酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

高橋和巳「悲の器」再読~破滅の理由は〝愛せない罪〟?

2023-05-24 22:39:51 | 読書
 名人戦第4局(福岡)は衝撃的な結末だった。先手の藤井聡太竜王(6冠)が69手目に指した7五角に、渡辺明名人が投了を告げる。一局を通して攻勢に出た渡辺だったが、藤井は積極的に応戦しリードを広げた。感想戦では1日目の38手目、渡辺が指した8八歩が敗着だったという結論が出たそうで、将棋というゲームの恐ろしさを実感する。藤井は次の手を封じた。

 2日目の夕食休憩前、AI評価値が88対12の段階での投了は早過ぎる気もしたが、アベマで解説していた郷田真隆九段は「これ以上、指しようがない」と分析していた。現地で大盤解説を担当していた中田功八段は羽生善治九段の言葉<AIになく人間にあるのは美意識>を引用して、「名人はここで投了です」と断言する。その通りになってファンの喝采を浴びていた。藤井が美意識を纏う日は来るのだろうか。

 若い頃、貪るように本を読んだ。脳内で弾けた言葉が血管を迸り、熱くなった体を冷やすため、真夜中に散歩に出た記憶もある。66歳になった今、言葉は脳内で惑い、クチクラ化した血管で詰まる。本はいつしか催眠剤になってしまったが、学生時代に読んだ高橋和巳の「悲の器」(河出文庫)を読了した。再読は「邪宗門」以来、2作目になる。

 高橋は三島由紀夫とともに<言葉の身体性>を表現した作家だった。「邪宗門」はスケールが大きく物語性も高かったが、「悲の器」は観念的で難解な作品だ。今も、そして40年以上前も、本作を理解したとは思えない。「悲の器」は第1回文藝賞受賞作だが、研究者として評価を確立していた高橋の受賞は決まっていたという裏話もある。完成度の高さと濃密さは、とてもデビュー作とは思えない。当時31歳の〝日本のドストエフスキー〟は膨大な小説と評論を残し8年後、がんで斃れた。

 主人公は刑法学の権威で国立大(東大?)の法学部長である正木典膳だ。高橋は中国文学者だったから専門外だが、全編に展開される稠密な法律論に圧倒される。戦前から戦後に至る国家と法学との緊張関係が背景だ。正木は宮地博士門下の俊英として姪の静枝と結婚する。<厳法主義>に則ることで弾圧を切り抜け、一時は検事に転身し、大学に戻った。

 正木と好対照に、同門の先輩だった荻野は獄中で転向を余儀なくされ、戦後は教育委員長に任命されるも組合との板挟みになり自殺する。後輩の富田はアナキストに転じて獄死した。正木は保守派に分類されながらも、戦後の逆コースと距離を置き、警職法へは反対の立場を取る。次期学長候補と目されており、破滅とは遠いはずが、階段を転げ落ちる。

 〝苦悩教〟教組と評された高橋の作品には限りなく下降する男たちが登場する。「悲の器」の正木の破滅の理由はスキャンダルだった。静枝の闘病中から家政婦として働くようになった米山みきと愛人関係になったが、静枝の死後、大学教授の娘である栗谷清子と婚約した。堕胎したこともある米山みきに婚約不履行で慰謝料を請求された正木は、名誉毀損で訴え返し、泥仕合は世間の耳目を集めた。

 本作には女性差別的な表現が少なからずある。開高健の小説も同様だ。〝民主主義の先進国〟フランスも1960年代はカトリックの影響で、インテリ層の男性でさえ女性に差別的に接していた。高橋が今世紀まで生き長らえていたならば、真摯な自己批判をしたことは間違いない。

 本作発表時、高橋は31歳だった。正木は50代後半だから、〝男の性〟に対する認識が正しかったといえない気もする。〝夫婦の掟〟として正木が静枝と交わる場面も違和感を覚えたし、米山みきとの関係も享楽的に映る。栗谷清子との接し方は大学生のように蒼い。正木の転落の根底にあるのは<愛せない罪>ではないか。

 親族、かつての友やその家族への対応も杓子定規で冷淡だが、例外は末弟で神父の規典だ。人はいかに生きるべきか、罪とは、宿命とは、そして救いとは……。兄弟は観念論をぶつけ合う。静枝は死を前にキリスト教に帰依した。全共闘に寄り添った高橋らしいのは学生たちとの議論を拒まないことだ。

 ラストの悲痛なモノローグに暗澹たる気分になった。主人公はまさしく作者自身の反映であり、絶対的な孤独、絶望の底に俺は死の匂いを嗅いだ。アラサーだった高橋にとって、死はどのような意味を持っていたのだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする