電脳六義園通信所別室
僕の寄り道――電気山羊は電子の紙を食べるか
▼G.L.G
荒川区で見つけた不思議な中華料理店。
看板の「G.L.G 」ってなんだろうと不思議に思い
入って何か注文して聞いてみようかと思ったのだけれど
昼食直後で腹も身のうちなのでやめにした。
そういうときにかぎって帰宅して「G.L.G 」で検索しても
なんの手がかりも得られない。
Good Looking Guy (見た目のいい男)を略して「G.L.G 」というらしいけど
丸顔に鍋の取っ手のような耳のついたオヤジが
Good Looking Guy とは思えない。
本当に中華両手鍋のマークなのかもしれない。
▼一番きれいな棚ってなんだろ 2
電線を伝って複数の店舗の軒先を横断しているブドウの棚。
しかも垂れ下がっている房と粒の数がとても多い。
銀メダル。
▼一番きれいな棚ってなんだろ
夏に咲く植物を棚に仕立てて日よけにする試みの中で
とてもきれいにできたと金メダルをあげたい作品。
たった三個のプランターから上手に這わせて
壁面全体をきっちりと覆うことに成功している。
▼真夏のフォーマル
真夏の炎天下でもブラックフォーマルのカラスは
さぞや暑かろうなと思う。
あまりに暑くてばて気味なのか逃げる気配もない。
郷里静岡県清水の友人が
愛するご主人のために作っているという
『暑中ポンチョ』をプレゼントしたら喜ばれると思う。
▼こちらJR駒込駅発掘現場2
JR駒込駅、エキナカ遺跡(染井遺跡)の発掘現場の
発掘調査が完了したらしく遺構が埋め戻されていた。
今回調査されたのは江戸時代あたりの浅い地層だと思うのだけれど
もっと深い場所を調査しないということは
このあと大きな建物の基礎工事でほじくり返されることはないということだろうか。
それともこの下にはそれより古い遺跡がある可能性はないと
わかっているということだろうか。
▼雉子と唐人
用事があって千代田区九段の東京法務局に出掛け、
共立女子大から出てくる女学生の脇を歩き、
橋を渡る際に解説板を見たら雉子橋という名前だった。
「数萬人の唐人江戸へ来たり」
とあるので中国人が数万人も江戸へ来たことなどあっただろうかと首をひねったが、
「数萬人の唐人」とは1607(慶長12)年から1811(文化8)年まで
通算12回日本にやってきた朝鮮通信使のことをいっているらしい。
雉子の肉を白焼きしたものを「きじ焼き」といい
当時は大変なご馳走だったらしい。
そうか朝鮮通信使はやはり肉好きだったのか。
▼字
子どものころから習字の時間が大嫌いで
書道好きだった母親がくずし字辞典などを見て
ミミズが這った跡のような文字を書いているのを見るとゾッとした。
仕事の打ち合わせに向かう途中、
高橋是清記念公園内をミミズがはって横ぎっており、
こんな炎天下に移動などしたらひからびてしまわないかと気になり
帰りに確認したらぶじに通路横断を終えていた。
まさにこれがミミズの這った跡なのだけれど
母親が書いていたミミズが這った跡のような文字ほどは
気味の悪い痕跡でもない。
▼天平食堂
豊島区北大塚。
JRの駅からずいぶん離れた辺鄙な場所にある大衆食堂。
大衆好きだった父と大衆嫌いだった母がここにいたら
入る入らないで口論したであろう店頭。
「天平食堂」で検索するとチェーン店ではなく別々の
「天平食堂」がヒットし「てんぺい」だったり「てんぴょう」だったりする。
ここ北大塚以外に杉並区高円寺、大阪市天王寺区、川崎市川崎区、
宮崎県宮崎市などで同名の食堂がヒットしメニューまで似ていて
そのどの店頭に立っても両親が喧嘩を始めそうで可笑しい。
▼こちらJR駒込駅発掘現場
JR駒込駅、エキナカ遺跡(染井遺跡)の発掘現場が
いかにもガクジュツ的ムードが漂って
佳境に入ってきた感じがする。
地面になにやら白い線で書き込みがされており、
発掘調査員が見つめて考え込んでいる。
江戸時代、ここに何があったのだろう。
▼明治牛乳
文京区千石三丁目で壁面に鏝絵(こてえ)のある銭湯
「おとめ湯」の名の由来が創業主の名「とめ」さんからきているという
真偽定かでない話を読んでいいなぁと思う。
銭湯で湯上がりに腰に手をあてて飲んだ牛乳、
明治乳業の社名の由来は創業年の元号が「明治」だったからだろう
と思っていたが創業は1917(大正6)年だった。やられた。
▼夏のエクステリア
東京の学校でインテリアデザインを学び
在京時はラブホテルの設計ばかりしていたと
郷里清水出身の後輩から自己紹介メールを貰ったことがある。
インテリアは別として
ラブホテルのエクステリアデザインに求められるもので最も大切なのは何だろう。
夏場は思わず立ち止まって眺めてしまう近所にあるラブホテルの外壁デザイン。
水を使ったデザインの効能があるのは
涼感が心地よい夏限定じゃないかという気がしてしまうのは
夏のくたびれたオヤジだからだろうか。
▼謎の喜町
東京都文京区千石。
路地裏で見つけた寿司店。
その店頭に停められた業務用バイク荷台の木箱に「喜町」という文字があった。
「(そうか、このあたりは住居表示実施前は喜町といったのかな)」
と思い、帰宅後明治四十年の小石川区地図を見ると林町であり
そもそも東京市に喜町などという町名はない。
ネット検索してみると全国でも「喜町」は静岡県掛川市にしかなく
掛川市の「喜町」はかつて「木町」だったものを
縁起のよい「喜町」に表記がえしたらしい。
「木町」と「林町」は似ているけれど
「林町」を「喜町」と書きかえたりするだろうか。
▼長岡涼話
東洋大学前に妖怪の絵と一緒に掲示されていた
東洋大学井上円了記念博物館『井上円了の生涯とその仕事』展の掲示。
井上円了の顔を初めて見たが
初めてのような気がしないのが不思議。
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