COLKIDが日々の出来事を気軽に書き込む小さな日記です。
COLKID プチ日記
運び屋
Z7 + NIKKOR Z 50mm f/1.8 S
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日曜日に床屋に行こうとした。
ところが既に予約でいっぱいで、今からだと2時間後になるという。
どうも日曜日の午後はお客が集中するようだ。
2時間も無駄にぶらぶらするのも嫌なので、今週は床屋に行くのは止める事にした。
ちょうど日本橋にいたので、そのままiPhoneで近くの映画館の次の回のチケットを予約した。
イーストウッドの「運び屋」である。
なかなかいい映画であった。
イーストウッド監督作品らしく、例によって「弱い人間」を描くことにこだわっている。
映像もいつも通り一発撮りの自然さを優先させ、無駄なシーンは排除した簡潔なものでる。
キャストはかなりの演技派が揃っている。
しかし力まず淡々と流していることと、イーストウッドの役柄が突出しているために、それ以外の人たちは必要以上に前に出てこない。
インタビューを見るとイーストウッドと競演出来ることだけで感激してしまった人がほとんどのようだ。
神様的存在の人が、そのまま自分に近い年齢の年寄りを演じている。
仕事に熱中し過ぎて家族から恨まれ見放された孤独な老人。
過去の自分の罪を償おうとする男であり、もがきながら更なる罪を犯していく。
そのよろよろの年寄りが若い世代を翻弄し、多くの人たちの心に何かを残していく。
ところで一連のマカロニ作品やハリー・キャラハンで育った世代には、弱いイーストウッドというのがどうにも受け入れがたい。
だが今回のイーストウッドは、さすがに当人の年齢が年齢であるし、役柄も90歳の「爺さん」で最初から相手を力で倒すような能力は無い。
そのためか、かえって素直に見ることが出来た。
ああ、イーストウッドもこんなに皺くちゃになったんだなあ・・という寂しさも感じた。
晩年の父親を見る思いであった。
ところが実際には当人は至って元気だそうで、この映画の中のよたよた歩くイーストウッドは演技なのだそうだ。
ブラッドリー・クーパーによると「椅子からカンガルーのように飛び出す」ほど元気だそうで、イーストウッド自身も「養鶏場にいた祖父を思い浮かべながら演技した」という。
どうやら御大はまだまだ健在のようだ。
それを聞いて少し安心した。
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