マイクロボール


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RRSのボールヘッド「BC-18マイクロボール」を買ってみた。
同社で一番小さいボールヘッドである。
骨組みのような変わった外観で、重量は100g程度しかない。
三脚軽量化計画に使えるのではないかと思い、取り寄せてみたのだ。



シルバーの目立つレバーのせいで、一見ワンタッチ式クランプに見えるがそうではない。
クランプ部分の開閉は、あくまで写真左手のノブ式のスクリューで行う。
レバーはボールの固定とリリースに使用する。

このレバーの開く角度で、ボールをくわえ込む強さが変わる。
また根元の六角のスクリューを緩め、レバー位置をずらすことで、角度に対する締まり量の調整も出来る。
レバー操作だけでボールの抵抗感が変わるのだ。
今までに無い新しいやり方であるが、本体が小さい事もあり、使いこなすのにちょっとコツがいる。



このボールヘッド、どのような用途に使うのかと思ったが、基本的には上の写真のような卓上三脚との組み合わせを想定しているようだ。(同社のサイトでもその組み合わせの画像が出ている)
しかしなかなか性能が高く、他でも使わないと勿体無いように思う。
本体には1/4-20のオスネジが出ているので、相手側がメスネジでないと取り付けることは出来ない。
同社の卓上三脚には直接ねじ込むことが出来るが、それ以外の製品にはアダプターが必要になる場合もある。

下の写真はジッツオのバサルト三脚の00型と組み合わせてみたところ。
取り付けるために1/4 - 3/8のメスメスのアダプター(銀色の円筒形の部分)を介した。
これはなかなかバランスのいい組み合わせかもしれない。



この可愛らしい三脚は、軽量なシグマのDPシリーズを持ち歩いている頃に愛用していた。
現在はジッツオのラインナップから消えており手に入らない。
脚が細いのでコンパクトに折りたためるし(ただし縮長は40センチ以上ある)軽量なので持ち歩いても負担にならない。
気楽にバックパックに突っ込むことが出来る。

脚を開いて1段伸ばすと高さは約60センチ、センターポールも目いっぱい伸ばすと約90センチになるが、センターポールを伸ばした状態は不安定であまり使えない。
マイクロボールと組み合わせた重量は一脚並みに軽い。
性能には限界があるが、それを承知の上で使えば重宝する三脚である。



当初はBC-18マイクロボールを小型一脚と組み合わせて、最軽量の仕組みが出来ないかと考えていた。
しかしこのボールヘッドには致命的な問題点がある。
角度が45度までしか傾けられないのだ。

そのため縦位置の撮影は、カメラ側にL字プレートが付いていないと出来ない。
せっかく最軽量を目指しても、カメラが重くなったのでは意味が無い。
やはり(カメラを一定以上傾けられない)卓上三脚との組み合わせを前提に開発された製品なのだろう。



驚くべきは固定する力の強さである。
レバーを閉じると強固にボールに固定され、かなり大型の機材でも保持してしまう。
下手な中級ボールヘッドより強いくらいだ。
実際このマイクロボールを大型カメラに使用している人もいるようだ。

ある意味すごく通好みの製品と言えるだろう(笑)
根元部分の細さが何とも心細いが、この小ささと軽さ、固定力の強さは魅力的だ。
かなりの可能性を秘めた面白い製品であり、アイディア次第でいろいろ活かす事ができそうである。
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打ち切り


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BSのDlifeで海外ドラマをよく見る。
要は無料放送でしか見ないということだが・・・(笑)
あちらのドラマは、お金のかけ方が日本のドラマとは全然違っていて、スケールが大きくて見ていて気持ちがいい。

そんな中、出来は悪くないのに1シーズンだけで打ち切りになった不可解な番組がいくつかある。
まずは「リミットレス」
ブラッドリー・クーパー主演の映画「リミットレス」(僕は未見なのだが)の続編に当たるテレビドラマである。

脳を100%覚醒させ超人的な能力を発揮させるNZT48という薬を飲み、FBIに協力して大活躍する主人公を描く。
主役のブライアンを演じるのはジェイク・マクドーマンという俳優で、映画版のブラッドリー・クーパーも時折顔を出す。
薬に強い副作用があり、また政治的な陰謀にも巻き込まれるなど、主人公は何度も窮地に立たされるが、薬の力で超人と化し何とか乗り切っていく。

主人公は売れないミュージシャンで、ふらふらと生活する定職につかない若者であった。
それが薬を飲むと冴え渡る男に変身するという設定が面白かった。
それでいて実は情に厚いタイプで、冷徹な判断より人を助けることを選んでしまう。

映像センスは洗練されているのだが、主人公の性格を反映した軽い語り口で描かれており、時折悪ふざけが過ぎる演出もあって、そのアメリカっぽさが面白かった。
視聴率が芳しくなかったのだとしたら、もしかするとその軽さが一般視聴者に敬遠されたのかもしれない。
個人的にはかなり好きな番組であったのだが、皆さん意外に保守的なのか・・・

もうひとつは「FOREVER Dr.モーガンのNY事件簿」である。
とても優れた出来のドラマであったが、これも第1シーズンで打ち切りとなった。
主演のヨアン・グリフィズも打ち切りを知った時はショックのあまり憔悴しきってしまったというから、スタッフは当然シーズン2に続くと思い込んでいたのだろう。

こちらは映画の「ハイランダー 悪魔の戦士」と設定が良く似ている。
不老不死の身体を持ってしまった主人公が、200年生きた経験を生かして監察医として難事件を解決していく。
その一方で「どうすれば普通の人のように死ぬことが出来るのか」という自身の謎の解明にも挑んでいく。

もともと頭のいい男であるが、そこに200年分の知識と経験が加わるものだがら、極めて優秀な監察医として活躍している。
しかも命を落としてもすぐに復活する(なぜか近くの川に全裸で瞬間移動する)ので、ある意味怖いもの無しである。
絶体絶命の場面では、一時的に自殺すればその場から脱することも出来る。

しかし自分だけ歳をとらないということは、ひとり取り残されることでもあり、誰かを愛してもいつかは別れなければならない。
愛した相手だけが、どんどん年老いていくという悲劇。
しかも秘密を人に悟られないように、一定期間でその場所から姿を消して、どこかに移り住んでいかなければならない。

大変面白い設定のドラマで、セットにもお金がかかっていた。
そのため世界的に評価が高く、これぞ最上のドラマという人もいた。
それだけにいきなり1シーズンで打ち切りになった時は、ファンが衝撃を受けたようだ。

最終回も、主人公がヒロインである女性刑事に、ついに自分が不老不死の身であるという事実を打ち明けようとする場面で終わってしまった。
待ちに待った展開であり、皆がその続きに大いに期待していたはずだが、それきり尻切れトンボになった。
不老不死の主人公のはずが、ドラマは短命であった・・というオチである。

打ち切りになった理由が分からないのだが、思うに製作費がかかり過ぎたのではなかろうか。
かなり凝った作りのドラマであり、200年に渡る過去の出来事が現在と巧妙につながるため、主人公が体験した各時代の出来事を思い出すシーンも多い。
その時代考証やセットの製作にかなりの費用がかかっていたと思われる。
テレビのドラマとしては、ストーリーのスケールが大き過ぎたのかもしれない。
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AI戦争


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そう遠くない将来、人類は歴史上最大といっていい大きな変換点を通過することになる。
自ら思考しロジックを作り出す高性能なAIが開発されれば、人類は今までの社会や生活を根底から変えざるを得なくなる。
それについては以前にここに簡単に書いた。
2018年5月15日の日記

AIが管理する新しい世界の出現により、人類は初めて「労働」という奴隷制度から開放されるという。
しかしそのような理想世界を実現させるには、まだ超えなければならない大きな壁がいくつもある。
あまりにアナログ的な現在の世界情勢を見ても、簡単に実現するとは思えない。

何しろ価値観が根底からひっくり返ってしまうのだ。
すぐには対応できない人がほとんどであろう。
しばらくの間世界は混沌とし、殺伐とした紛争が続くという予測もある。
社会体制はおろか、人間の心の中まで変えてしまうほどの大きな変革を、人々はそう簡単には受け入れらない。
多くの人が、自分たちの積み上げてきた古い世界を守ろうと抵抗するだろう。

全人類を統一してひとつのAIでコントロールする・・それが実現すれば理想であるが、本当にそんなことが可能であろうか。
例えば我々にとってもっとも有益となる道をAIが導き出しても、他の人たちの目には不利益と映るかもしれない。
正しいと思うこと、信じているものが違うのだから、当然目指すべき「理想の世界」も違うものになる。

世界中の知識人が集まり、AIの目指すべき方向を議論したとしても、全人類が納得するような結論にまとまるとはちょっと思えない。
インターネットのお陰で国家という概念が無くなりつつある・・と言っても、厳然たる国境がまだ存在する。
素人の我々が考えても、各国あるいは各集団がそれぞれ自分に都合のいいAIを作り、コミュニティ間で対立する構図が思い浮かぶ。

たとえば「他国を支配下に置きその国民を奴隷化し帝国を作り上げる」ことを目標とする国家がAIを作ったらどうなるだろう。
そのAIは全力で目標達成のための計算を行う。
一方でそれ以外の国のAIは、それを阻止すべく方策を算出する。
そして互いに世界平和のためと称し、まずは邪魔となる相手を破壊し殲滅する方法を導き出そうとするであろう。

仮に超知能の開発が実現しても、人類という不完全な生物が絡む以上、欲得からは逃れられず、原始的な戦いは避けられないのではないか。
平和で明るい理想社会の実現のために、まず相手を倒さなければならないという矛盾。
最初は敵のAIにウィルスを送りつけるといったコンピューター同士の戦いから始まるだろう。
しかし最終的には人間が自分の手で武器を取り、昔ながらの殺し合いで決着をつけることになるような気がするのだが・・・
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古い口座


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もう何十年も前に取引のあった銀行に、まだ会社の口座が残っていた。
長年会社をやっていると、こういう残骸がそのままになることがある。
毎年決算の時期にはお金を支払って残高証明書を出してもらう必要があるので、もう無駄なことはやめようということになった。
要するにその古い口座(ほとんど残金は無い)を解約しようというのだ。

問題は、銀行がその後統廃合されて名前が何回か変わっている、ということだ。
当時付き合いのあった支店はとっくに無くなっており、その後別の新しい担当支店を指定されたが、それさえも次の統合の時に再度変更されていた。
そのため遠くにある現在の支店まで、わざわざ出向くことになった。

あらかじめ電話で必要な書類を聞いておき、それらを揃えていった。
窓口の女性にそのことを話すと、あちらも初めてのことなのか戸惑ってしまい、結局仕切られた別の相談窓口へと回された。
確かにその行員さんが子供の頃に消滅したような銀行の書類を持ってこられても困惑するのはわかるが、考えてみればあちらの一方的な都合でこうなったのだ。

書類はこれだけでいいと電話で言われたことを告げると、当初は誰がそんなことを言ったか・・とでも言わんばかりであった。
しかし電話で話した人が本部の偉い人だったようで、「上司に相談しますのでお待ちください」ということになった。
イレギュラーな処理のようで、電話でも謄本などいらないのか聞いたが、「うーん、必要ないと思うので窓口でそう言ってください」というあやふやな答えであった。

最初は古い口座の解約なんて数分で終わるだろうと思っていたが、どうもそう簡単ではないようだ。
しかもその間、こちら側の代表者が替わり実印も替えたので、その変更手続きも加わり話はさらに複雑になっていた。
そのうち女性から「けっこう時間がかかると思いますが、今日はお時間が有りますか?」と聞かれた。
こうなったら仕方がない。
帰りに得意先に寄ろうかと思っていたのだが、どうやら無理そうだ。

持って行った書類は、当時の小切手帳の残りとか通帳とかである。
それらが銀行の名前が変わるたびに新しいものになり、使えなくなった過去の銀行名のものが溜まっていったのだ。
使わなかった小切手の番号を全部控えるのにかなりの時間を要し、その上で発行済みの半券を返却された。
いらないから処分して欲しいと言ったが、そうもいかないようだ。

その間も奥では数人で何やら協議していたが、どうやら僕や会社のことを調べていたようだ。
担当の女性から、貴社を調べた結果OKが出たようなことを言われた。
残金がほとんどゼロだったことも、その程度で済んだ理由かもしれない。

古い口座を解約するだけなのに、大事であることが分かった。
それだから今までやれずにいたのかもしれない。
お昼頃行ったのに、結局銀行の閉店近くまでかかった。
昼食を食べていなかったので、途中でお腹が空き体調が悪くなってきた。
これは残金ですと言われ、たったの十数円を渡され、やっと銀行を後にした。

帰宅すると母親が、まだこういうものもあると言って、黄ばんだ古い通帳を出してきた。
何と昭和20年代の手書きの通帳で、はるか昔に無くなった懐かしい銀行の名前が書いてある。
しかもこちらは残金がけっこうある。
思わず、もういい加減にして欲しいと言ったが、母親はこれは記念にとっておくからいいと言ってまた机にしまった。
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運び屋


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日曜日に床屋に行こうとした。
ところが既に予約でいっぱいで、今からだと2時間後になるという。
どうも日曜日の午後はお客が集中するようだ。

2時間も無駄にぶらぶらするのも嫌なので、今週は床屋に行くのは止める事にした。
ちょうど日本橋にいたので、そのままiPhoneで近くの映画館の次の回のチケットを予約した。
イーストウッドの「運び屋」である。

なかなかいい映画であった。
イーストウッド監督作品らしく、例によって「弱い人間」を描くことにこだわっている。
映像もいつも通り一発撮りの自然さを優先させ、無駄なシーンは排除した簡潔なものでる。

キャストはかなりの演技派が揃っている。
しかし力まず淡々と流していることと、イーストウッドの役柄が突出しているために、それ以外の人たちは必要以上に前に出てこない。
インタビューを見るとイーストウッドと競演出来ることだけで感激してしまった人がほとんどのようだ。

神様的存在の人が、そのまま自分に近い年齢の年寄りを演じている。
仕事に熱中し過ぎて家族から恨まれ見放された孤独な老人。
過去の自分の罪を償おうとする男であり、もがきながら更なる罪を犯していく。
そのよろよろの年寄りが若い世代を翻弄し、多くの人たちの心に何かを残していく。

ところで一連のマカロニ作品やハリー・キャラハンで育った世代には、弱いイーストウッドというのがどうにも受け入れがたい。
だが今回のイーストウッドは、さすがに当人の年齢が年齢であるし、役柄も90歳の「爺さん」で最初から相手を力で倒すような能力は無い。
そのためか、かえって素直に見ることが出来た。
ああ、イーストウッドもこんなに皺くちゃになったんだなあ・・という寂しさも感じた。
晩年の父親を見る思いであった。

ところが実際には当人は至って元気だそうで、この映画の中のよたよた歩くイーストウッドは演技なのだそうだ。
ブラッドリー・クーパーによると「椅子からカンガルーのように飛び出す」ほど元気だそうで、イーストウッド自身も「養鶏場にいた祖父を思い浮かべながら演技した」という。
どうやら御大はまだまだ健在のようだ。
それを聞いて少し安心した。
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イタリア、スペインの日


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土曜日にMrs.COLKIDの誕生日祝いで家族でデパートに行った。
そこで母親がブルガリの凄く高いイヤリングをMrs.COLKIDにプレゼントに買った。
当然あなたも支払うのよと言われた。
今にして思えば、それがイタリア-スペイン・デイの始まりであった。

それから予約しておいたイタリア料理のレストランで食事をした。
デパートの中のレストランであるが、なかなか美味しくて満足した。
誕生日という事で、特別なケーキも用意してくれた。



それから母親と別れ、Mrs.COLKIDと二人で新宿まで映画を観に行った。
「サッドヒルを掘り返せ」という、かなり通好みの作品だ。
マカロニ・ウエスタンの傑作「続・夕陽のガンマン」の有名なラストシーンの舞台となった墓地を、有志が復元するドキュメンタリーである。

映画音楽史上最高傑作と言われるモリコーネの「ゴールドのエクスタシー」をバックに、イーライ・ウォラックが走るあの抜群のシーンが撮られた場所である。
50年前にスペインの片田舎に作られ、そのまま放置され土に埋もれたセットを、ボランティアたちが集まり掘り返すのだ。
僕は「続・夕陽のガンマン」はセリフを覚えるほど何度も見ており、今日の映画の内容はドンピシャリで非常に興味深かった。

しかし夜の回だったせいもあり、お客は少なくて10人程度だった。(その前の回までは満席だったようだ)
お客は全員僕に近い年齢の男性で、女性はMrs.COLKIDひとりだった。
来場者プレゼントで、入り口で全員にイタリア製のパスタ(マカロニ)の袋が渡された。

さらに抽選で、お客の中のひとりだけにプレゼントが用意されているという。
何しろ10人しかいないので、何となく当たるような気がしたのだが、案の定僕の座っていたシート番号が当選し、賞品にスペイン製のワインをいただいた。
ブルガリ・ローマと書かれた袋とイタリアのマカロニとスペイン製白ワインの瓶を持って電車で帰宅した。
本当にイタリア-スペイン三昧の一日であった。
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マシュマロ


Z7 + NIKKOR Z 50mm f/1.8 S

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会社の帰りに海外食材のお店に寄った。
外国のお菓子やお酒などが、棚に所狭しと並んでいる。
その中にマシュマロの置いてある棚がある。

意外に大きなエリアを取っている。
その中でアメリカ製のものが一番幅を利かせている。
こんなに需要があるのかと思うくらい、いろいろな大きさや色のマシュマロが揃っている。

輸入食材中心のお店ではあるが、日本製のマシュマロも一部置いてある。
小さめのものが中心であるが、意外に日本製も種類が多い。
コーヒーに浮かべて飲むのが一般化したからであろう。

前から何となく気になっていたので、ひとつ買ってみることにした。
最初はやはりスタンダードな米国製の白いマシュマロにしよう。
いろいろな大きさがあるが、どうせならと一番大きいものを選んだ。

子供の握りこぶし程度の大きさである。
直径5センチくらいはあるだろうか。
円筒形の白いマシュマロがゴロゴロと袋に入っている。
そして袋からはプーンと甘い香りが漂う。

それを会社に持っていき、昼食時に皆にあげようとした。
ところが皆があまり喜ばない。
マシュマロは苦手なので・・と辞退する人が多かった。
そこにいた5人のうち3人からいらないと言われた。

食べてみると、決して不味いわけではない。
しかしこの大きさなので、一口ではとても食べられない。
口の周りに白い粉をつけながら、むしゃむしゃとかじることになる。
Mrs.COLKIDからは、砂糖のかたまりだと注意を受けた。

食べてみて分かったのだが、一つ食べるともう十分で、それ以上食べる気にならない。
マシュマロの味って、淡白なようで意外に癖が強いのだ。
1個で満足してしまうというか、うんざりするというか・・・(笑)
デザートとして1個食べる程度なら、ダイエットにはいいのではないか?・・などと都合のいい言い訳を考えているのだが・・・
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昔の友人


Z7 + NIKKOR Z 50mm f/1.8 S

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仕事の打ち合わせがあり、都内のある町に出かけた。
僕が中学生時代を過ごした町だ。
打ち合わせが終わってから、懐かしくて周辺をぶらついてみた。

表通りに面した建物の多くは、既に新しいビルに変わっている。
しかし一歩裏道に入ると、当時のままの古い建物が残っている。
残念ながら僕が住んでいた家はもう無く、その場所には新しい家が建っていた。

その地域は高台で、周囲は坂に囲まれている。
子供の頃は自転車で移動するのが大変であった。
高台と言っても道は狭く、ゴチャゴチャとした古い建物が続く庶民的な場所である。
それは今でも変わらないが、不思議と駐車場には高級車が並んでいるのは東京ならではのことか。

ふと中学時代の同級生のA君のことが頭に浮かんだ。
彼は駅の向こう側の高台に住んでいた。
そこは某皇族の方のご実家がある都内でも屈指の高級住宅地で、立派なお屋敷が並んでいた。
その中にA君の家があった。
そこに遊びに行った時のことを思い出した。

A君の部屋で遊んでいると、彼の母親が廊下をやってきた。
「○○さん、お勉強は?」(○○はA君の名前)
とA君の母親が、穏やかではあるが少し冷徹な口調で、僕と遊ぶA君に声をかけた。

「はい、お母様」
A君はパッと背筋を伸ばして答えた。
「友達と1時間だけ遊んでから勉強します」

僕と遊ぶ時間が1時間と決まっていて、それを親に報告するのか・・・
確かに勉強の邪魔になるものな・・・
A君はかなり優秀で頭の切れるやつであった。
家でもしっかり英才教育を受けているのだ。

しばらく彼と遊んでいると、また母親がやってきた。
「○○さん、30分経ちましたよ」
A君はまた最敬礼になり、はい!と答えた。
子供ながらに、自分とはまったく異なるクラスの人たちの生活に接した驚きを感じた。

Aのやつはどうしているだろうな。
そう思い、帰宅してからネットで彼の名前を検索してみた。
Facebookにでも登録しているかと思ったのだ。

すると同姓同名の人物が、日本を代表する金融業界の某大手のトップに就任したというニュースが出ていた。
まさかと思ったが、そのページに飛んでみると、新しい代表者の写真が大きく出ている。
「A君だ・・・」
色白で顎の出た子供の頃の彼の特徴がそのまま残っている。

この年齢で、随分出世したものだな・・・
彼が優秀なのは確かだったが、一方で少しバンカラなところもあり、だからこそここまで登り詰められたのだろう。
40年以上会っていなかったが、今後は彼の顔をニュースなどで時々見かけることになるかもしれない。
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三脚論


Z7 + NIKKOR Z 24-70mm f/4 S

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あるカメラ店でベテランの販売員の方と話した。
小さい三脚を探していると言うと、大きいものは何を持っているのかと聞かれた。
3型や5型があることを告げると、それがあるなら・・ということで話の内容が変わった。
大きいものを使った上で必要な小型機種となると、勧める機種も違ってくるのであろう。

ここ数年のカメラの進歩とともに、三脚の立場は急速に変わってきている。
先日も書いたが、ミラーレスになりボディが軽量化され、電子シャッターによりミラーショックが無くなり、高感度の画質も向上している。(ここに手ぶれ防止機能も加わるのだろうが、個人的に好きではないので・・・)
それらが固定具である三脚に及ぼす影響は少なくないはずだ。

特にミラーショックが無くなったことは大きいだろう。
今までは振動の発生源自体が、あろうことか一眼レフカメラ本体にあったのだが、それがついに無くなったのだ。
以前は「重さ」でこの振動を強引に抑えこむ必要があったが、今後は空間にカメラを保持できればいいわけで、必要以上の重さの三脚は不要になるはずだ。

もともと三脚を軽視する人は多いが、三脚なんていらないという考えの人がさらに増えるであろう。
それどころか、三脚を使ったことが無い・・というカメラマンが大半になるのではないか?
まあ僕の場合は、単に体力的に重いものを持ち歩くのが辛くなったというのが本音であるが・・・

その事を伝えたが、その店員さんは今後も三脚は絶対に必要なものであるという。
三脚の機能は振動を止めることだけでなく、構図をじっくり検討するためにカメラを空間に静止させることも大きいという。
たしかにファインダーや液晶画面を見ながら構図を微妙に調整するとなると、土台を安定させる必要があり、多少過剰なくらいの固定性能が欲しくなる。

ただ僕の場合、そういう構図の決め方をしない。
直感的にここだと思う瞬間にシャッターを押すタイプで、じっくり考えるとかえって上手くいかない。
拳銃をぶっ放す早射ちガンマンタイプで、じっくり狙うスナイパータイプではないのだ。
構図を検討するために三脚を使うことももちろんあるが、機会は少ない。

で、ここまで書いおいて、まるで逆のことを言うようだが・・・
Z7を使ってみて分かったのは、三脚で固定すると飛躍的に画質が向上するという事実だ。
むしろ一眼レフ時代より強くそれを感じる。
恐らくZマウントの採用によりレンズ性能が大幅に上がり、今までのカメラと一次元異なる画質になっているのだ。
こういうカメラの性能を十分に味わうためには、やはり「頑丈な三脚」がキーワードになるだろうと内心思っている(笑)
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検査


Z7 + NIKKOR Z 50mm f/1.8 S


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Mrs.COLKIDから、今日は帰りが遅くなるから・・と言われた。
そう・・と答えたが、何故遅くなるのか、理由は聞かなかった。
恐らくどこかに寄って買い物でもしてくるのだろう。

僕は夕食はプロテインだけなので、ひとりでも取る事は出来る。
先に帰宅し、Dlifeを見ながら食事をしていた。
そこにMrs.COLKIDからショートメールが入った。

「頸がんが終わったのでこれから帰ります」

け・・・頸がん!?
頸がんの検査に行ったのか?
何も聞いていない。
それならそうと言ってくれればいいのに・・・

体調が悪いという話は聞いていなかった。
しかし検査するということは、何か症状が現れたのか?
それとも誰かに勧められたのだろうか?
終わったとメールしてきたということは、結果は問題なかったのだろうか・・・

そんなことを考えているうちに、Mrs.COLKIDが帰ってきた。
玄関に迎えに出て
「君どこか身体が悪いの?」
と問い詰めたが、本人はけろりとしている。

「がんの検査に行くなら行くって言ってくれればいいのに」
ところが当人は、何の話?という顔である。
「だって頸がんの検査が終わったっていうメールがきたよ」と本人に見せた。

すると
「私は映画が終わったから帰るってメールしただけよ」
と言う。

音声で入力したので、機械が聞き間違えて「頸がん」と変換してしまったようだ。
そういえば映画を見に行くって、少し前に言っていたのを思い出した。
それにしても人騒がせな変換ミスである。
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減量


Z7 + NIKKOR Z 35mm f/1.8 S

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DHCのプロテインダイエットを続けている。
2019年2月5日の日記
かなり効果が出て、みるみる体重が減った。
現在は7キロくらい痩せたところで安定している。
ベルトの穴は一番短いところで使っている。

朝食はシリアル、夕食がプロテインである。
昼食はしっかり取っている。
その摂取量である体重まで落ちたのだから、今までは食べ過ぎだったということであろう。

昼を多めに取り、夜はプロテインと一緒に軽くスープやミルクを飲む。
そのパターンで、現在の体重くらいでストップし、ちょうどバランスするようだ。
夜のスープを止めてプロテインだけにすると、また体重の減少が始まる。

逆にプロテインを完全に止めて普通の食事に戻すと、2日に0.5キロくらいずつ増えていく。
安定してそういう数値の変化量を示す。
毎日測定すると、体重増減の公式のようなものが見えてくる。

プロテインダイエットは、比較的我慢することが少なくて、楽なダイエット方法であると感じている。
苦しい思いをすることがほとんどないのだ。
量を調節することで、体重の増減をコントロールできる。
毎晩プロテインだと、たまには美味しいものが食べたいという欲求も出てくるが、そういう時は食べればいいのだ。

ただ筋肉をつけるために運動は必要であると思う。
体重は減るのにお腹は思ったほど引っ込んで見えない。
今後はそちらも力を入れていきたい。

体重としては今くらいがちょうどいいと感じている。
体調は悪くないし、歩いていても負担が少ないようだ。
医者からはあと数キロ痩せるとベストと言われるのだが、僕は人より骨格が大きいのか、無理に標準体重を目指すと体調に支障をきたすことがある。
やはり自分なりのベストの数値をみつけて、それを維持していく方がいいと思っている。
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ドラマ


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日本のドラマはほとんど見ないのだが、家族につられて見るようになった番組もある。
NHKの朝ドラと大河ドラマだ。
朝ドラの放映時間は会社で仕事中なので、夜帰宅後に録画で見ている。

ご存知かと思うが、現在放映されているのは即席ラーメンを作った人と家族のドラマだ。
ものを作る人の話ということで、自分の環境と似たところがあり、それなりの共感を持って見ている。
発明家である夫の行動に振り回され、主人公である妻の影が薄くなるのは仕方が無いが、血の繋がりの無い男の兄弟が力を合わせるところなどは面白い。

このドラマで驚かされるのは、役人や金融機関、それに占領軍などをかなり悪く描いているところだ。
役人は融通が利かず高圧的であるし、金融機関は金がすべてで血も涙も無い、米軍は敗戦国の人間に対し理不尽なことをする。
すべては主人公の必死の頑張りを阻害するものであり、視聴者に相当悪い印象を与えている。
そういう時代だったといえばそれまでだが、知らなかった視聴者は、こんな事をされたのか・・という驚きを感じるであろう。
シナリオも意図的にそれを訴えているように見える。

しかも放映しているのがNHKなのだ。
その辺りはなかなか興味深い。
最近のNHKの番組を見ると、少しずつではあるが国営放送という殻を破壊しようとしており、その点は評価したい。
それにしても今回のドラマの内容は、モデルになったN社こそがオリジナルであり、それ以外はただの悪徳コピー会社という印象を強く受ける。
N社にとっては売上も上がるであろうしホクホクであろう。

大河ドラマは明治と昭和を舞台としたオリンピック絡みのドラマであるが、視聴率が悪くて問題になっている。
下手をすると打ち切りなどという話まで出ている。
歴代の大河ドラマを見てきたが、今回放映しているものは、決して出来が悪いわけではなく、むしろ作品の質は上位に入ると感じている。
個人的に興味のある時代だし、浅草十二階が登場する(2010年3月12日の日記)だけで大喜びである。

どうも日本人は明治維新までで日本の歴史を区切る傾向があり、大河ドラマがそれ以降の世界を舞台に選ぶことを好まない。
しかしそれ以降の出来事を連続的に捉えてこそ、初めて歴史を俯瞰したと言えるだろう。
視聴者が大河ドラマに期待しているものが、単なる合戦やチャンバラものの「時代劇」であるなら、そちらの方が是正されるべきである。

日本のドラマは総じて演出がスローで、見るのが辛いと感じることが多い。
今回の大河ドラマは場面の展開が早く、舞台になる時代を明治と昭和でポンポンと切り替えるため、高齢の視聴者がついてこられないようだ。
その結果の低視聴率なのだろうが、質を高めたことの結果であるなら、それはそれでいいのではないか。

以前より感じていたのだが、どうも質の高い番組ほど視聴率の数字が芳しくない傾向があるようだ。
僕など面白い番組の場合は録画しておき、後からゆっくり見ることも多い。
視聴率というのは、そういう数字まで反映されているのだろうか。

単純に視聴率の数字だけで、作品の評価を下してしまうことには大いに疑問を感じる。
質を無視しては、それこそ後の時代になって「当時の視聴者はまだレベルが低くて理解出来なかった」なんて言われかねない。
NHKならば視聴率を気にする必要はないのだから、構わずどんどん質を上げてほしいと思う。
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バッグ


Z7 + NIKKOR Z 35mm f/1.8 S

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ここしばらく、出張に持って行くキャリーバックを物色していた。
まだ出張はしばらく先なのだが、今から少しずつ準備しているのだ。

出張先では展示会場をかなり歩き、しかも集まった資料やサンプルで荷物はどんどん重くなる。
そのため車輪の付いたキャリーバッグでないと辛い。
ところが街を歩く時は、石畳の場所もあり、キャリーバッグがベストとは限らない。
前回はそれでけっこう苦労した。

街中ではむしろリュックの方がいい。
カメラも持ち歩くので、荷物はそれなりの重量になる。
ある程度の大きさのバックパックが必要になる。

三脚の時と同じように、必要な条件がいろいろ出てくる。
前回の経験を踏まえ、自分なりにいろいろ検討してみたのだが、これが案外難しくて、あっちを立てればこっちが立たなくなる。
とりあえず考えついたのは、機内持ち込み可能な大きさのキャリーバッグで、そのまま背負ってバックパックにもなる機能の付いたものだ。
もちろんそれとは別にトランクも持って行き、そちらは航空会社に預ける。
帰りは荷物が多くなるので、それらふたつに詰め込んで持ち帰る。

ところがいざお店でバッグの現物を見せてもらったところ、目論見通りには行きそうにないことが分かった。
機内持ち込み可能な大きさのキャリーバッグは、ほとんどが制限サイズいっぱいに作られている。
航空会社にもよるが、持込み可能な最大サイズは縦55センチ、横40センチ、厚み25センチくらいで、バッグはそれを少しずつ下回るサイズに作られている。

ところがこのサイズのバッグをそのまま背負おうとすると、バックパックとしてはかなり大きくて、楢山節考のような恰好になってしまうのだ。
よくそういう大きさのリュックを背負った外国人を見るが、普段街歩きに使うバックパックとしては、あまり現実的な大きさではない。
また無理にバックパック機能を付けたキャリーバックは、種類が限られるし機能も中途半端になる。

結局キャスター付きのバッグと一回り小さいバックパックを別々に買う方がいいという結論に至った。
機内では頭上の収納棚にキャリーバッグを入れて、バックパックには身の回りのものやパソコンなどを入れて足元に置いておける。
その方がずっと便利である。
前回の出張の時の事を思い出しながら、様々な場面を想定して最適なものを考えた。

キャリーバッグは2輪と4輪があるが、いろいろ検討した結果、4輪のものを購入した。
2輪のキャリーを一日引っ張って歩くと、腕がねじれて意外に負担がかかる。
何しろ展示会場だけで一日10キロ近く歩くことになるのだ。
4輪であれば、惰性で走らせたりバッグから一時的に手を離すことも出来て、ずっと楽である。

ただ欠点もあり、乗り物の中などで4輪だと動いて行ってしまう。
新宿にあるアウトドアのお店で買ったのだが、家に持ち帰る時に早速電車の中で苦労した。
ストッパーが付いていれば解決するのにね・・・
この世界もまだまだ完璧とは言えないようだ(笑)
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思いつき


Z7 + NIKKOR Z 35mm f/1.8 S

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必要は発明の母というが、写真を撮っていると、こういうものが欲しいというアイディアを思いつく。
カメラの固定具に関しては、まだまだ開発の余地がありそうだ。
理想は周りに邪魔にならず、カメラを構えた瞬間にバチッと固定されて動かなくなる仕組みである。

これだけカメラ人口が増えると、撮影者のマナーが問題視されることも多くなる。
以前はカメラマンは比較的優遇されたのだが、最近は三脚、一脚を出しただけで嫌な顔をする人もいる。
出来れば大袈裟な道具は持ち歩かずに、撮影の瞬間だけ機能してくれるような、さりげないコンパクトな仕組みが欲しい。

恐らく多くの人が考えると思うのだが、一瞬でするりと地面まで伸びて、ボタンを押すと微動だにしなくなる棒。
そして撮影が終わるとまたするりと元に戻る。
あるいは腕や脚の中に仕組んでおいて、普段は間接の動きに柔軟に追従して邪魔にならないが、カメラを構えた状態でスイッチを押すと、固定されて動かなくなるロボットアームのようなもの。
そこまで大袈裟でなくても、構えた状態で腕と身体が連結されて固定されるアームでもいい。
シャッターを指で押すとカメラが揺れるので、たとえば音声などを使い、振動を伝えずにトリガーを引くことの出来る仕組みも欲しい。


もう少し現実的なアイディアなのだが、一脚の先をL字型に出来ないだろうか。
一脚は自立できない不安定さから、三脚より使うのが難しい。
自立可能な小さい脚の付いた一脚もあるが、どれもふらふらとして不安定だ。

そこで一脚の下の方の一段と強固に連結させた折りたたみ式のL字型器具はどうだろう。
広げた状態でしっかりロック出来て、それを足で踏むと安定するという仕組みだ。
もちろん三脚ほどの安定感はないだろうが、ある程度剛性を高められれば実用性もあるだろう。
靴を改造して一脚を差し込んで固定する機能を持たせることも考えられるが、そこまでいくとやり過ぎか・・・(笑)
(下の画像はネットで適当に拾ってきた画像を合成して作ったイメージ図)



また、これはすでに近いものが商品化されているが、一脚と2、3段の小型三脚を合体するのはどうだろう。
一脚をセンターポールに活用するのだが、どうせならそのまま延長させて四脚にしてしまうのだ。
もちろん脚が4本あるとかえって不安定になるので、三脚で確実に安定させてから、補助として一脚を延ばして接地させる。
このやり方であれば、まあまあの性能が得られるのではないか。
(というわけでまた下にイメージ図を作ってみた・笑)

収納高25センチくらいの一脚と三脚の組み合わせにして、それぞれ個別でも使えるようにする。
と思ったが、調べたら小型の三脚でもしっかりしたものは重量が700gから1kgくらいある。
一脚とふたつ持ち歩くとけっこうな重さになるので、それならトラベラー三脚を買った方が軽い。
それで世の中にこういうものが無いんだな(笑)

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年号


Z7 + NIKKOR Z 35mm f/1.8 S

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最近銀行と契約を結ぶ書類を作成する機会があった。
いつもは日付の欄に平成○○年と書く。
ところが今回の書類は、どれも日付を西暦で書く書式に変わっていた。

銀行関連で西暦を使うのは初めてだったので、あれっと思った。
まだ用紙の在庫が残っているものは、今でも平成であるが、新しいものは西暦に変わっているようだ。
平成は間もなく終わるので、当然のことではあるのだが、今まで銀行はお役所に倣って執拗に和暦ばかり使っていたのに・・・

次の年号の発表までまだ1ヶ月ある。
今回のように、年号の変更日付がはっきりしているのは初めてなので、いつもと違う動きにつながっているのだろう。
新しい年号に変わったところで、また書式を和暦に戻すのか、またはこのまま西暦でいくのか・・・

家などを買って長いローンを組むと、契約が平成50年までとか、酷いものは昭和90年などというものもある。
今回また和暦の種類が増えるわけで、実務面でいろいろと不具合が生じる可能性がある。
今までは日付に「年」としか書かれていない書類に対し、「31」と書くよう銀行に指示されたが、今後はそれではちょっと危険である。

パソコンのソフトなどは、年の欄に2桁しか取っていないものもある。
少なくとも4桁にしておくのが常識だと思うのだが、わざと平成のみ対応の仕様で作り、あとから修正する時に手数料を取ろうという、確信犯の場合もある。
2桁のまま新しい年号の数値を入力したり、4桁で和暦と西暦を混在させると、データの抽出や並び順に不具合が生じるだろう。
いずれにしてもソフトウェア会社にとっては稼ぎ時なのかもしれない。

今後のことを考えると、書類に関しては西暦で統一した方が無難だと思うのだが、それには反対する人もいるのだろうな・・・
一か月後には分かる事であるが、次の元号は一体何になるのであろう。
少なくとも頭文字がH、S、T、Mではないものが選ばれるとは思うが・・・
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