将棋界はドラスティックな転換期を迎えている。B級1組で藤井聡太竜王が阿久津主税八段を破って9勝2敗としたが、A級昇級は最終戦に持ち越された。3敗で追う稲葉陽八段と千田翔太七段は藤井より順位が上で今期、藤井を破っている。最終局の相手は30連勝を阻止された佐々木勇気七段だから、予断を許さない。
羽生善治九段はA級順位戦で永瀬拓矢王座に敗れて2勝6敗になった。B1陥落がこれほど早く来るとは誰が予想し得ただろう。斎藤慎太郎八段が豊島将之九段を破り、8連勝で渡辺明名人への挑戦を決めたが、豊島には悔いの残る対局だった。最終盤にAIの評価値が90を超えながら逆転され、再度勝勢になりながら投了に追い込まれた。失着が重なった豊島は眠れぬ朝を迎えたに相違ない。
栗原康の「サボる哲学~労働の未来から逃散せよ」(NHK出版新書)を読了した。栗原の著書を読むのは別稿で紹介した「村に火をつけ、白痴になれ~伊藤野枝伝」以来、2冊目になる。前々稿で<俺は今、栗原の「サボる哲学」を読んでいる。次々稿で番組の内容と併せて紹介することにする>と告知した通り、まずは「100分deパンデミック論」で栗原が解説した「大杉栄評論集」について記したい。
アナキズムというと<無政府主義>と訳されているが、栗原はギリシャ語の語源に遡り<無支配主義>が正しいという。その上で栗原は番組で〝アナキスト〟を公言していた。大杉栄はパートナーの伊藤野枝とともにアナキストとして労働運動に関わった。関東大震災直後、野枝、幼い甥とともに憲兵隊の甘粕大尉に虐殺されている(甘粕は罪を被っただけとの説もあり)。
大杉は軍人一家に生まれたが吃音持ちで、軍人にならず思想家になる。下獄するたび外国語を習得し、〝一犯一語〟で「世界中の言葉でどもってやる」と広言していた。大杉は社会を考察する際、奴隷制度を基本に据えた。<支配-被支配>の構図で、権力者に阿ねれば、必然的にヒエラルキーで下位の者に高圧的に振る舞うようになる。それは奴隷根性で、従属がやがて快感に転じ、宗教的崇拝に変わっていく。
栗原は「サボる哲学――」の冒頭、年収が200万円であると明かしていた。大学での講座は週1回で、〝売れそうもない〟本を数冊出しているだけではリッチは難しい。「100分deパンデミック論」でアナキストを自任し、「暴れるのが好き」というと、安部みちこアナから「見かけと違う」とツッコまれていたが、言葉はポップで軽やかだ。「サボる哲学――」は自身の日常とアナキズムを混淆したエッセー集といえる。
根本にあるのは限りない自由への希求だが、当の栗原は<自発>を好む。<自由>という言葉に、フレーム枠内の〝不自由さ〟を覚えるからだ。おとなしそうに見える栗原を支えているのは怒りと情熱だ。そして栗原は、人間の正直な心の交錯が、確実に形――恋愛や友情を含め――になって表れると捉えている。
栗原は二項対立でがんじがらめになっている空気を打破するための武器として笑いを据える。<権力がまとめる閉ざされた体系を崩すのは支離滅裂さ>という鶴見俊輔の「アメノウズメ論」を援用していた。本書を読んで感心したのは栗原の知識量と嗅覚で、自身を高みに引き上げる言葉を探している。
「100分deパンデミック論」で共演した斎藤幸平は栗原に共感の笑みを送っていたが、栗原の持論は<資本主義は現在の奴隷制で、賃労働の原型は奴隷労働>だ。古来、人々は奴隷制に抵抗してきた。栗原は海賊たちの奮闘、逃亡するハリエット、ポストフォーディズム(失業者による労働統治)、ラッダイト(機械破壊運動)、ブラック・ライブズ・マターと連携した警察アポリョニシズム運動に言及する。
大杉栄は<生の拡充>と<自律>を説く。障害にある仕組みを壊すこと、即ち乱調(抵抗)に価値を置く大杉の心情を凝縮したのが<美は乱調>にありだ。大杉と野枝は成立3年後、<中心>と<上下>に縛られたロシア革命を批判している。鋭い洞察に感嘆するしかないが、大杉はナイーブさを併せ持った詩人でもあった。スペイン革命でもアナキストの目前のたちはだかったのは共産党だった。
支配なき共同の生を紡げ、道路を踏み外せ、あらゆる労働はブルシット……。本書には夢破れたアナキストの叫びがちりばまれている。栗原の叫びには血が滲んでいるのだ。
羽生善治九段はA級順位戦で永瀬拓矢王座に敗れて2勝6敗になった。B1陥落がこれほど早く来るとは誰が予想し得ただろう。斎藤慎太郎八段が豊島将之九段を破り、8連勝で渡辺明名人への挑戦を決めたが、豊島には悔いの残る対局だった。最終盤にAIの評価値が90を超えながら逆転され、再度勝勢になりながら投了に追い込まれた。失着が重なった豊島は眠れぬ朝を迎えたに相違ない。
栗原康の「サボる哲学~労働の未来から逃散せよ」(NHK出版新書)を読了した。栗原の著書を読むのは別稿で紹介した「村に火をつけ、白痴になれ~伊藤野枝伝」以来、2冊目になる。前々稿で<俺は今、栗原の「サボる哲学」を読んでいる。次々稿で番組の内容と併せて紹介することにする>と告知した通り、まずは「100分deパンデミック論」で栗原が解説した「大杉栄評論集」について記したい。
アナキズムというと<無政府主義>と訳されているが、栗原はギリシャ語の語源に遡り<無支配主義>が正しいという。その上で栗原は番組で〝アナキスト〟を公言していた。大杉栄はパートナーの伊藤野枝とともにアナキストとして労働運動に関わった。関東大震災直後、野枝、幼い甥とともに憲兵隊の甘粕大尉に虐殺されている(甘粕は罪を被っただけとの説もあり)。
大杉は軍人一家に生まれたが吃音持ちで、軍人にならず思想家になる。下獄するたび外国語を習得し、〝一犯一語〟で「世界中の言葉でどもってやる」と広言していた。大杉は社会を考察する際、奴隷制度を基本に据えた。<支配-被支配>の構図で、権力者に阿ねれば、必然的にヒエラルキーで下位の者に高圧的に振る舞うようになる。それは奴隷根性で、従属がやがて快感に転じ、宗教的崇拝に変わっていく。
栗原は「サボる哲学――」の冒頭、年収が200万円であると明かしていた。大学での講座は週1回で、〝売れそうもない〟本を数冊出しているだけではリッチは難しい。「100分deパンデミック論」でアナキストを自任し、「暴れるのが好き」というと、安部みちこアナから「見かけと違う」とツッコまれていたが、言葉はポップで軽やかだ。「サボる哲学――」は自身の日常とアナキズムを混淆したエッセー集といえる。
根本にあるのは限りない自由への希求だが、当の栗原は<自発>を好む。<自由>という言葉に、フレーム枠内の〝不自由さ〟を覚えるからだ。おとなしそうに見える栗原を支えているのは怒りと情熱だ。そして栗原は、人間の正直な心の交錯が、確実に形――恋愛や友情を含め――になって表れると捉えている。
栗原は二項対立でがんじがらめになっている空気を打破するための武器として笑いを据える。<権力がまとめる閉ざされた体系を崩すのは支離滅裂さ>という鶴見俊輔の「アメノウズメ論」を援用していた。本書を読んで感心したのは栗原の知識量と嗅覚で、自身を高みに引き上げる言葉を探している。
「100分deパンデミック論」で共演した斎藤幸平は栗原に共感の笑みを送っていたが、栗原の持論は<資本主義は現在の奴隷制で、賃労働の原型は奴隷労働>だ。古来、人々は奴隷制に抵抗してきた。栗原は海賊たちの奮闘、逃亡するハリエット、ポストフォーディズム(失業者による労働統治)、ラッダイト(機械破壊運動)、ブラック・ライブズ・マターと連携した警察アポリョニシズム運動に言及する。
大杉栄は<生の拡充>と<自律>を説く。障害にある仕組みを壊すこと、即ち乱調(抵抗)に価値を置く大杉の心情を凝縮したのが<美は乱調>にありだ。大杉と野枝は成立3年後、<中心>と<上下>に縛られたロシア革命を批判している。鋭い洞察に感嘆するしかないが、大杉はナイーブさを併せ持った詩人でもあった。スペイン革命でもアナキストの目前のたちはだかったのは共産党だった。
支配なき共同の生を紡げ、道路を踏み外せ、あらゆる労働はブルシット……。本書には夢破れたアナキストの叫びがちりばまれている。栗原の叫びには血が滲んでいるのだ。