▼納豆と家族



糸引き納豆が嫌いだった時代があり小学校高学年まで全く食べられなかった。近所に家族揃って親切な友人がいて、母子家庭の鍵っ子という事情を知っていたせいか夕飯に誘ったり泊めてくれたりし、経済的に決して豊かそうではなかったが、一家五人揃って食卓を囲めるという点においては豊かな家庭だった。




豊島区立駒込小学校正門脇にて。



炬燵の上にどんぶりいっぱいの納豆が置かれ、子どもたちから歓声が上がり、同級生だった末っ子が「納豆はね、混ぜれは混ぜるほど美味しくなるんだよ」と得意げに説明しながら逆に握った箸でぐいぐいかき混ぜており、おかずらしいおかずが納豆くらいしかないので、これは困った事になったなと思った。




豊島区立駒込小学校正門脇にて。



どうやって乗り切ったかは記憶にないけれど、その後は納豆を食べるようになって母親を驚かせ、今では大好物になっているので、なかなか美味しいものだと再認識しながら食べたのかもしれない。子どもの好き嫌いというものは、大勢の人と一緒の食卓を囲むことによって克服できる場合が多いかもしれない。

 
コメント ( 2 ) | Trackback ( )
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コメント
 
 
 
Unknown (mcberry)
2010-03-16 22:59:10
実家は納豆を食べませんでした。
東京で浪人していた時期に
向かいの豆腐屋さんの
豆腐と漬物と納豆が主食だった時期があって
いつの間にか親しんでいたようです。
その後、秋田へ行って
ひき割りに遭遇
実は水戸よりも秋田のほうが納豆に関しては古いのです。
さらに、なぜかその後水戸に住むことになり
だるま納豆とか水戸納豆とか首都圏では流通していない納豆を食べる機会がありましたが
全体としては静岡に引き上げた最近のほうが
よく食べているかもしれません。

うまい食べ方があるんですよね。
それについては、いずれまた。
 
 
 
東北の納豆 ()
2010-03-17 09:51:29
清水で結婚した母は、一時期父の出身地である仙台市内に生まれたばかりの僕を連れて移り住んだことがありましたが、仙台もまたよく納豆を食べるので嬉しかったそうです。清水能島生まれの祖父は納豆が大嫌いだったそうですから。

秋田は納豆消費量が多いらしいですね。秋田出身の編集者はしょっつるで食べるのが好きだったそうです。
 
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