電脳六義園通信所別室
僕の寄り道――電気山羊は電子の紙を食べるか
◉北沢楽天と寿能城
2018年5月8日
僕の寄り道――◉北沢楽天と寿能城
大宮の『伯爵邸』にあった無料のタウン誌『Acore・おおみや』。酔っ払っていたので中身も確かめずにもらってきたけれど、「楽天」とは明治から昭和にわたって活躍した漫画家北沢楽天のことだった。14ページにわたる特集で図版や写真も興味深い。
楽天が生まれた家があった場所は今の大宮高島屋の敷地に重なっており、北沢家は見沼にあった寿能城(じゅのうじょう)の家老職で、中山道大宮宿紀州鷹場本陣の家柄だったという。
義母が暮らす老人ホームへ通うバス路線に「堀の内」という停留所名がある。高島屋向かいのバス停からバスに乗ると、大宮駅前側から順に南堀の内、堀の内一丁目、堀の内橋の順に停車し、名前から連想した妻が
「この辺にお城があったの?」
と聞く。
城の有無はわからないけれど、堀の内橋が跨ぐ見沼代用水西縁(みぬまだいようすいにしべり)を「堀」と呼ぶなら、農業用用水堀の内側から来ているんじゃないかと答えていた。見沼代用水西縁は義母が通う彩の国東大宮メディカルセンター脇を流れ、寿能城跡をかすめ、バスで渡る堀之内橋までやってくる。
寿能城は永禄3(1560)年頃、岩槻城の支城として見沼に面して築城されたという。場所はさいたま市大宮区寿能町二丁目あたりになる。脇を流れる見沼代用水西縁は、たいした川幅でないぶん常に水量があり、流れが早く堀の内あたりの護岸は垂直に切り立っているので、落ちたら大人でも這い上がれそうになく、まさに堀のように見える。荒々しい水路の景観を宥めるように、毎年早咲する河津桜の並木があってバスから見える。
寿能城初代城主の潮田資忠は、通説によると岩槻城主太田資正の四男とされ、太田資正は太田資頼の子であり、太田資頼は太田資家の子であり、太田資家は太田道灌の甥…というように人の流れも川のように遡れる。
フリーペーパーの北沢楽天特集のおかげで楽しい勉強をした。北沢楽天の生涯はイッセー尾形主演『漫画誕生』と題されて映画化されたそうで、年内公開予定だという。ぜひ観たいと思っている。(2018/05/08)
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