【風立ちぬ】

【風立ちぬ】
 

 雑誌『季刊清水』の編集会議に出席するため日帰り帰省した。
 駿府ライナー押切バス停で下車し、戦中戦後期の瓦産業について調べるため清水区能島で取材した。そのあと会議まで余裕があったので、能島が今でも巴川の流れに囲まれた島であることを確認するため、蝉の声を聞きながら岸辺を一周してみた。
 巴川にもっと水量があった時代、粘土質の大きな中州として能島は存在した。そこに南から旧谷津沢川が押しだした扇状地が川を挟んで接し、その部分はちょっと高く安定した土地だったので土豪吉川氏の館があった。地元の人はそのあたりを「上の段(うえんだん)」と呼んでおり、母方の親戚もあって親戚中から「うえんだんのうち」と呼ばれている。



何となく秋らしい墓参りの道(左)
大内田んぼの稲とその畦に一列植えられた古代米らしきもの(右)

「そうだ、墓参りをしていこうか」
と思い出したように言うと、母親は
「墓参りはついでにするもんじゃないよ。あらためて出直そう!」
とひどく叱ったものだけれど、自分が参られる立場になった今も、母はやはりそう言うのだろうか、墓を蹴倒して出てくるんじゃなかろうかなどと考えながら、取材ついでの墓参りをした。いつも通う墓参りの道に咲く花も、いつの間にかすっかり秋めいていた。



つぶらな眼としっかりした眉のキャラクターを見ると「清水ふるさと塾」塾長に見えてしまう(左)
地上の強風を知っているのか、子どもを抱き足を拡げ踏ん張ってエスカレーターをのぼる若い静岡の母(右)

 北街道大内観音前バス停からしずてつジャストラインバスに乗ってJR静岡駅前に着き、地下通路を渡って地上に戻り、駅前のロータリーに出たらひどく風が強くて驚いた。秋の風というわけでもなく、駅前に高いビルが建て込んできたことで、ロータリーにビル風が起こるようになったということだろうか。じりじりと照りつける太陽の下、無風の大内観音バス停から密閉空間に入って移動したが、田舎と都会のコントラストに目が眩んだわけではなく、唐突な強風に驚いてちょっとよろめいた。



コメント ( 4 ) | Trackback ( )
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コメント
 
 
 
高原でなくても風たちぬ (あおい君)
2009-08-21 06:07:30
「静岡の母」さんは、ここでも活躍されているようですね。(笑)
このところ、暑さのなかにも湿気のない風が立ち始めているようです。
静岡の街は、道路が北西を向いているので、駅前広場に限らず、安倍川を下ってきた風が流れ込みやすくできているようです。
(冬に新富町方面で火災が多く、逆に安東方面では火災が少ないのも同じ理屈のようです。)
街を歩いていて風を感じるようになったら秋です。
 
 
 
Unknown ()
2009-08-21 09:46:02
>墓を蹴倒して出てくるんじゃなかろうかなどと考えながら、、、、

大爆笑!
お母さんが、墓石を蹴っくらかす姿を想像しちゃって、思わず久しぶりに投稿です。
 
 
 
風の通り道 ()
2009-08-21 13:00:26
>静岡の街は、道路が北西を向いているので、駅前広場に限らず、安倍川を下ってきた風が流れ込みやすくできているようです。

なるほど。
そういう話しが大好きです。
風には通り道があって、山沿いの集落でも、あの家は山から下りてくる風の通り道になっているから涼しいなんていいますね。
気象衛星写真を詳細に見ると寒気の吹き出しに伴う筋状の雲が山のどういう隙間を通って静岡県の平地に吹き出しているかわかる日があって面白いです。町なかに入っても視覚的に見ることができたら、風の通り道があるのでしょうね。
 
 
 
夏にありそうな話し ()
2009-08-21 13:05:39
>お母さんが、墓石を蹴っくらかす姿を想像

ありそうな話しでしょう?(笑)
八さんも清水の町なかでぼんやり立っているとき
「(トントン)ちょっと!(トントン)ちょっと○○さん!」なんて肩を叩かれても、決して振り返っちゃだめですよ。
 
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