駅前回帰

2015年4月4日
駅前回帰
 
01
親たちの介護と看取りが終わりに近づいたら、自家用車を持っていることの必然性をほとんど感じなくなったので処分した。安さを売り物にして競争する長距離路線バスもなんだか危なっかしい気がし、最近は鉄道ばかりを利用するようになって、暮らしから自動車が縁遠くなっていく。自分の人生におけるモータリゼーションの時代は、家族が小さくなるとともに、ごく自然な終息を迎えたように思う。

02
鉄道に依存することで、必然的に駅前という場所に回帰してみると、そこが喜びも悲しみも含めて、人生の始まりや終わりの場所であった頃のことを懐かしく思い出す。人生という列車に、乗車したり降車したりする場所が駅だったわけで、自家用車が手の届きにくい夢だった世代にとって、駅前には甘酸っぱい思い出がたくさん染みついている。
 
 
03
駅前周辺がシャッター通り化した街は多い。再活性化を目指す取り組みもうまくいっていないケースの方が多い。とはいえモータリゼーション離れは少しずつ進行しており、わが住まいのあるマンションも、住民のための駐車場にできた空きが埋まらず、増えるばかりで問題になっている。
 
04
人が共有する場所に何が求められているかを考えると、昔の状態に戻すという発想は無効である可能性も高い。焼け野原に人が集まって新しい街ができたように、綺麗さっぱり何もない状態こそがまず求められるものである可能性も高い。そこからまた何かをつくるだけでなく、つくらないという選択もある。
 
05
改札を出たら昼時だったので、江尻口からバスに乗る前に、海側のみなと口から空き地広場に出た。テーブル付きベンチに腰掛け、広場を駆け回る子どもたちを眺め、海風を感じながら、駅売店で買った寿司とお茶で昼食にした。究極の共有スペースは空が広い。
 
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