小さな祠


Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S

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久しぶりに那須に行き、実家の裏手にあるお気に入りの神社や、車で数分の場所にある神社に行ってみた。
最近神社仏閣についていろいろ調べていて、こちらも少し神社に関する知識が増えている。
今まで何気なく立ち寄っていた神社も、今になって見直すと、いろいろと新しい発見がある。

那須のような山奥でも、神社仏閣は意外なほど多い。
しかも観光客に知られていないところも多く、誰もいないので、ゆっくりと過ごすことができる。
撮影する者にとっては天国である。
海外から日本の神社仏閣を見に来る人がいるというが、確かに日本はこういうものの宝庫と言えるのだろう。

那須の実家の周辺を調べてみると、小さくてもそれなりに歴史のある古い神社が多い。
東京の場合だと、本格的に発展したのが、徳川が広大な面積を埋め立てて都市を作り上げてからになる。
創建された年代は古くても、江戸時代に幕府の保護を受けるようになってから、一気に大きくなっていった。

一方那須の地元の史跡を見ると、道端にあるようなものでも、平安時代くらいに作られた・・といった話が出てくる。
まあ考えてみれば、あちらの神社仏閣は、東京のように資金が投入されず、最初の頃の小さい状態のまま変わっていない・・とも言える。
戦災や大火などの災害に遭う事も少なく、昔のものがそのまま残っているのだ。
東京の大きな神社だって、江戸時代に発展する前は、案外このくらいの小さな祠だったのかもしれない。

実家の裏にある神社は、集落の家々に囲まれた奥にひっそりとあって、まるで隠されているかのように、外部からは見えない。
その特異な立地のためか、あまり一般に知られていないようだ。
いつ行っても誰もおらず、シーンとしていて、ただ強烈な霊気に溢れている。
僕にとっては、ある意味とても贅沢な撮影スポットになっている。
(まあ蚊が多くて参ってはいるのだが・笑)

ネット上で、明治時代にまとめられた、この周辺の神社についての資料をみつけた。
それによれば、この神社は1500年代初頭に作られたものであると書かれている。
あまり古いものではないが、それでも江戸時代より前の戦国時代である。

もちろん建て替えや修繕などは、何度か行われてきたのだろうが、石で作られた建造物などは、もしかすると創建当時のものもあるかもしれない。
何でも当時の城主により、離れた集落にある神社より分霊、造営され、(その地にいた?)ある家族が世襲で社務を司るよう命じられたという。
その名残りで、Mrs.COLKIDなど地元の人達が、その家の事を今でも「禰宜(ねぎ)様」と呼んでいる。

また神社に隣接した小山の頂上にも、小さい祠がある。
Mrs.COLKIDが小さい頃は、その小山の頂上から、何メートルもある急な階段を、自作の橇で滑り落ちるという無茶な遊びが流行ったそうだ。
調べてみると、その小さな祠までが、神社としてリストに載っていた。
確かに神様を祀ってはいるのだが、足元ある本当にごく小さい祠なのだ。

そういうものが、周りに沢山あることに、今更ながら気付いた。
Mrs.COLKIDの実家周辺の狭い集落の中だけでも、リストに載る規模のものが五つくらいはある。
しかも少なくとも数年前までは、それらの祠や神社に、御祭日に年寄りが集まって拝んでいたという。
そうやって地元の人達に長年大切にされてきたのである。

明治時代に調べてまとめた資料では、もっと沢山あったらしいのだが、現在はどこにあるのか分からなくなったものも多い。
つまりこの百数十年で、どんどん失われている・・ということだ。
理由は簡単で、面倒を見る人がいなくなったのだ。
手入れをする人がいなければ、風化して朽ち果てていくし、やがて草木に覆われてどこにあるのかも分からなくなる。

Mrs.COLKIDによれば、田舎では仕事がなく、食べていくことが難しくなったからだという。
田舎が嫌いなのではなく、生活するための収入が得られない・・という理由で、人々が田舎を離れていくのだ。
実際、実家の周辺の家々も、後継者の世代が、どんどん家を出てしまい、集落からいなくなっている。

先ほどの禰宜様の家でも、次を継ぐ人がもういないのだという。
あの厳かな雰囲気を楽しめるのも、あと数年のことなのかもしれないな・・・
悲しい事であるが・・・
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