酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「巨匠とマルガリータ」~スターリン独裁下ではじけるイリュージョン

2023-05-03 21:50:58 | 読書
 野良猫ミーコとの交遊をブログで記してきた。複数のお得意さんと寝場所をキープしたミーコは、老齢(10歳以上?)ながら極寒期を生き延びる。<餌を与える人-野良猫>という関係とはいえ、彼女の逞しさに感嘆している。空腹でない時は道端に寝そべり、俺に対してだけではないがタッチを待っている。愛に似た感情を表現しているのだ。

 猫が活躍する小説を読了した。「巨匠とマルガリータ」(ミハイル・ブルガーコフ著、水野忠夫訳/岩波文庫)で、上下800㌻超の長編だ。人の言葉を話すおしゃべりで巨大な黒猫ベゲモートは、催眠術師コロヴィエフらとともに悪魔ヴォランドの手下である。本作を知るきっかけは映画「オットーという男」で、主人公と亡き妻との絆がベースになっていたが、「巨匠とマルガリータ」でもマルガリータの巨匠に寄せる思いがヴォランドを衝き動かす。

 難解かつ奇想天外な20世紀最高のロシア語文学と評される本作だが切り口は多い。キリスト教、ロシア正教に批判的と説く識者もいるが、的を射ていな気がする。万能の悪魔ヴォランドは登場するが神は出てこない。<善と悪>、<神と悪魔>の二元論は無意味で、ヴォランドは善を成す。巨匠とマルガリータの崇高な魂を救済するのだ。

 巨匠が書いた2000年前のヨシュア(イエス・キリスト)処刑の経緯を綴った小説とカットバックしながら物語は進行する。巨匠を黙殺した文芸誌編集長ベルリオーズが無神論を詩人イワンに披瀝している時、謎の男が話に加わる。教授として現れたヴォランドはベルリオーズの死を予言した。ちなみに巨匠にとってベルリオーズは怨嗟の対象だった。

 ブルガーコフの分身ともいえる巨匠の小説の中で、ヨシュアの処刑を決めたピラトゥスの悔恨と苦悩が繰り返し表れる。本作を締めくくるのは<冷酷な第五代ユダヤ総督、騎士ポンティウス・ピラトゥスも>だ。キリスト教やロシア正教を理解しているわけではないが、<信仰>や<贖罪>も本作のテーマになっている。

 本作が執筆された1929~40年は、スターリン独裁が確立する時期に重なる。完全版が発刊されたのは作者の死から34年を経た1974年のこと。社会主義的リアリズムと対極にあり、発禁処分も当然だ。本作を閉塞した独裁体制への抵抗と捉えることは出来る。ブルガーコフはウクライナ出身で、革命軍と対峙する白軍に加わったこともある。スターリンによるホロモドール(人工的な大飢饉)も知っていたはずだ。文壇から締め出されたブルガーコフだが、スターリンと接点があり、公職から追放されなかった。

 本作の魅力はヴォランド一味が巻き起こすモスクワでの驚天動地の大混乱だ。大掛かりな魔術と催眠術でスケールの大きいイリュージョンが展開する。ブラックユーモア、エログロ、サスペンスを坩堝で似たような大騒動が風俗紊乱と倫理破壊をもたらす。悪魔に魂を売ってでも……。マルガリータの強い決意を聞き入れたヴォランドは、精神病院から巨匠を解き放つ。ヴォラントの魔術でマルガリータが空を飛ぶシーンはまさにファンタジーで、慣れ親しんできた<マジックリアリズム>の魁といっていい作品だった。

 遊び心満載で音楽の素養に満ちた本作に出合えて本当に幸せだった。この世は素晴らしい小説に溢れているが、ほんの一部を囓っただけで死んでしまう。老い先短いが、心震える読書を体験出来ればと思っている。
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