらく一緒に過ごすとすっかり慣れてしまい、かえって若い頃の姿を思い浮かべる方が困難になってしまうのも不思議で、当たり前のことが理解できないか、理解できても納得がいかない人間の身勝手さがここにも顔を出していて、自分の上で経過した時間の量を棚上げして相手の変化に戸惑っていたわけだ。

「○○さんとの間には重大な累積アップデートがあります。今すぐダウンロードしてインストールしますか」
「はい」
「ダウンロード後ただちにインストールが始まります。よろしければ『はい』をクリックしお話でもしてお待ちください」
「はい」
「インストールが完了しました。更新を有効にするためにあなたは再起動されました。あなたは最新の状態です。」

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粗忽長屋的な会議

 丸一年かけたスマトラ沖地震・大津波に関する本の仕事が終わりに近づき、霞が関まで打ち合わせに出かけた。
 昨年の今頃は東北地方太平洋沖地震の余震が続いており、地下鉄に乗るのがいやで霞が関まで自転車で打ち合わせに行ったりし、冷静なつもりでいた自分もやはり動転していたのだと思う。
 担当者とは三十年以上のつきあいになり、今年めでたく定年を迎えるという。印刷会社営業を待つ間、時間をもてあましたので、そんな彼との昔話になった。
「一緒に菅原文太さんの事務所にも行きましたよね」
「ああ、そんなことがあったあった!何の用事で行ったんでしたっけ」
などという話題になり、文太さんは想像したよりはるかに気さくな人で、あっという間に打ち解けて一緒に記念写真を撮った話しに花が咲く。

|かつて使っていた留守番電話の録音テープ|2012年3月12日|

 完全に忘れていた記憶が戻ったような戻らないような不思議な気持ちらしく、
「その写真、今でも持ってますか」
と言うので、もちろん持っていますと答えたら
「そこにちゃんと私も写っていますか」
などと聞く。今度見せてやろうと思ったら急に噴き出しそうになり、落語『粗忽長屋』の熊さんになって
「写っているのは確かに俺だが、その写真を見ている俺はいったい誰だろう?」
と首をかしげている彼を想像した。

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公園の巨木伐採

 杉の木は樹齢40年くらいまでが若齢期にあたるらしい。
 仕事をしている8階の部屋から見える六義園内のヒマラヤスギが、公園管理事務所解体と同時に切り倒された。どれくらいの樹齢だったかは知らないけれど、巨木だったのでとうに若齢期はすぎていたと思う。伸び盛りを過ぎたとはいえ、木というものはそれでもどんどん伸びるもので、十数年前までは窓から見えた60階建てのサンシャイン60が、あっという間にヒマラヤスギの影になって見えなくなった。六義園に隣接した出版社に長年勤めた編集者も、仕事場からの富士山眺望があっという間に木々の成長で遮られた、木というのはほんとうにみるみる伸びるものだと呆れていたのを思い出す。


|ヒマラヤスギの伐採|2012年3月10日|

 樹木を大切にするのはよいけれど、10階建てのビルをもしのぐ高さまで育った木々が、園内はもちろん、隣接したビルや道路に向かって倒れたりする日がいつかは来るわけで、いったいどうするのだろうと思っていたら、答えを見ることができた。巨大クレーンでゴンドラをつり上げ、枝打ちして裸にし、ワイヤーで縛って吊りり上げながら上から順に輪切りにしていくのだった。ヒマラヤスギの一生が終わるのを見届けながら、公園の植樹は将来のことも考えないといけないなと思う。

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介護タクシーとプロレスラー

 義母の定期検診があり、早起きしてさいたま市内の総合病院に付き添った。
 車いすごとのせて貰える介護タクシーを頼んだらダイハツ製のワンボックスカーがやって来て、
「おはようございます!」
と降りてきたのは身長190センチメートル近い大柄な男性だった。
 昇降器具を使って車いすごと義母を乗せ、義母の脇に妻が座り、運転席に 190 センチ近く、助手席に 178 センチのぼくが座ったので、軽自動車はかなりの積載重量のはずだけれど、起伏のある道でもきびきび走るので感心した。
 思ったよりスムーズに受診完了したので再び迎車をお願いしたら 15 分ほどかかってやって来て
「スムーズに済んで良かったですね」
と笑顔で言う。

|2012年3月10日|介護タクシーの後部座席半ドアをなおしてくれるマンモスさん|

 

 老人ホームに帰り着いたら施設長が出迎えてくれ、帰って行く介護タクシーを見送りながら
「あとでインターネットで名前を検索してみな、彼は面白い人なんだ」
と笑う。その場で iPhone を取り出して検索し、
「こんな人ではなかったけど」
と検索結果を見せたら
「マンモス鈴木はもう死んだ、鈴木じゃなくて佐々木」
と言うので検索したら、なんと大柄でやさしい介護タクシー運転手はマンモス佐々木という現役プレスラーだった。
 妻に話したら何度か乗せて貰ったことがあり、やさしくて親切だけれど口数の少ない人なので、気疲れせず好もしく思っていたと言い、
「なんだ、もっと早く知っていたらサインもらって『気合いだ!気合いだ!』と母さんに気を吹き込んでもらったのに」
と笑う。それにしてもプロレスラーに詳しい施設長に
「プロレスに詳しいね」
と言ったら
「おれはプロレスラーのことなら何でも知っている」
と照れくさそうに笑う。このプロレス好きの施設長を裸にして黒いタイツをはかせたら力道山役ができそうであり、マンモス佐々木さんと闘わせる介護プロレスは、介護職員にウケルだろうなと思う。


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トランジスタの魅力

 

 かつて「トランジスタグラマー」ということばがあり、小柄なのに均整がとれた豊満さのある体型をした女性のことを
「あの人はトランジスタグラマーだから」
などと言いった。
 真空管に替わる新しい半導体を用いた小型ラジオ「トランジスタラジオ」の名前から派生した1959年(昭和34年)の流行語で、親達が使っていたのを聞いた記憶がある。「トランジスタラジオ」という名前から派生したといっても「トランジスタラジオ」自体が transfer (伝達)と resistor (抵抗)を組み合わせた造語なので、造語から生まれた造語ということになる。

|丸山健二『安曇野』文藝春秋|2012年3月9日|

 手に持つと小振りなのにゆったりした寸法が気持ちよく感じるハードカバーの本があり、「トランジスタ判」などという呼び名がかろうじて残っているので「トランジスタグラマー」が流行った頃にもてはやされた判型なのかもしれない。別名「コンパクト判」正式名称を「小B6判」といい、天地 112×174mmで B 列本判 765×1,085mm の紙から 64 ページとることができる。
 最近はほとんど見かけない判型で、よほどこだわりのある人が造本設計したものをたまに手にすると、持ちやすく読みやすいよいサイズであることに感心する。昼食の休憩時に、手元にある丸山健二『安曇野』文藝春秋刊の版面設計を調べてみたら、トランジスタ判(112×174mm)|縦組|8ポイント|明朝|1行21字詰|1段17行|行送り14ポイント(半角四分)|二段組み|段間8mm|天19mmアキ|小口17mmアキ、ということになる。
 小さいのにゆったりした安定感を感じる上製本で、まさに書籍のトランジスタグラマーだなぁと思う。

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鉛筆の味わい

 

 鉛筆で文字を書くとき芯の先を舐める癖のある子どもがいた。鉛筆の先の味と、注意されたほろ苦い記憶が自分にもかすかにあるので、おそらく癖になる前に改まったのかもしれない。その時代は uni とか mono などという高級鉛筆が発売になる前で、芯の品質が悪かったのか鉛筆と紙との間でかすかな引っかかりがあり、芯の先をちょっと舐めてやるとスムーズに書けるのだった。口が卑しかったり、胡乱(うろん)なところのある子どもだったわけではなく、繊細で、文化人類学的に言えばブリコラージュの能力に長けた子どもたちが、鉛筆の芯をちょろっと舐めていたのだと思う。

|わが家の鉛筆|2012年3月8日|

 鉛筆の芯を舐める癖はなかったけれど、木の軸を噛む癖がつきかけたことがあり、これはさすがに噛み跡のついた鉛筆のおぞましさを見て、自分でいやになってやめたのだと思う。鉛筆の軸もまた独特な味がしたのを覚えている。
 鉛筆に関する癖といえば、最近の子どもは筆記具を指でくるくる回すのが上手くて感心する。昔の鉛筆はもろくて落とすと中で芯が折れてしまい、通称「折れ芯鉛筆」などといって使い物にならなくなった。落とす恐れのある鉛筆回しの練習など思いつきもせず、うまく回せるようになれるほど豊かじゃなかったのだというのを、おじさんは真似して回せないことの言い訳にしている。

【補遺】「折れ芯鉛筆」は木の軸の中で芯が折れ、削っても削っても芯がぽろりと落ちてしまうもの。「偏心鉛筆」は芯が木の軸のセンターにないもの。「陥没鉛筆」は芯と軸が遊離して芯がすっぽり抜けてしまうもの。名前は勝手につけたが、粗悪鉛筆に関する苦労は多々あった。

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小花模様

 

 学生時代、小花模様のシャツを着ていたことがあり、なぜそんなものを着ていたかというと、吉田拓郎の歌に出てきたので着たくなったのではないかと思う。その時代は男が柔弱(にゅうじゃく)さ、松岡正剛風に言えばフラジャイルを装うことで、女にもてるための武器にしようなどという、ナイーブなどとは縁のないスケベ心丸出しのフォークソングが流行った時代だった。
 そんなことを思い出して恥ずかしいのだけれど、学生時代同級生だった妻は
「あなた小花模様のシャツを着てたわよね」
などと今でもいやなことを憶えている。

|折りたたみ箸の袋|2012年3月7日|

 

 折りたたみ式の箸が入っている袋が今もあって小花模様だ。
 母親が他界して無人となった生家が郷里静岡県清水にあり、2005年夏から4年かけて片付けに通った。帰りの高速バス車内で、地元朝市で買った五目寿司を食べようとしたらお箸がついていなかったことがあり、いつも箸を持っていたら便利だろうと思って東急ハンズで買ったのだ。確か専用箸袋は別売で、何種類か選べる中から小花模様を選んだのだと思う。
 男が「Myお箸」を持って歩くなどというのも妙に女々しく感じ、
「いや、そういうわけじゃなくて、何年も辛い後片付けに通っていると、仕方なしにこういうものも持たなくちゃならないんです」
などという弱みを演じるスケベ心がここにもまたぞろ顔をのぞかせていたのかもしれない。


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消しゴムを練る

 子どもの頃は一芸に秀でた友だちがまわりにいて、芸とも呼べない特殊な技能でみなを驚かせるその子は、たいがい学校の勉強ができない子だった。
 授業中に消しゴムを使った時に出るカスを集め、鉛筆のお尻で餅をつくようにすりつぶすことに熱中している友だちがいて、そうやっていると次第に粘りけが出て粘土になるのだという。真似してやってみると確かに粘土といえば粘土、悪くいえば鼻くそを丸めたようなものができた。ただそれだけのことなのだけれど、その鼻くそのような粘土を毎日毎日作ってはまとめてボール状にし、ゴルフボールくらいの大きさになったものをランドセルの中に隠し持っていて、ときどき
「ゴム粘土さわらしてやろうか」
といって不思議な触感をもつ薄汚れたボールをさわらせてくれるのだった。

|消しゴム|2012年3月6日|

  大学に進学して美術系の学科に進んだら木炭・鉛筆デッサンの授業があり、消しゴムがわりにパンの白いところを使い、そうやって食べ物を粗末にしなくてよいよう、パンの白い部分のかわりになる練りゴムというものが売られていることを知った。その練りゴムを手のひらでやわらかく丸め、絵を描くように画面を撫でると確かによく消え、次第に木炭・鉛筆で黒ずんでいく練りゴムを見ていると、仲良しだったゴム粘土の達人を思い出したものだった。

 ゴム粘土の達人以外にも、銀箔あつめの達人とか、泥玉作りの達人とか、輪ゴム編みの達人とか、子ども同士で驚嘆し合うような達人がいて、あの技能を極めていったら名工と呼ばれる人になってもおかしくない気がするけれど、彼らは約束事に添って技能を学ぶ、美術の道になど進学していないだろうなと思った学生時代。


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便秘と排便

 朝食を食べながらテレビの便秘解消法を見た。便秘が極限に達して、ついに口から逆流した人の話を聞きながらだったので、口が肛門になったような気がした。そういう極限状態を想像して冗談で話したことはあるけれど、本当にそこまでひどい便秘があると知って驚いた。親達が世話になった順天堂大学医学部に初診3年待ちの便秘外来があるとのことで、患者が3年も待たされたら確かに口から逆流もするだろうと笑った。
 人がリラックスした時にはたらく副交感神経を鍛えるのが便秘解消に良いとのことで、1、2、3、4、5と鼻から息を吸い、1、2、3、4、5…と10まで数えて口から息を吐くのが鍛錬になるという。よく喋りながらできるものだと感心して見ていたら、先生はただ号令をかけているだけだった。これを1分間、慣れてきたら3分間程度やると効果的だという。

|トイレにて|2012年3月5日|

  「医師」から副交感神経という専門用語で説明されて家内が「やっとわかった」と言わんばかりに感心しているので、リラックスするから便意がやってくる、だから昔からやっているわが家の「コーヒーでもいれようか」や「温かい牛乳でも飲もうか」もリラックス法の一つで、食品成分による緩下(かんげ)作用とは別に、リラックスすることで「副交感神経」を活性化し、外出前の自助的トイレ誘導に役立てているのだと解説を加えておいた。

 在宅介護末期の義父は大便の排泄がうまくいかず、頻繁にお漏らししていた。紙パンツを着用していたものの、失敗するたびに下半身裸にして浴室で洗ってやらなければならず、母と娘が協力して洗いながら、家内は叱るまいとこらえるが義母が激怒するのでたいへんだったという。
 大便を失敗するのがデイサービスから帰宅するわずか100メートルほどの路上であり、在宅支援センターを出る直前に便意の確認をすると義父は頑固に便意がないと言い、そのくせ数分後の帰宅途上でお漏らししてしまうのを家内は不思議がっていた。

|トイレにて|2012年3月5日|

  人付き合いが苦手な義父は、デイサービスに行っているあいだ緊張して交感神経優勢で過ごし、娘が迎えに来て帰宅する100メートルの道をゆっくり歩きながら、やっと家に帰れるというリラックス感が心を満たして副交感神経が活性化し、襲ってきた急速な便意にあらがいきれずお漏らししていたわけだ。

 自分もそうで、もうすぐ家に着くと思うとトイレに行きたくなり、そういう傾向の人は多いらしいし、なぜか本屋に行くと便意を催すという人も多く、読書と副交感神経の関係はうまく説明できないが同じ原理なのだと思う。
 「人間というのはそういうものだ」という説明で納得できないのが、毎日義父の大便を洗っていた家内と義母でなので、さらに付け加えるなら義父は年老いて運動不足になり、肛門筋が衰えていたのだと思う。明日は我が身と思い、同番組で紹介されていた門トレ(肛門トレーニング)を今のうちから始めてみようと思う。


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ガラスの中の宇宙

 子どもの頃、家でごろごろしているとき、ガラスのビー玉を目の前に近づけて透かしてみると小さな宇宙が見えた。駄菓子屋で買ってきたそれは作りが粗悪だったのか意図的にそうしていたのか、中に小さな丸い気泡がたくさん入り込んでいて、回して角度を変えてやるとキラキラ光って見えた。夜空の向こうにある宇宙ではないけれど、人が入って行けない極小の宇宙のように見え、ひょっとすると本物の宇宙もまた、このビー玉のような形をしているのではないかなどと思ったものだった。

|ビー玉の向こうに六義園の木立が見える|2012年3月4日|

 幼時から光の明滅に弱くて、映画好きだった両親に連れられて深夜興行に行くと、寝ぼけて泣き出して困らせることがあったし、中学生頃までは映画館を出る時フラフラし、現実の世界に焦点を合わせてこちら側に戻ってくるのに苦労した。ビー玉のぞきも同じで、夢中になると時の経つのを忘れてしまい、やはりこちら側に戻ってくるのに苦労した。

 抽斗の隅にビー玉を見つけたのでのぞき込んでみたがもう宇宙は見えない。小さな光の宇宙から戻ってこられないどころか、よくこんな小さな世界に入り込めたものだと感心してしまう。いつか年老いた時に同じ事をして、子どもの頃のようにするりと「ガラスの中の宇宙」に入り込めたら幸せだろうなとは思う。

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「まま」であること

 母子家庭で一人っ子だったせいか子どもの頃から母親と二人で外出する機会が多く、中学高校になると買い物しながらの町歩きが好きだったので、よく母親と歩いた。母親と二人のところを級友に見られるたびに

「ままっこ、ままっこ」

と冷やかされ、母親べったりの子どもという意味で今でも使われる「ママっ子」だったのだと思う。けれど、様々な地方出身者が暮らす東京下町で「ままっこ」というと鬼ごっこなどでつかまっても鬼にならなくて済む特別ルールのことだった。「ままこ」とも言ったし「おみそ」や「みそっかす」という呼び方をする遊び仲間もいた。

|義母が暮らす特養ホーム食堂にて|2012年3月3日|

  路上で遊んでいると年下の子どもたちが仲間に入れて欲しいと言い、通常のルールでは遊べないほど力の差がある場合、特別なルールを適用して加えるのであり

「じゃあ○○ちゃんと○○ちゃんはままこね」

 などと皆で確認をして遊びを継続するのだった。

  自分がつかまっても鬼にならない特別ルールの適用者である事もわからず、鬼につかまるまいと「きゃっきゃ」と笑いながら逃げ回る幼児の姿にふさわしく、「ちょうちょ」とか「あめんぼ」とか「ひよこ」などとかわいらしい名で呼ぶ地方もあったようだが、家内の出身地富山では「はえぼぼ」と呼んでいたという書き込みがネット上にあって笑った。「はえぼぼ」はうるさく飛び回る蠅のことだ。

  「ままこ」であっても仲間に加えてもらっているだけで嬉しい幼児のうちは良いけれど、だんだん大きくなると「ままこ」という特別扱いに気づいて嫌になり、おまえは「ままこ」だというだけで泣き出す子どももいて、仕方がないので通常ルール扱いにしてやると、鬼になったがさいご誰もつかまえられなくなり、鬼から抜け出せなくて泣き出すという事態になったりした。

 

 |義母が暮らす特養ホーム食堂にて|2012年3月3日|

 さまざまな特別ルールの呼び名のひとつに「はぶけ」という言葉があってはっとした。中部地方に多い呼び名のようで、郷里静岡県清水でも「はぶけにする」という言葉はあった。「仲間はずれにする」という差別的な意味合いであり、「ままこ」と同じ用途で遊びに使うことはなかったが、そういう言い方の存在を知ると「ままこ」が嫌で泣いた子どもの気持ちもわかる。

 「ままこ」は継子つまり血のつながりがなく実子でない子どものことであり、辞書を引くともうひとつ「仲間はずれにされる者。のけ者。」という意味もある。「継子」という言葉は「仲間につなぎとめてあげよう」というこちら側の気持ちと、「特別扱いの仲間はずれにされたようで悔しい」という向こう側の気持ちを併せ持っている。

 泣いている子どもを囲んで困り果てていると、通りかかった大人が

「なぜ小さい子を泣かしているんだ」

と尋ねるので事情を話すと

「だったら違う遊びをしろ」

などと言うのでさらに困り果てたものだった。年代をまたいで強いものと弱い者がいる路地の遊びには、大人になったら直面しなくてはいけない、難題に対する学びの場があった。子ども時代も、そして大人になった今も、難題は難題の「まま」なのだけれど。

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最中のこころ

 川越の和菓子屋『亀屋』の最中。家人が自分の来客に出すため大宮駅前高島屋で買ってきたもの。

「行列ができるような店のものではありませんけど」
などと言って客に出しているので
亀屋って天明三(1783)年創業の老舗で、 NHK 朝ドラ『つばさ』で中村梅雀があんこ玉を丸めてた店だぞ」
などと横から口を挟んでみる。そんなことで妙に気色ばんでしまうのも最中ならではで、たかが最中されど最中。銀座で「本日分は売り切れました」の張り紙が出る最中も、スーパーレジ脇に積み置かれている最中も、しょせん最中は最中だろうという気持ちと、職人が丹精込めた最中はやはり美味しいものだ、と認める気持ちのせめぎ合いだ。

|川越『亀屋』の最中|2012年3月2日|

  食べ物に限らず、社会倫理とか一般常識とか、それはそれで大切なものだけれど、一定の支持を超えてしまうとそれらは悪しきものになる。倫理も常識も賞味期限があるから常に変わっていくのであり、行列のできる倫理とか、行列のできる常識の列を見たら近づかないに限る。

 「行列に並んだことがないからあんたはそういうことを言う。あそこの最中を食べたらほかの最中は食べられないぞ」
などと言う嫌なやつの顔が思い浮かんでしまうのも、最中の皮のようにデリケートな人の心ならでは。

  昔、12月9日障害者の日を国民の休日にしようという取り組みがあり、その会議に出席していた頃、川越方面からやってくる障害者団体の女性が、手土産にもって来られたのが亀屋の最中だった。小振りの最中がひどく美味しく感じられて以来、亀屋の最中に肩入れしたいという贔屓の気持ちも一皮かぶっている。

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眠りと匂い

 子どもの頃ひとりで布団に入り、目を閉じて一、二、三と十まで数えて目を開けたらもう朝になっている、などということがあったら辛いだろうなと思い、試してみたら本当に朝になっていたことがあった。もちろん本当に起こったことではなく、目がさめる直前にそういう夢を見て、夢の中で十数えて目がさめたら朝だったのだと思う。眠り損ねたこと自体が眠っている間に見た夢だったはずなのに眠りとは不思議なもので、ひと晩損をした、損をして眠れなかったと思うだけで眠くてたまらず、学校に行ってもずうっとぼんやり過ごしたことを憶えている。

|都立染井霊園内の梅|2012年3月1日|

 暖かな陽気になったので散歩を兼ねて買い物に出た。先日、都立染井霊園内に一本ぽつんと立っている小さな梅の木が満開になっているのを見たが、その後数日経ったいまも次から次へと花を咲かせており、あたりにうっすらとよい匂いが漂っている。映画化された筒井康隆『時をかける少女』では、主人公の原田知世が実験室でラベンダーの香りをかいだとたんに気を失い、それをきっかけにタイム・トラベラーになった。おじさんは梅の匂いをかいでもタイム・トラベラーにはなれないが、梅の匂いをかぐとなぜか無性に眠くなる。ここに立ったまま目を閉じて一、二、三と十まで数え、目を開けたら翌日になっていた、などということが起こったらあれこれ困るだろうな、と思ったとたん足早になって買い物への道に戻る。

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