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秋葉原駅いま昔

2017年11月3日
僕の寄り道――秋葉原駅いま昔

幼いころのぼんやりした記憶の中で、やや大人びた陰影を伴って、記憶にある駅のひとつが秋葉原駅である。両親が勤めていた和菓子製造会社が急な整理に入り、父親の再就職先が北区で見つかり、王子に引っ越して小学校入学を待った春のことだ。

わりあい手厚い退職金をもらったそうで、両親は秋葉原で夏の扇風機と冬のこたつ、テレビと電気炊飯器を買った。少しでも安い店を探して夕暮れの雑踏を行ったり来たりし、それが人生最初のアキバ歩きだった。

神田の露天商たちが GHQ の規制により秋葉原駅高架下や高架線横などへ集まり、次第に電気街が形づくられたのが昭和 25 年なので、その 10 年後くらいにあたる。

かつては駅東側、今のヨドバシ Akiba あたりに神田川から掘割が引き込まれ、鉄道車両から水上輸送への貨物受け渡し場所になっていた。昭和三十年代には埋め立てられたというが、その頃の地図を見るとまだ掘割が描かれている。駐留米軍 GHQ 用の物資や人などを調達するために設置された機関を調達庁と言ったが、地図右下和泉橋近くにその文字が見える。

街の様子は電気街しか記憶にないけれど春まだ浅い頃だったようで、オーバーを着込んだ両親は配達を頼んだ買物とは別に、父親が電気こたつ、母親が電気釜の段ボール箱を抱え、薄暗くて大きな秋葉原駅構内を歩いて焦げ茶色の京浜東北線に乗り込んだ記憶がある。

増改築を重ねた秋葉原駅の基本構造は当時とあまり変わりないように見え、これから先もあまり変えようがないように思える。それでも電気街寄り 1・2 番線ホームで電車を待っていると、当時はジリリリ…と発車ベル音が鳴り響いたけれど、いまは京浜東北線大宮方面行きに「線路の彼方」、山手線内回りに「小川のせせらぎ」の発車メロディが流れる。


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