転倒


Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S

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先日滑ってまともに転んだことを書いた。
路面が濡れていて、滑るのは分かっていたのに、転倒を避けられなかった。
恐らく若い頃だったら、何とか踏みとどまっただろう。

年齢と共に、自分では気付かないうちに、反応が鈍くなっているのだ。
足元も多少ふら付きがあり、おぼつかなくなっている。
自分の老化に対する認識と現実とのギャップが、転倒の原因である。

足がスコーンと滑り、まともにお尻から落ちた。
前回自宅マンション内で滑ったときと同じ状況だ。
椎間板ヘルニアで背骨のクッションが減っているのに、そこをまともに痛めたのを感じた。
反射的に手をついたら、そこが大理石の縁石で、手首近くをザックリ切ってしまった。

しばらくは痛くて動けなかった。
死ぬかと思うほどまともに打った。
もともと痛めていた腰を、さらに痛めつけたのだから、拷問のような状況である。
腕からも血が出てきたが、まずは腰を強打した痛みの方が大きかった。

何とか立ち上がり、脇の縁石に座って休んだ。
しばらくすると、腰の激しい痛みが少し治まってきた。
腕の傷は血が出てきたので、口で舐めてそれを抑えた。

そろそろ歩けるかなと思いながら、恐る恐る立ち上がり、近くにあった薬局まで行った。
そこで絆創膏を買って傷口に貼った。
その後も血が止まらず絆創膏が真っ赤に染まったが、しばらく経つと出血も落ち着いてきた。
その状態で何とかバスに乗って帰宅した。

それから数日たち、少しずつ回復してきてはいる。
まあ、正直まだこれで済むのかは分からない。
年齢と共に症状が出るのも遅くなっているからだ。

ところでふと考えたのだが、たとえば戦時中であったら、このくらい怪我のうちに入らないであろう。
腰は痛めたとしても、怪我は切り傷程度で、血は多少出るかもしれないが、絆創膏を貼れば済む。
片腕が吹っ飛んだわけではない。
自分で普通に歩けるのだから、「ヨーチンでも塗っておけ」で終わりであろう。

ウクライナで起きている戦争のことを考えてみた。
仮に爆風で飛ばされ、身体を壁に打ち付けたとしたら、痛みはこんなものでは済まない。
転んだだけでもこんなに痛いのだから、それから想像してみて、つくづくそう思った。
何メートルも飛ばされれば、どこか骨折したり、破片が突き刺さったりして、体中が傷だらけになる。
もちろん本当に死にかけたら、痛みも分からないのかもしれないが・・・

しかも強烈な痛みに襲われたとしても、次の攻撃を避けるために、まずは動かなければならない。
一刻も早くその場から退避する必要があるのだ。
痛かろうが何だろうが、必死になってその場から離れなければならない。
しゃがみ込んで、「いたたた・・・」なんて呻いていられないのだ。

そう考えると、滑って転んだくらいで泣きごとなど言っていられないな・・・
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