首塚


Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S

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祟り神の中でも、強大なパワーがあることで知られるのが平将門である。
百戦錬磨の武将で「戦いの人」だった・・という事もあるのだろう。
10世紀ごろ、現在の茨城県西部を地盤に活動し、朝廷に対し反乱を起こした。
権力を振りかざす朝廷を震え上がらせ、「新皇」を名乗り関東に独立国を作ろうとした人なので、こちらでは人気のある武将である。

我々の世代にも知られているのは、NHKの1976年の大河ドラマ「風と雲と虹と」の影響が大きいだろう。
最終回で加藤剛さん演ずる平将門の頭を矢が貫くシーンは、今でも強烈な印象となって残っている。
まあ加藤剛さんではちょっと美男子過ぎるようにも思うが・・・

ご存知の通り、大手町には現在でも将門の首塚がある。
940年、将門公は現在の茨城県坂東市岩井付近で討ち死にし、首が京都の東市で晒されたという。
ところがその首が三日後に自分から故郷の東方へと飛んで行き、武蔵国芝崎村で力尽きて落ちた・・という伝説が残っている。
そこが現在の大手町の首塚の場所だという。

この首塚に何かしようとすると禍が起きることは有名である。
そのため現在でも大手町のビル街の一角に、手を出せない特殊な空間として残っている。
京都から飛んできたというのは創作だとしても、現代でも具体的に影響力を持ち続けているところが凄い。
実際将門の首塚は人気で、今でもお詣りに来る人が絶えない。

神田明神の紹介記事でも書いたが、将門の首塚のすぐそばに、神田明神の前身に当たる神社があった。(ほんの百歩ほどの距離だったという)
神田明神は730年に出雲氏族の真神田臣によって大己貴命(だいこく様)をご祭神として創建されたといわれている。
もしここに本当に将門公の首が埋まっていたとしたら、誰かが京都から首を持ち帰り、神社のそばに埋葬した・・という事なのだろう。

1309年には、首塚周辺で起きる天変地異などの怪現象を抑えるため、近くにある神田明神で将門公が奉祀されご祭神となった。
その後、徳川の時代になり、江戸城の結界を強固にすべく、鬼門として神田明神は現在の場所に移された。
将門公の強いパワーを、江戸城の守りに利用しようというのだから、凄い発想である。

明治時代になり、逆賊である平将門を祀ったままにするのはいかがなものか・・という話が出た。
政府が天皇を中心とした国づくりを目指しているのに、朝敵の将門公を祀るのは上手くなかったのだろう。
そのため神田明神では、何と将門公を御祭神から外し、摂社に落とすことになった。
代わりに少彦名命(えびす様)を祀り二柱を維持した。
将門公は人気があるので、当時は東京の人たちから強い抗議の声が上がったという。
将門公のご祭神が復活したのは、ずっと後の昭和59年(1984年)で、どうも前述の「風と雲と虹と」のヒットで平将門人気が高まったことも理由らしい。

江戸城の鬼門になるくらいであるから、神田明神は徳川と深く繋がっていた。
明治維新でいきなり立場が変わってしまい、新しい明治政府との関係はいろいろ大変だったのではないかと思う。
神仏分離令もそうだが、明治維新で世の中がひっくり返り、多くの神社仏閣は生き残るために様々な対応をしなければならなかった。

実は大手町の将門の首塚の方は、関東大震災の時に崩れてしまい、その後一度更地にされてしまったことがある。
その際、内部の発掘調査が行われ、実際には首は埋まっておらず、将門公の時代より古い5世紀頃の古墳があったことが分かっている。
古墳の石室がみつかったが、盗掘された痕跡があったという。

そのため、もともとそこにあった塚(古墳)を、皆が恐れる将門公の首と結びつけただけではないか・・とも言われている。
しかし一度埋めた首を誰かが掘り返して移動した可能性もあるので、事実はなんとも分からない。
神様は人々の信仰の心を源としているそうなので、これだけ多くの人たちが将門様と崇めれば、首があろうが無かろうが、強大なパワーにはなるのであろう。

ところで以前会社で働いていた茨城県の男性から、驚くような話を聞いた事がある。
その男性の出身地では、今でも平将門を信仰する地域があり、町内が二つに分かれているのだという。
将門公の時代から1000年以上経っているのに、一部の地域で信仰がずっと続いているのだ。
地元の人たちにとっては、自分たちを苦しめる朝廷に立ち向かってくれたヒーローであり、将門公がいかに大きい存在であったかが分かる。

将門公が寵愛した桔梗姫という女性がいたのだが、その女性の裏切りがあり、将門公が敗北したという伝説が残されている。
そのため将門公を信仰する地域では、いまだに桔梗を植えるのはタブーになっているという。
その男性も、娘さんが桔梗の柄の浴衣を着て、お祭りに行こうとしたので、慌てて止めさせたと言っていた。

平将門の時代から1000年というと、世代としても30代以上になるだろう。
その間ずっと語り継がれ、守られてきたのだから、将門公のパワーは本当に凄いと思う。
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