湾曲


周辺部の色がおかしくなるのは、三層になっていて厚みがあるので、斜めに入射する光が悪さをしたりするのであろうか?
一番下の層に届くのは、ふたつの層を通過して劣化した光だろうし、それなりに欠点もあるような気もする。
あくまで想像ではあるが・・・
1点で受けてプリズムで3つに分光する方式の画質も見てみたいものだ。

それはそうと撮像素子って真っ平らだけれど、湾曲したものって作れないのだろうか・・という話が出た。
最終的に紙やモニタという平たいものにアウトプットするから、映像というと平たい状態を思い浮かべてしまうが、そもそも立体的なものを強引に平たい状態に変換すること自体に無理がある。
センサーが人間の目のように湾曲していれば、もっと素直な状態の光を捕らえることが出来るのではないだろうか?

レンズも専用設計になるから、それなら思い切ってレンズ交換不可の超高画質コンデジにしてしまう。
もっとも最終的にはやはり平たいものに変換して見るしかないのだが・・・(笑)

SIGMA DP1
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ビューファインダー


会社の帰りにヨドバシアキバに立ち寄って、DP1の純正ビューファインダーVF-11を買ってきた。
高いなあと思ったが、ポイントが貯まっていて、お金を払わないで済んだ。
何か得した気分(笑)

僕はメガネをかけているが、顔をめいっぱい寄せるとフレーム全体が見える。
やはり窓をのぞくと少し安心する(笑)
使い勝手はまた後日。

DP1には、たまたま手元にあったReally Right Stuffの汎用プレートを付けてみた。
このカメラには三脚が欲しくなる。
プレートに引っ掛かりがあってしっかりと取り付けられるが、少し大きすぎて、一度取り外さないとSDカードの交換ができない。
これはちょっと不便だ(笑)
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違和感


DP1にちょっとてこずっているのだが、ファインダーのないカメラが久しぶりなので、単にそのことに違和感があるのかもしれない。
武器のように自在に扱えるD3に慣れてしまい、重要なタイミングを逃すことの多いDP1に面食らっているのだ。
シャッターもいつ切れたのかわからないし・・・(笑)

このカメラの繊細な描写力は、逆にそれに頼ってしまい、似たような写真のオンパレードになる可能性も持つような気がする。
もう少し練習が必要のようだ。
週末は天気が悪いようだが、DP1を持って出かけてみようか・・・

SIGMA DP1
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対応


シグマの現像ソフトの最新バージョンが、この色被りの問題に対応しているという有用な情報を教えていただき、早速ダウンロードしてみた。
たしかに改善されるようだ。

僕の勉強不足であったが、ユーザーの皆さんは既にご存知だったのだろうか?
これだけ現象が出れば誰でも気付くか(笑)

まだ被る傾向がけっこう残っているので、これはカメラの癖もあるのかもしれない。
あるいは個体の故障の可能性もあるので、カメラが戻ってきたら、引き続きレポートしたい。

SIGMA DP1
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史蹟巡り


「桜田門外ノ変」では、評定所の白州で死罪を言い渡された主人公・関鉄之介は、小伝馬町の牢屋敷内で斬首された後、遺骸は俵に入れられ、雑役に担がれ小塚原に捨てられたとある。
そこで伝馬町牢屋敷跡と小塚原に出かけてみることにした。
何とも不吉なコースではあるが(笑)、身近に歴史の舞台となった場所があるのだから、行かない手はあるまい。






日比谷線の小伝馬町の駅のすぐそばに伝馬町牢屋敷跡はある。
伝馬町牢は、慶長年間に常盤橋際から移り、明治8年市ヶ谷囚獄が出来るまで約270年間存続した。
約2600坪の敷地は、現在は十思公園や十思スクエア(旧十思小学校)、大安楽寺などに変わっている。
大安楽寺境内の当時処刑場があった場所には、ここで死んでいった幾万の霊を慰めるべく延命地蔵菩薩が建立されている。
安政の大獄では当地で多くの勤皇の志士たちが処刑されたが、中でももっとも大物である吉田松陰に関する碑は多くあり、吉田松陰先生終焉之地として知られている。





一方小塚原(こづかっぱら)は時代小説などで良く聞く地名であるが、それは現在の日比谷線南千住駅のすぐ側、常磐線の線路とに囲まれた狭い地域(現延命寺内)にあった。
小伝馬町からは数駅しか離れておらず、見学のコースとしては悪くない。

小塚原刑場は、江戸の初期から重罪者の処刑場として品川・鈴ヶ森と並ぶ二大刑場であり、約220年の間にこの狭い場所に埋葬された遺体は何と20万を越えるという。
まさに屍累々である。

小伝馬町やこの小塚原で仕置きされた遺体は頭に下げられ、この地に埋葬されたが、実際には土を軽くかける程度で放置され、雨水で手肢が露出し、野犬やいたちに食い荒らされ、夏は凄まじい臭気で地獄のような有様であったという。
ここも刑死者の霊を弔うため小塚原回向院が創建されたが、線路で分断され現在は延命寺として独立している。
ここにある首切り地蔵と呼ばれる大地蔵(一番上の写真)は、日比谷線の車内からも見ることが出来る。





明治時代になり西欧諸国と対等になることが急務とされ、野蛮という理由で刑場は廃止された。
それまでは人々にとって死罪が非常に身近であったことは確かであろう。
安政の大獄では100名近い勤皇の志士たちが死罪に処されたが、そうとうの才能の持ち主をもどんどん殺してしまった。
そういう時代であり、そういう風習だったのだ。

先祖から伝え聞いた話であるが、戦闘で傷付いた者は、楽にしてやるために殺すのが通例であったが、それを助けるために全力を尽くすという西欧式の新しい方向に変わった時、大変な違和感があったという。


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返却


DP1は着払いでお店に送られていった。
画面の一部にグリーンが被るので、これは不具合だろうと判断したのだ。
多くは画像の左側に出るのだが、色々な写真を見ていると、必ずしもそうでもないかと思われるものもあり、どうもはっきりとしない。
あるいは使い方が悪かったかもしれないし、あるいは現像処理に問題があったかもしれない。
特に問題無しで返ってくるかも知れない(笑)

一日分の写真を捨ててしまうのも癪なので、こうなったら変な色の写真も公開してしまうことにした。
性能の一端は伝わるだろう。
かえって面白いかも・・・(笑)

SIGMA DP1
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DP1


シグマDP1・・・
実は試験的に導入する予定だったのだが、今日撮った写真を現像してみたら、どうやら不具合らしく色が一部おかしくなることがわかった。
という訳で初陣は敗退(笑)

それにしても使いにくいカメラだった(笑)
TVSデジタルの頃とそれほど変わらない印象だ。

D3にDP1をサブカメラ・・という組み合わせを考える人もいるかもしれないが、D3が現在最高といっていいほど機動力のあるカメラだから、その対極にあるDP1との組み合わせは、使い勝手が違いすぎて疲れるかもしれない。
あるいは体がD3に慣れすぎたのか?

画質に関してはちゃんと直ってからにする。
今日一日撮った分が全部ダメかと思うと、ちょっとがっかりである。

SIGMA DP1 (下)




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画像フォルダ


何気なくブログの画像フォルダを見てみたら、もうすぐ登録画像の数が3000枚に達することがわかった。
そろそろ管理が難しくなってきた。

というのも、まだ使っていない画像がかなりあるのだ。
全体の10%くらいあるかもしれない。
登録はしてみたが、何となく気に入らなかったり、雰囲気が合わなかったりして、そのままになっている画像である。

しかし3000枚もあると、さかのぼって調べるのも大変な作業だ。
ボタンひとつで未使用画像をピックアップしてくれる機能はないものか?

時折画像が無くて困ることもあるが、全体で見れば画像の供給の方が勝っているということになる。
写真はその辺を歩けばいくらでも撮れるが、毎日文章を書くのはけっこう大変である。
さすがにそんなに話題が続かない。

気をつけないと何年か前に書いたものと同じ事を書いてしまうこともある。
物忘れも酷くなっているのかも・・・(笑)

D40X + Ai Nikkor 45mm F2.8P
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大したことではないのだが・・・


お散歩していたら、ネコがいたのでD40Xでパチリ。





ところがネコはその場で凍り付いたようになってしまった。

声をかけても動かない。

なにやら気まずそうな顔でこちらを見ている。



・・・後で画像を拡大してみてわかった。







お食事中でした・・・


D40X + Ai Nikkor 45mm F2.8P
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先日ちょっとした事件が起きた。
母親の家にある古いブラウン管式のテレビから煙があがったのだ。
直前に内部で破裂音がし、煙は天井に達するほどもうもうと出たという。

驚いた母親から連絡があり、夜遅かったがMrs.COLKIDが様子を見るために母親の家に駆けつけた。
(僕は家でお留守番をしていました・笑)
火事にでもなったら大変だが、煙を吸っても体に悪いからだ。

コンセントを抜いてしばらく様子を見たが、本体も冷えてきて大丈夫そうなので、その日は帰宅、メーカーのサービスに連絡しようとしても電話が通じない(夜なのに、ただいま電話が混み合っていて・・という理由だったそうだ・笑)ので、仕方なく翌日になってから電話した。
当然すぐに来てくれたが、今更修理したところで、捨てようとしていたテレビなんだけれどねえ。
(内部をごっそり新品に交換していった)
まあ、サービスの人も他に対処のしようはないのだろうが・・・

買って5年経つテレビだが、先日も壊れたばかりだ。
これは外れだったかもしれない。
最近そのテレビの電源スイッチが調子悪く、ライトが点滅して動かないことがあったが、それは、もうそろそろダメです・・という危険信号なのだそうだ。

ずっと以前の話だが、今はテレビから撤退した某メーカーの製品から火が出て、建物が火事になるという事故があり、当時かなり問題になった。
コストダウンのし過ぎで海外製のぎりぎりの容量の部品を使っていたという噂を聞いた。

テレビは日常つけっぱなしの家もあると思うが、こういう壊れ方をするとなるとちょっと怖い。

D3 + AF-S NIKKOR 24-70mm F2.8G ED
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PROTEX


こんな感じです。
欲しくなった人は誰?(笑)
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加工


昨晩PROTEXの内部のウレタンをカッターナイフで加工してみた。
ウレタンの加工というのは意外に難しくて、切り口がなかなかきれいに切れないのだ。
分かってはいたが、自分で使うものだからそれでいいやと気楽に作業を開始した。

内部は数cmの厚さのウレタンシートが、ぎっしりと何層にも敷き詰められている。
一番上の表面に出るウレタンだけ比重の高い硬いものが使われていて、そういうところはさすがによく考えられている。
それらを一枚一枚、等高線のように加工していくわけだが、そんな完璧なことは出来る筈も無く(笑)、適当に定規で測ってカッターでくりぬいた。

出来上がりは案の定切り口がボロボロになってしまったが、実際にレンズを入れてみたらスッポリと決まり、不思議な満足感が得られた。
ゴルゴ13の狙撃銃みたいで、プロっぽくて妙にカッコいい(笑)
蓋を閉めて揺さぶってみたが、さすがに精密機器の輸送用だけあり、レンズがうまい具合に上下のウレタンで固定されて、中でふらつく様子はまったく無い。

ケースが少し大きくて余裕があったので、カットする前にじっくりと構想を練り、400mmをケースのへりの方にもっていき、空いた隙間に標準ズームやテレコンバーターなどを入れるスペースを作った。
基本的にカメラ関係のグッズはすべてケースに収め、三脚のみを手で持つか肩にかけて出かける・・という考え方で進めている。
ケースに頑丈そうなキャスターが付いているので、キャリアは必要なくなるかもしれない。

中腰だったためか作業後に腰痛が再発し、例のキュウレイコンを貼って寝た。
寝ている間に腰にジンジンときたが、朝には痛みはとれていた(笑)

D3 + Ai AF Micro-Nikkor ED 200mm F4D(IF)
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老夫婦


皇居のお堀を歩いていた時のこと、道端のビルにカメラを向けていると、通りがかった老夫婦に声をかけられた。

「あの、ちょっとお聞きしていいですかな?」
「はい」
「一体何を撮られているのですか?」

二人は不思議そうな顔をして僕を見ている。

「あそこに生えている木を撮っているんです。背景にビルの壁がくると面白いかと思いまして・・・」
「ほう」

今度は感心してビルと僕を交互に見ている。
奥様の方が好奇心に満ちた目で聞いてきた。

「で、いかがです?立派な写真が撮れましたか?」
「いえ、どうも思ったようなものにはならなかったようです」
「まあ・・」

二人は笑いながら日比谷公園の方に離れて行った。

D3 + AF-S NIKKOR 24-70mm F2.8G ED
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AF微調整


僕は目が悪いのでもっぱらAFかフォーカスエイドに頼っている。
当然AFの精度というのはかなり重要になる。
しかし目が悪いので精密な調整をしろと言われても厳しい。
そのため結局AF微調整の機能は使わない・・という、どこか矛盾のある結論になってしまうのだが(笑)、そのAF微調整について書かれた記事を教えていただいたので、目の良い方には一読をお勧めする。

デジカメWATCH AF微調整の使い方

まだよく理解できていないところがあって、もう一度じっくり読んでみようと思うが、単純に1点に合わせればそれで済む話ではないことがわかる。
これは調整する人のセンスも問われるかもしれないね(笑)

ちなみに、あえてずらしたAF補正値を入れて周辺の解像感を見ると、像面湾曲の様子がわかって面白いという話だ。

D3 + AF-S NIKKOR 24-70mm F2.8G ED
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つば競り合い


少し前の話だが、父の剣道の教え子が就職した銀行に、強盗が入ったことがある。
手に銃のようなものを持っていたそうだが、強盗を前に彼は怖くて動くことが出来なかったという。

まあ犯人に飛びかかりでもしたら、下手をすると大問題に発展したであろうから、対処としてはそれで良かったのだろうが、彼が強い剣士であることを知っていたので、話を聞いた時は何だか情けなく感じた。
しかし実際に命懸けの戦いとなると、確かにそのようなものかもしれない。
スポーツとしての剣道の稽古とは、まったく異質のものだ。
僕だって目の前で銀行強盗に遭遇したら、恐らく肝を潰して大人しくしているだろう(笑)

吉村昭氏は「桜田門外ノ変」を執筆するに当たり、若い頃(昭和23年)ラジオで聞いたエピソードを思い出したと書かれている。
彰義隊が上野で官軍と鉢合わせになった場面を、子供の時に実際に目撃したという当時九十七歳のお年寄りの思い出話なのだが、両者とも十メートルほど離れた場所で刀を抜いてやあやあと声を上げるばかりで、ついに斬り合いにはならず、砲弾がそばに落ちたのをきっかけに両軍引き上げてしまったという。
250年も平和な時代が続いたものだから、日々稽古に精進していたとしても、実際の斬り合いには不慣れだったのだ。

氏が桜田門外の変について書かれた文献を調べたところ、現場の正面にあった松平大隅守の屋敷で窓から一部始終を目撃した人の話が残っていて、それによると襲撃した水戸藩士と彦根藩士たちの戦いは、もっぱら「つば競り合い」になり、普段の稽古のような間合いを取っての「美しい」戦いにはならなかったという。
皆混乱状態に陥り、無我夢中、滅茶苦茶な状況だったのだ。

もっともつば競り合いと言っても、竹刀を使ったつば競り合いとは訳が違う。
手に持っているのは真剣であり、しかも必死の形相で押し合うわけだから、互いの体を相当傷つけることになる。
そのため現場の雪の上には、切り落とされた指や耳などが、かなりの数散乱していたという。

襲撃犯たちも、同士討ちにならないように予め合言葉まで決めていたのだが、いざ本番が始まるとそのような余裕はまったく無く、興奮状態になり仲間同士で斬り合う者も出た。
手練同士が刃の付いた真剣を振り回すのであるから、かすめただけでも致命傷を負う可能性がある。
当然稽古と同じ気分で打ち込む訳にはいかないだろう。

昔父親に、真剣で実際に斬り合う場合はどうするか?と聞いたことがある。
父が少し考えた上で、多分最初に長い刀で相手の足を払うだろう・・と答えたのを思い出した。

D3 + AF-S NIKKOR 24-70mm F2.8G ED
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