電脳六義園通信所別室
僕の寄り道――電気山羊は電子の紙を食べるか
【きりつ寿司】
【きりつ寿司】
「鮨職人は半畳の椅子(畳)に正座して握っており、これを「坐り仕事」といった。客は立って食べていたのである。」(別冊サライ1998『大特集鮨』より)
鮨屋に「立ち食い」とある由縁であり、誰でもそんなことは知っているのかもしれないが、次の文章を読んでびっくりした。
「戦前の東京では、店舗を構えた鮨屋と屋台の鮨屋が同数だったという記録がある。屋台店はそれほど数が多かったようだ」(別冊サライ1998『大特集鮨』より)
そういう屋台形式の立ち食い寿司が戦前までは当たり前だったのである。
静岡県静岡市葵区駿府町。
北街道沿いに『きりつ寿し』という名の寿司店があった。
「きりつ」というと立ち食い寿司店なので「起立」を連想してしまうのだけれど店名の由来は何なのだろう。
ATOK 2006 で変換しても姓名や地名の「きりつ」は候補にないのだ。
「その後、屋台店を店舗(持ち帰り専門の高級店)に合体させた店が出現し、ついには屋台形式をカウンターという形で店の中に取り付けた、現在の形が出現することになる。」(別冊サライ1998『大特集鮨』より)
あらためてそういわれてみると、カウンターというのは固定店舗内に無理矢理合着させた屋台だったんだなぁと思う。
それにしても気になる「きりつ寿し」!
実際に客となって出掛けて行き、食って飲んで笑った勢いで聞いてみるしかないかな。
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コメント ( 7 ) | Trackback ( )
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起立木工という業界では名の知れた会社がありますから、きりつ寿司は名前じゃないのかな。
左手(町名で言うと水落町)は、江戸時代は武家地だったようです。(直接関係ないですが、道路を挟んだ南側の角が旧静岡市の天野元市長の家だったりします。)
この左手の道は、「長谷(はせ)通り」につながっています。
浅間神社を起点とする長谷通りは、今川時代からあったらしく、静岡にはめずらしい真東西の道です。
▽城東町
ここは練兵場があったところで、戦後、住宅困窮者向けの住宅が建てられ、その後居住者に払い下げられたと聞きます。
1929年に静岡市に編入されてからも安東村の字であった「北安東」がそのまま使われていましたが、1958年に「城東町」と命名されました。
個人的には「城北町」の方が方角的に正しいような気もしますが、基幹の道が方角に対して斜になっているため、駿府衆の方角感覚はデタラメなので仕方がないのかも・・・
▽北街道
その昔、静岡の中心地から東へ数キロ行ったあたりから先は、道路の半分を濁った川が流れていて、今とはまったく違ったひなびた風景が展開されていました。
静岡にもこんなところがあったのかというのが始めて見た時の印象でした。
昨日・今日と実家の墓参りに行って来ました。
実家を片付けながら、地元でもない高校野球が気になり、つい静岡商業に肩入れしてしまいました。残念!
サッカーは清水大活躍、おめでとう!
アルビはこれから!
新潟にオシム監督が来ています。ガンバレ日本!
どちらかと言うと、単に商店や企業の休みの口実に「お盆」が使われているだけのようです。
でもこの時期になると、なぜみんな仏教徒になってしまうのかなとも思ってしまいます。
今の平和が提灯に記された多くの英霊の犠牲の上に成り立っていると思うと今日という日がとても大切な日であると感じました
今夜もやっています、お近くの方はぜひ
昨日も仕事先で
「明日は土曜日ですよ~」
と笑われました。
▽起立木工という業界では名の知れた会社……
なるほど、人名変換候補が出ないのではなくて
「起立さん」という姓の人がこの世にいらっしゃると言うことなのですね。確認するのが楽しみです。
▽道路の半分を濁った川が流れ……
友人の魚屋にその川は横内川だと聞きました。
魚屋店頭で立ち話をし、
15日、県総に行くために港橋からタクシーに乗ったら
国道1号線をすすみコジマ電気の所を右折して
巴川沿いの道に出て左折し北街道上土あたりまで
巴川沿いを走りました。
殺風景と言えば殺風景なコンクリート護岸の道ですが、
いつか昔の郷土を思いつつ歩いてみたいなぁと思う黄昏でした。
→お盆あれこれ
お盆期間中までだったかと思いますが、
清水中央公民館で清水の空襲に関する展示会をしていました。
残念ながら見ることができませんでしたが
当時のことを物語る資料・遺品等を市民から募集していました。
16日のお盆帰り、山桃娘からメールが入って
帰省中とわかったので入江のお宅にお邪魔して対面。
山桃娘が古い何かを見せてくれようとしたら
お父さんがその中央公民館で展示会をしておられる方に
とっとと寄贈してしまったと言い、
山桃娘がむくれているのを見て笑ってしまいました。
いいじゃない、みんなに見て貰った方が(笑)
寺の坊さんと話しましたが日本のお盆というのは
仏教に土着信仰がくっついた特異なもので、
それに様々な歴史的悲劇がくっつき
さらに商業主義も加わっているので
ひどくヘンなものになっているけど
日本人が日本人であるための
大切なものがこもっているので粗末にできない…。
なんかわかった気がして帰京しました。
来年も東京でしっかりやると思います(笑)
↓のサイトには「美しい小川」とあるのですが、ボクは残念ながら美しい時代は知りません。
それにしても、旧静岡市の市街地の小川は、ことごとく暗渠にされてしまいましたが、少しでも残っていれば情緒あふれる城下町のたたずまいを、少しは感じることができたのにと思ったりします。
http://www.hi-hirai.co.jp/kaisya/omoide/omoide.htm