電脳六義園通信所別室
僕の寄り道――電気山羊は電子の紙を食べるか
【床の高低】
【床の高低】
(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2008 年 9 月 1 日の日記再掲)
昔の家は座敷がたかく、したがって床下もひろかった。
郷里静岡県清水に八木間とかいて「やぎま」と読む名の町があり八木間のおじさんと呼ばれる親戚があってその家の座敷がひどくたかいのが印象深く一緒にたずねた母は
「ね、昔の家のままだから座敷がたかい」
と笑って話してくれた記憶がある。
司馬遼太郎がまゆつばを覚悟だと前おきしながら、日本家屋の床はひくすぎてそのため湿気が床にとどきやすいから寒いのだけれど、床下に刺客がひそめぬよう病的に用心ぶかかった家康がそうさせた安直な改造が世にひろまったのがはじまりだと書いていた。
家康起源の真偽はべつにして、やはりうんと昔の家は床がたかかったのかとそれを読んで納得してみたものの、考えてみたらおじさんの家はいくら古かったとはいっても明治大正時代、ひょっとしたら昭和のはじめころに建てられた程度のものなので家康起源説の高低には関係なく、地域の事情によって昔ながらのたかい床の家を建てる習慣もつい戦前あたりまで命脈をたもっていたのだろう。
■8月30日の富士山。J オイルミルズ(昔のホーネン)に綺麗な姿の大型貨物船が横付けされていた。
おそらく穀物を運んでいると思うのだけれど食糧輸送に用いる船は見た目にも気を配っているのだろうか。
そう思わせるほど赤い船体と富士山の対比が美しくてドキッとした。
床がたかく座敷に上がるのが大変な家はバリアフリーではない。年寄りには優しくないので、座敷に上がる際は一段高い石の踏み台に乗り、座敷の縁に腰を下ろして履物を脱ぎ、尻を軸に回転して足を座敷に載せて、よっこらしょっと手を床について立ち上がっていた。冬あたたかく水害につよい家も、年寄りにとっては加齢とともに過酷な住環境になるのだけれど、そうなる前に寿命がつきていたのがついこの間までのことだった。
確かに床が高かった昔の家はここまで底冷えしなかったと実家を片付けながら思い、今年こそ冬が来る前に片付けを終えたいと思う九月の始まりである。
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