NHKBS1は世界のトップニュースを僅かなタイムラグでオンエアしている。編集抜きで接する〝世界標準〟はレアで価値が高い。外交関連ではアメリカと並び中国が主役を演じている。
アメリカの制裁に苦しむイランの首脳が北京を訪れ、良好な関係を確認していた。中印の断絶は報じられている通りだが、インドの敵国パキスタンは一帯一路に距離を置く。好機とばかり接近するアメリカに肘鉄を食らわし、パキスタンは軍事面でロシアやサウジアラビアと連携を密にしているようだ。対米従属の日本と対照的に、各国がしたたかに外交戦略を練っていることが窺える。
中国の干渉に窒息しつつあるのが香港だ。別稿(17年8月24日)で紹介した「十年」(15年)は2025年の香港を見据え、気鋭の監督5人がメガホンを執ったオムニバスで、中国への怒りと警戒感に満ちていた。「十年」同様、雨傘運動の挫折を経て製作された「誰がための日々」(16年、ウォン・ジョン監督)を新宿ケイズシネマで見た。
1997年に英国から中国に返還(主権委譲)されてから、香港では自由が侵食されてきた。家族の絆をメインに据えた本作にも、同国の閉塞感が滲み出ている。監督と妻の脚本家フローレンス・チャンは実際に起きた事件をベースにストーリーを練ったという。
主人公のトン(ショーン・ユン)はエリートサラリーマンだったが、火傷がもとで寝たきりになった母(エレイン・ジン)を介護するため仕事を辞めた。大陸出身でプライドの高い母と口論が絶えず、アクシデントで母を死なせてしまう。判決は無罪だったが躁鬱病を発症し、入院を余儀なくされた。効果的なカットバックで、トンの心象風景が浮き彫りになっていく。
トンは退院後、疎遠だった父ホイ(エリック・ツァン)のアパートに同居することになる。夫婦仲は最悪で、トラック運転手として稼いでいたホイは家に寄りつかず、母の介護に一切協力しなかった。トンの弟は香港に見切りをつけアメリカで暮らしている。金銭は援助するが、家族とは距離を置いている。
原題の「一念無明」は、不要なこだわり(一念)に縛られて大切な人の気持ちを理解出来なくなり、暗闇(無明)を彷徨うことを戒める仏教用語だ。トンは家族だけでなく、かつての婚約者ジェニー(シャーメイン・フォン)とも疎遠になっていた。新生活スタートのはずが、トンは母の介護のために会社を辞めた。事件が起こり、1年の入院を強いられる。
トンとジェニーの再会後のエピソードが本作の肝かもしれない。苦境に陥っていたジェニーは教会に通い、〝トンを赦す〟という心境に至る。教会にトンを招き、洗いざらいぶちまけた後、「トンも救ってください」と牧師と会衆に語りかけるのだ。退院後、順調に社会と折り合ってきたトンだが、この場面で症状は逆戻りする。
俺はジェニーの言動に復讐の意志を酌み取ったが、「ジェニーに悪意はなかった」と語る監督にとっては、「一念無明」を象徴するシーンなのだろう。トンは壊れ、スーパーマーケットでの〝チョコ一気食い〟がSNSで世界中に拡散する。<香港の閉塞感が滲んでいる>と記したが、世界共通のネット社会の病理、弱者が更なる弱者を鞭打つ仕組みが描かれている。
トンがホイと暮らすアパートは負け組が息を潜める場所だった。隣室の女性ユーは大陸出身で香港居住権がない。トンは大陸の戸籍がないユーの息子と親しくなり、協力して起業を試みるが、自身の奇行で頓挫する。負け組たちは決して優しくなく、世情に与する。ユーが先頭に立ち、父子の追放を画策するのだ。
ホイとトンの父子に、「モンローが死んだ日」(NHKBSプレミアム)の高橋智之(草刈正雄)と美緒(佐津川愛)の父娘が重なった。美緒が所属した劇団の主宰者かつ元夫は、智之と美緒について<お互いの存在が苦しみで、苦しみのためにお互いが存在する>と評していた。「モンローが死んだ日」はラストにカタルシスと癒やしを覚える鏡子(鈴木京香)と智之の秀逸な愛の物語で、再放送をぜひご覧になってほしい。
「誰がための日々」は、絆とか共感とか夢とか、人々が好む言葉を拒否している。酷薄な現実を描き切ることが、希望へのスタートラインだと言いたいのだろう。ウォン・ジョンの次作に期待している。
アメリカの制裁に苦しむイランの首脳が北京を訪れ、良好な関係を確認していた。中印の断絶は報じられている通りだが、インドの敵国パキスタンは一帯一路に距離を置く。好機とばかり接近するアメリカに肘鉄を食らわし、パキスタンは軍事面でロシアやサウジアラビアと連携を密にしているようだ。対米従属の日本と対照的に、各国がしたたかに外交戦略を練っていることが窺える。
中国の干渉に窒息しつつあるのが香港だ。別稿(17年8月24日)で紹介した「十年」(15年)は2025年の香港を見据え、気鋭の監督5人がメガホンを執ったオムニバスで、中国への怒りと警戒感に満ちていた。「十年」同様、雨傘運動の挫折を経て製作された「誰がための日々」(16年、ウォン・ジョン監督)を新宿ケイズシネマで見た。
1997年に英国から中国に返還(主権委譲)されてから、香港では自由が侵食されてきた。家族の絆をメインに据えた本作にも、同国の閉塞感が滲み出ている。監督と妻の脚本家フローレンス・チャンは実際に起きた事件をベースにストーリーを練ったという。
主人公のトン(ショーン・ユン)はエリートサラリーマンだったが、火傷がもとで寝たきりになった母(エレイン・ジン)を介護するため仕事を辞めた。大陸出身でプライドの高い母と口論が絶えず、アクシデントで母を死なせてしまう。判決は無罪だったが躁鬱病を発症し、入院を余儀なくされた。効果的なカットバックで、トンの心象風景が浮き彫りになっていく。
トンは退院後、疎遠だった父ホイ(エリック・ツァン)のアパートに同居することになる。夫婦仲は最悪で、トラック運転手として稼いでいたホイは家に寄りつかず、母の介護に一切協力しなかった。トンの弟は香港に見切りをつけアメリカで暮らしている。金銭は援助するが、家族とは距離を置いている。
原題の「一念無明」は、不要なこだわり(一念)に縛られて大切な人の気持ちを理解出来なくなり、暗闇(無明)を彷徨うことを戒める仏教用語だ。トンは家族だけでなく、かつての婚約者ジェニー(シャーメイン・フォン)とも疎遠になっていた。新生活スタートのはずが、トンは母の介護のために会社を辞めた。事件が起こり、1年の入院を強いられる。
トンとジェニーの再会後のエピソードが本作の肝かもしれない。苦境に陥っていたジェニーは教会に通い、〝トンを赦す〟という心境に至る。教会にトンを招き、洗いざらいぶちまけた後、「トンも救ってください」と牧師と会衆に語りかけるのだ。退院後、順調に社会と折り合ってきたトンだが、この場面で症状は逆戻りする。
俺はジェニーの言動に復讐の意志を酌み取ったが、「ジェニーに悪意はなかった」と語る監督にとっては、「一念無明」を象徴するシーンなのだろう。トンは壊れ、スーパーマーケットでの〝チョコ一気食い〟がSNSで世界中に拡散する。<香港の閉塞感が滲んでいる>と記したが、世界共通のネット社会の病理、弱者が更なる弱者を鞭打つ仕組みが描かれている。
トンがホイと暮らすアパートは負け組が息を潜める場所だった。隣室の女性ユーは大陸出身で香港居住権がない。トンは大陸の戸籍がないユーの息子と親しくなり、協力して起業を試みるが、自身の奇行で頓挫する。負け組たちは決して優しくなく、世情に与する。ユーが先頭に立ち、父子の追放を画策するのだ。
ホイとトンの父子に、「モンローが死んだ日」(NHKBSプレミアム)の高橋智之(草刈正雄)と美緒(佐津川愛)の父娘が重なった。美緒が所属した劇団の主宰者かつ元夫は、智之と美緒について<お互いの存在が苦しみで、苦しみのためにお互いが存在する>と評していた。「モンローが死んだ日」はラストにカタルシスと癒やしを覚える鏡子(鈴木京香)と智之の秀逸な愛の物語で、再放送をぜひご覧になってほしい。
「誰がための日々」は、絆とか共感とか夢とか、人々が好む言葉を拒否している。酷薄な現実を描き切ることが、希望へのスタートラインだと言いたいのだろう。ウォン・ジョンの次作に期待している。