君たちは・・・


Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S

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土曜日に映画「君たちはどう生きるか」を観てきた。
チケットの予約は簡単に取れたが、上映開始の頃にはすべて席が埋まっていた。
宣伝をしなかったので、公開したことに気付いた人たちが、慌てて集まってきたようだ。
ごった返す映画館のホールでも「さっきまで誰もいなかったのに・・」と驚く声が聞こえてきた。

どう評価していいか分からない・・という声が多いという。
ファンタジーにしては、戦時下の重い現実がベースになっている。
まあもともと宮崎氏は、ただ楽しませるだけの能天気な作品を作る人ではないのだが・・・

実は僕はファンタジーというのがどうも苦手である。
昭和2年生まれのリアリストだった父に育てられた影響かもしれない(笑)
宮崎作品でも、ポニョやトトロ、ハウルや千と千尋、もののけ姫などは、今ひとつ理解できない。
恐らく宮崎氏にはしっかりした理由があって、ああいうキャラクターデザインやストーリーになるのだろうな・・とは思うのだが、こちらはそういう知識が無いので、何が何だかよく分からないのだ。

その点今回はどうであったか・・というと、「君たちはどう生きるか」は、実は非常に納得のいく作品であった。
個人的にはベストの何本かに入れていいと思った。
ストーリーとしては、もちろんファンタジー以外の何物でも無いのだろうが、実際には映画の始まりからずっと、それが非常にリアルな世界に見えて仕方が無かった。
この映画に関して、ネタバレを含む感想を書くことを皆さん自粛しているようなので、なるべくソフトに書こうと思うが、少しでもストーリーに触れられることを嫌われる方は、以降は読まないでいただきたい。

これは個人的なことなのだが、宮崎氏と僕の母親の育った環境とは、地理的に非常に近く(というか同じ場所にいたと言える)類似点が多い。
僕の母親の家族は東京の真ん中にいたが、戦争の疎開のため・・というより、半官半民の仕事で祖父が宇都宮に赴任したため、一家がそちらに移動した。
母親の兄や姉は、現地で中島飛行機の工場で働いていた。
母親の年齢は、今回の映画の主人公より恐らく少しだけ若く、宮崎氏より数歳上である。

宇都宮が空襲を受けた日には、家族が散り散りになって避難し、焼夷弾の降り注ぐ真っ暗な中を必死の思いで逃げた。
B29の飛来の様子を見て、ここにいたら助からないから逃げようと、祖父が自転車を押し、母と叔父(宮崎氏と同年齢)の二人だけを連れて出た。
防空壕は直撃を受けたので、外に飛び出したのは正解であった。
途中でどこかの子供たちがドブから亡霊のように立ち上がり、一緒に連れて行ってとすがってきたが、助けることなどできなかった。
家は焼け落ち、屋根だけがそのままの形で地面に落ちていた。

一方で同じく宇都宮にいた宮崎氏は、空襲の際に自動車に乗って逃げた・・という話を読んだことがある。
母親は少し怒りながら、あの時そんなことが出来るなんて、普通の家族ではない、と言った。
車を持つこと自体が、限られた人にしか出来ない時代であり、恐らく軍に関係した仕事をしていたのだろう・・とすぐに思ったという。

この映画を観ていて、多分に宮崎氏の自伝的なものが含まれているのではないか・・と強く感じた。
主人公は氏より少し年上なので、あるいは年上の世代を観察していた氏の記憶がベースになっているのかもしれない。
その時代を生きた人にしか分からない空気感が表現されていた。

映画に出てきた洋館のことを母親に話したところ、恐らく映画程のものではないのだろうが、あの頃はいくつかの家に洋風の建物があったという。
お金のある家では、古くからの和式の大きな家と、離れに洋館を持っている事が多く、子供たちがそちらで暮らしたりしていた。
実際母親も、宇都宮でそういう家を借りてしばらく住んでいた事があり、そこは一階は洋間で二階は畳の部屋になっていたという。

その時の思い出は、しかしとても暗く、記憶としてはモノクロ、あるいはセピア色の世界に埋没していた。
母親にとっては、死と隣り合わせの恐怖、飢え、感情面でのぶつかり合いなどに直接結びついている・・ということもある。
それをこの映画は、鮮やかで美しい色使いで、非常に現実味のあるものとして描き、澄んだ空気や木々の匂いまでもを蘇らせてくれた。
子供の頃から聞かされて育った僕にとっても、ああいう空間だったのか・・・と、急にリアルな世界を見せられたような衝撃と感動があった。

そのためこの映画の描いた世界は、とても親しみやすく理解しやすいものであった。
隔離された森の奥にある異質な空間は、もちろん夢の中の話のように見える。
しかし勝手な想像ではあるが、これだけの作品群を作った人なら、子供の頃から尋常でない空想の世界の中に生きていたはずであり、案外当人にはごく自然に見えていた世界に近いのではないか・・・と思えてくるのだ。
あやふやな接点で異空間と現世とが繋がっているのも、子供の生きる世界には普通にあることであるし、もしかすると今でも山の奥に踏み入れば体験できるものなのかもしれない。

今回さらにいいと感じたのは、人間が誰でも持っている解決できないドロドロとしたものと、正面から向き合おうとしているところだ。
多分今までの作品と少し違うところであり、映画の主題になった本とも絡んでくる。
個人的にはこの映画が気に入った理由でもあるのだが、単なるファンタジーとして観るなら、ここはピンとこない、あるいは受け入れられない重い部分なのかもしれない。

何の資料も無いので(笑)、素っ頓狂な意見になっているかもしれないが、僕自身が一回だけ観て感じたことを書いた。
久しぶりにもう一回観たいと思う作品であった。

ところで話は変わるが、零式艦上戦闘機のキャノピーって、三つのパーツをひとつにくっつけて運べるのだと驚いた。
たしかに手作業で物を作り、パーツを現物合わせでひとつずつ調整する当時の工業製品だから、実際に組み合わせて1セットにする必要があるのかもしれないが・・・
設計者が主人公でありながら、実際には肝心の零戦が最後に一瞬しか出ない前作(「零戦を作る映画」と思い込んでいる人が多いが)より、今回の方が少し(キャノピーだけだが)登場する場面の時間が長いかもしれない(笑)
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