機械になる話

2017年5月19日
僕の寄り道――機械になる話

人間が機械の一部になる快感が自動車の運転にはあり、その快感とは「自意識」からの解放であると、ストレス解消法を尋ねられた関川夏央の文章にあった。

「ただ自意識を失って機械の一部になるのです。要するにバカになることを楽しむのです」
あれ?関川さんはオートバイじゃなかったっけ、と思ったら、肉体の老化に伴う諸事情により四十歳から自動車に乗り換えたのだという。なるほど。

自分のことを言えば、母親が一人暮らしをしていた実家の片づけを終えたところで車の運転をやめた。ストレスをため込んでハンドルを握り、東京・清水間をぶっ飛ばしながら、このまま事故にでも巻き込まれ、自動車と一体になって潰れてしまったら楽だろうな、などと思っている危ない自意識に気づいたからだ。あの頃は疲れていた。

単純な手作業が好きだ。手作業をしていると自意識など忘れてしまうタイプのようで、手作業の最中に頭の方のことをしようと思っても、脳が指先に移動してしまったかのように、指先の方のことしか考えられなくなる。機械のようになってやる流れ作業が嫌いではない。そのあいだ無心になれるのが楽しいという、ありがたい構造に生まれついている。

そんな性分なので、自意識が過剰になって余計なことをぐだぐだ考えそうになると、適当な作業を指先の方につくって頭の方を止めている。こころの作業療法である。母親もまた、寝つかれない夜に起きてやる手仕事をこころの救いとする人だった。

郷里清水で珈琲を焙煎している友だちが、カップ用珈琲パックの景品に波の音の CD を使いたいという。内海と外海それぞれ 10 枚ずつを焼き、専用のインナーをつくって印刷し、裁断し、折り、挿入するという、ひとり手仕事ラインを稼働した。楽しい。


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