旅とゴミ

旅とゴミ

未明の読書の寄り道で、夏目漱石の『三四郎』を読んでいたら、ふと幼い頃の汽車旅を思い出した。

「ただ三四郎の横を通って、自分の座へ帰るべきところを、すぐと前へ来て、からだを横へ向けて、窓から首を出して、静かに外をながめだした。風が強くあたって、鬢がふわふわするところが三四郎の目にはいった。この時三四郎はからになった弁当の折を力いっぱいに窓からほうり出した。女の窓と三四郎の窓は一軒おきの隣であった。風に逆らってなげた折の蓋が白く舞いもどったように見えた時、三四郎はとんだことをしたのかと気がついて、ふと女の顔を見た。」

東京へ向かう車内風景の中にはこんな描写も出てきた。

「三四郎は吹き出した。けれども相手は存外静かである。「じっさいあぶない。レオナルド・ダ・ヴィンチという人は桃の幹に砒石を注射してね、その実へも毒が回るものだろうか、どうだろうかという試験をしたことがある。ところがその桃を食って死んだ人がある。あぶない。気をつけないとあぶない」と言いながら、さんざん食い散らした水蜜桃の核子やら皮やらを、ひとまとめに新聞にくるんで、窓の外へなげ出した。」

幼い頃、昭和三十年代前半の汽車旅では、窓からゴミを捨てる光景をよく見た。弁当の食べかすや、読み散らした新聞などは足元の座席下に突っ込んでおけと教えられたが、まだ窓から捨てる人も多かった。飲み残したお茶をじょろじょろとこぼしたり、窓から腕を突き出して灰を風に散らし火のついたままの煙草を投げ捨てる男たちもいた。そうだったそうだったと遠ざかる風景の一コマを不意に思い出した。

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