アシカ


SIGMA DP2

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とある都市銀行に出掛けた時のこと。
銀行は混んでいて、大勢のお客さんがフロアに立っていた。
椅子はすべて埋まっており、僕も仕方なく部屋の片隅に立った。

すると、少し離れたところにMさんがいるのに気付いた。
Mさんは、僕が子供の頃から知っている近所のおばさんで、少しふくよかで快活な女性である。
僕はMさんに軽く会釈し、そのまま立っていた。
しばらくすると、時間をもてあましたMさんが近付いてきた。

Mさんは僕の耳元で小さな声で囁いた。
「ねえねえ、○○くん、あそこにいる犬を見てご覧なさい」
見ると、どこかの女性が犬を抱いて立っている。
犬は毛の短いダックスフンドで、手入れの行き届いた艶やかな毛並みが、肉付きの良い犬の体のカーブに合わせて、テカテカと光っていた。

Mさんはニヤニヤしながら言った。
「あの犬って、アシカみたいよね。アシカにそっくりだわ。アシカよ、あれは」
Mさんは自分の思いついた喩えに満足しているらしく、嬉しそうな顔で何度もアシカを連発した。

Mさんの言わんとするところはよくわかった。
犬の毛並みが妙に艶やかなために、水から上がった時のアシカの、体に張り付いた光沢のある体毛に良く似ていたのだ。
たしかに上手い喩えであった。

しかしその時僕は思い出した。
Mさんは、その昔僕の飼っていた茶色い犬を見た時に、まったく同じようなことを言ったのだ。

喜んで跳ね回る僕の犬を前に、Mさんはこう言った。
「ねえねえ、この犬ってタヌキに似ているわよね、タヌキにそっくりだわ。タヌキよ、これは」
大人のMさんが断定的に言い放ったため、子供の頃の僕は反論できずに困ったのを覚えている。

銀行でその時の事を思い出した僕は、Mさんに言った。
「Mさんは昔僕の犬のことをタヌキだって言いましたよね。これはタヌキに違いないって言っていました。Mさんは動物を別の動物に喩えるのがすごくお上手なんですね」

Mさんはビックリしたように目を丸くして僕を見た。
そして気に障ったのか、それきり黙りこくり、顔を膨らませて僕の隣に立っていた。
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