▼45……堺屋


台東区上野2丁目、酒食料品の店堺屋。

「(あの角を曲がると堺屋の古い建物があって……)」
と思いつつ小路に入り向こうに古びた近代建築が見えるとホッとする。
こういう建物を維持されている方がいることによって
この界隈には計量しがたい町の力が宿っていて
「(古いものっていいなぁ)」
と思う。



話の成り行きの中で
「(古いものが残っていればいいってわけじゃないでしょう!)」
とドキッとするようなことを何度か言われたことがあり、
それは必ず女性だったのが不思議なのだけれど、
男性ほどには自分の都合が良いように
つきあう相手を選んでいないせいかもしれない。

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▼「かじいちのまさかどみこし」

神田祭解説にでてくる「鳳輦」は「ほうれん」と読み、
屋形の上に金銅で作った鳳凰を飾りつけた輿(こし)のことを言う。

神田明神は最初大手町の将門塚あたりにあり、
江戸城表鬼門守護にあたる現在地に移り
平将門の霊も神田明神内に祀られている。



神幸(神体を神輿などに載せ、近辺を巡行させること)の際に
平将門が乗る三の宮鳳輦と同じ入母屋造りなので
鍛冶町一丁目の大御輿は「かじいちのまさかどみこし」と呼ばれているという。

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▼神田祭

郷里静岡県清水で過ごした中学高校時代、
自転車に跨って港の岸壁に行き、
コンクリートの桟橋や波消しブロックに
腰を下ろそうとするとザザッと動くものがあり
蛇やトカゲは平気だけれど虫にはからきし弱いので
心臓が止まるくらいびっくりしたものだった。

最近は海岸に行っても、あんなにたくさんいたフナムシを
見ない気がするのだけれど気のせいだろうか?



東京都中央区日本橋。
 
神田祭りの提灯が下がった中央通りを歩いていたら
神田方向から異形(いぎょう)な車が走ってきて
フナムシを連想してドキッとする。

とても不思議な形をした自動車で
生まれて初めて見る車なので
振り返って写真でメモしてみた。
魚のアマダイにも似ている。

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【花とおじさん】

【花とおじさん】

静岡県清水銀座。

割烹『大花』の向かいにある『大門堂写真館』のご主人が友達だとインターネットで知り合った友人に聞いたことを思いだした。
『大花』の向かいというとかつて庵原へ向かう軽便鉄道の駅があったあたりだと思い日暮れに歩いていたら『大門堂写真館』があった。


写真館を構えてスタジオで写真を撮りそれを生業にするというのは仕事とはいえ面白い写真とのつき合い方である。
だが外に出て写真を撮ることもあるわけで、この写真館の先代(?)は同じく清水の『ラッキー堂カメラ店』ご主人と戦時中の清水の暮らしを撮影した写真で展覧会をしたことがあるとネットで検索していて知った。

興味深いので話を聞いてみたいけれど、おじさんとはいえ
「友達の友達で~す」
などと上がり込めるほど図々しくもないので紹介されるのを待っている。

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【平川地】

【平川地】

静岡県清水平川地。

ATOK 2006 では「ひらかわち」と打っても「平河内」とでて「平川地」とは変換されない。
いーや~困ーる~(清水のおばさん常用ことば)。

かつて清水平川地に在住していた「平川地一丁目」という音楽デュオが名をあげたので日本中で「ひらかわち」と読む人が増殖しているのだろう。

ATOK 2006 で「ひらかわち」と打っても変換されないのはそれもそのはずで「平川地」は本来「ひらかわじ」と読んでいたのであり、
「ひらかわじ」と打てば ATOK 2006 でもちゃんと「平川地」と変換されるのだ。

いーや~困ーる~。

※写真は平川地23-9-16にある『駒りん坊』。1丁目というのは過去にも現在にも実在しない。

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【上原堤夕景】

【上原堤夕景】

静岡県清水上原。

上原堤に黄昏時の気配が忍び寄り、水面を涼しい風が渡り、遙か彼方に静岡・清水市民になじみ深い竜爪山が見える。


記憶を辿ってもどうしても思い出せず、誰かに教えてもらいたいことがひとつあって気になっている。
それはこの上原堤は狐ヶ崎遊園地があった時代(1927年~1967年)はたして狐ヶ崎遊園地の一部だったかどうかということである。

お金を払って狐ヶ崎遊園地に入らなくてもこの堤で遊ぶことは可能だったのだろうか。

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【大漁ヱビスに出逢うまで】

【大漁ヱビスに出逢うまで】

エビスビール瓶のラベルに数百本に一本、鯛が二匹で大漁の恵比寿さんがいると話には聞いていたが清水蜂ヶ谷在住の友人宅を訪ねた際に初めて本物を見せていただいた。

■大漁ヱビスのラベル。

通常はからっぽである向かって左奥のビクに釣り上げられて放り込まれた鯛の尻尾が見えている。
こういうものを見て素直に感動できるかどうかはシアワセ度のバロメーターとも言えるので、そういう午後であったことに感謝する。

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【本に載っていたラーメンを食べるまで】

【本に載っていたラーメンを食べるまで】

もう何年も前になるのだけれど中学生時代の同級生がライターをつとめた静岡食べ歩きムックの中にあった郷里清水のチャーシュー麺。

■やっと辿り着いたチャーシュー麺。

とても美味しそうに撮れた写真が印象的で一度あれと同じものを食べてみたいと思っており、5月3日の帰省時に立ち寄ってみたら、全くあのムックにあった写真と同じ盛りつけで出てきてびっくりした。
そういうこともまた美味しい喜びのひとつである。

スープも麺も好みの味で美味しい。
チャーシューがオールドファンには懐かしい紅色の縁なのも眼福。

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【火事と音読と紅い花】

【火事と音読と紅い花】

静岡県清水渋川2丁目。

地名は渋川だが川の名は大沢川という。
清水次郎長が生きた時代、わが先祖は渋川に住み「渋川の國太郎と言えばちょっとは知られた名前…」(叔父談)だったそうで川魚漁をしていたらしい。
古い戸籍を取り寄せたら確かにその名前があった。


保健センター脇の橋から大沢川上流を見る。
右手に小さく紅い花が見え、その花のある側で1966(昭和41)年に大きな火事があった。


保健センター脇の橋から大沢川下流を見る。
この先で直角に右に曲がり、川久保橋のところで巴川に合流する。

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【地蔵堂と蜜柑山】

【地蔵堂と蜜柑山】

静岡県清水村松。

鉄舟寺近くにある白貝谷池。
友人のサイトによればできたのは1770(明和7)年頃ではないかという。


久しぶりに会った友人に、もっと久しく会っていない友人についての消息を聞いたら、お母さんが亡くなられたので仕事を 1 年以上も休んでひとりで実家の片付けをされていたという。

同じように仕事を何年も休みひとりでお母さんの介護をされている友人もおり、そういう境遇にいる男友達が少なくないことをあらためて知った。



「天気さえ良ければ富士山が見える町に住む人は恵まれてますね」
などと他地域の人によく言われ、実家の片付けに疲れて、ふと密柑山に登れば自然の中に身を置いて富士山が眺められ確かに恵まれているのかなぁと思う。

この町には富士山に慰められることによって生きられている人すらいるかも知れないし、映画『男はつらいよ』フーテンの寅がふるさとについて語ったセリフを借りれば
「そんなことだからおれはいつまで経っても一人前になれないんだ!」
というタイプの人間が生まれやすいということもあるかも知れない。

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【静岡朝日テレビ「とびっきり!しずおか」】

【静岡朝日テレビ「とびっきり!しずおか」】

★お知らせ★
明日5月8日(火)16:45~19:00放送の静岡朝日テレビ「とびっきり!しずおか」で静岡市浅間神社周辺の特集が放送され「昭和49年まであった賤機山のリフト」として電脳六義園通信所の【乱れ撃ち清水ノート】に掲載した写真が使われるそうです。


残念ながら東京では見ることができませんが、どんな番組になっているか興味のある方はどうぞ。

写真は「とびっきり!しずおか」にちなんで(どこが?)清水・桜ヶ丘公園の「とびっきり!でかソテツ」です。

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【名前の由来】

【名前の由来】

静岡県清水桜ヶ丘町。

桜ヶ丘公園内にあるタイムカプセル埋蔵地の碑。

残念ながら実際に会ったことはないけれど佐藤虎次郎という市長は僕が少年時代「道路の虎さん」という愛称で呼ばれるちょっとした有名人だった。


清水市長を務めたのは1965~77の12年間であり、愛称が市長就任後につけられたのか就任前なのかはわからない。

道普請に力を入れ自らもっこを担いで現場に出たので「道路の虎さん」…などという話をおとな達から聞いたような気もするが、実話だったのかどうかを知るすべはない。

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【蜂ヶ谷のべにふじ】

【蜂ヶ谷のべにふじ】

静岡県清水蜂ヶ谷。

市の保存樹、樹齢150年のべにふじ。
このべにふじが生えている場所はかつて字山之根といい土地の古老によれば「山之根のべにふじ」という言い伝えがあったとネット上の聞き書きにあった。


土壌の質がふじの花色に影響を及ぼすことはあるのだろうか。

関係ないかも知れないけれど蜂ヶ谷の隣の梅ヶ谷には昭和10年頃まで湯治場があったといい梅ヶ島温泉の分流として硫黄臭のある鉱泉が湧いていたのだという。

そちらは枯れてしまったらしいけれど、叔父によれば蜂ヶ谷山之根をはさんで山原にやはり硫黄臭のある鉱泉が湧いている場所があり
知っている人はポリタンクで汲みに行って沸かし湯をしているという。

梅ヶ谷、蜂ヶ谷、山原あたりは地質学的にも面白い場所なのかも知れないと思ったりする。

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【清商と甲子園】

【清商と甲子園】

静岡県清水青葉町。

清水商業高校からほんの少し歩いた場所に清水西校があり、そこはかつて女子校だった。
清水西校が共学になったという驚愕のニュースを聞いたのはついこの前のことである。

清水西高出身の友人は
「男子生徒を受け入れるのにトイレはどうしたのかしら」
などと女性らしい心配をしていた。


男子生徒が入学するようになり、サッカー部も野球部もグランドで練習しているが空高くそびえる野球のバックネットを見上げると
あらためて西校が共学校になった事へのわずかな感慨がある。

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【桜橋のニセアカシア】

【桜橋のニセアカシア】

静岡県清水桜橋。

ニセアカシアを包含しているコンクリート製の橋脚。
その反対側は内部に線路を包含している。
観察すると斜めに埋め込まれているようなので筋交いのような補強として用いられているのかもしれない。


1933(昭和8)年完成の『桜橋』に埋め込まれているということは、この線路は明治・大正期に使用されたものかも知れない。

同じく東海道本線を跨ぐ清水橋をかけ替えた際には橋の盛り土の中に静岡鉄道清水市内線専用だった当時の古い石垣と盛り土が埋め込まれていたのがわかってびっくりしたが、橋にはいろんなものが下敷きになって埋まっているのかも知れない。

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