同郷の偉才、山城新伍さんが亡くなった。「仁義なき戦い」シリーズ、「県警対組織暴力」、「資金源強奪」など、深作欣二監督作品におけるスパイスの効いた存在感が記憶に残っている。差別と芸能史についての書物を著すなど、芸能界きっての知性派でもあった。孤独のうちに召された名優の死を心から悼みたい。
昨日は敗戦の日だった。戦争で想起する映画監督といえば岡本喜八で、この時季、その作品を幾度か取り上げてきた。今回は戦争の傷跡を含め、昭和を真摯に抉り続けた大島渚監督の「忍者武芸帳」(67年/白土三平原作)について記したい。
ちなみに山城さんは1938年生まれで山城高卒、大島監督は32年生まれで洛陽高卒と、年の近い反骨の京都人だが、映画の世界では接点がなかった。大島監督は「やくざの墓場~くちなしの花」に出演したが、〝深作組〟の山城さんは同作にキャスティングされなかった。
前稿に記したように<右翼・左翼>が死語になった21世紀の若者にとり、「忍者武芸帳」は?だらけの作品かもしれない。60年代を牽引した<大島=白土のコラボ>である本作は、静止画によるモンタージュ技法などと評されているが、換言すれば〝紙芝居に形を借りたアジテーション〟である。
主人公の影丸は農民一揆や一向一揆を指導する忍者で、武士と闘う側の象徴と見做されている。後半では信長が最大の敵となるが、一向一揆の指導者である顕如も教団拡大のため農民を利用する裏切り者として描かれていいる。
様々な術を駆使する影丸は、神出鬼没で不死身の男だ。分身の術の使い手とされるが、影一族の7人が影武者として日本各地で闘いの先頭に立っている。
影丸の妹明美と重太郎との悲恋がサイドストーリーだ。信長の策略で重太郎は影丸を仇と信じ込むが、影丸が重太郎に語りかける台詞が本作の肝になっている。
<大切なのは勝ち負けではなく、目的に向かって近づくことだ。俺が死んでも志を継ぐ者が必ず現れる。多くの人が平等で幸せに暮らせる日が来るまで、敗れても敗れても闘い続ける。100年先か、1000年先か、そんな日は必ず来る>
掲げる思想が正しければ、弾圧されても必ず後世に受け継がれ、花実を咲かせることになる……。本作の底には、「ゲバラ2部作」と同じく高邁な理想が流れている。無数の影丸たちが身を賭して守ってきた日本の地下水脈だが、この30年で枯れ果てた感がする。
貧困と格差が深刻になった今、1920年代から30年代にかけての闘いを甦らせる必要がある。自分の無力を棚に上げ、「出でよ、影丸たち!」と声を大に叫びたい。
昨日は敗戦の日だった。戦争で想起する映画監督といえば岡本喜八で、この時季、その作品を幾度か取り上げてきた。今回は戦争の傷跡を含め、昭和を真摯に抉り続けた大島渚監督の「忍者武芸帳」(67年/白土三平原作)について記したい。
ちなみに山城さんは1938年生まれで山城高卒、大島監督は32年生まれで洛陽高卒と、年の近い反骨の京都人だが、映画の世界では接点がなかった。大島監督は「やくざの墓場~くちなしの花」に出演したが、〝深作組〟の山城さんは同作にキャスティングされなかった。
前稿に記したように<右翼・左翼>が死語になった21世紀の若者にとり、「忍者武芸帳」は?だらけの作品かもしれない。60年代を牽引した<大島=白土のコラボ>である本作は、静止画によるモンタージュ技法などと評されているが、換言すれば〝紙芝居に形を借りたアジテーション〟である。
主人公の影丸は農民一揆や一向一揆を指導する忍者で、武士と闘う側の象徴と見做されている。後半では信長が最大の敵となるが、一向一揆の指導者である顕如も教団拡大のため農民を利用する裏切り者として描かれていいる。
様々な術を駆使する影丸は、神出鬼没で不死身の男だ。分身の術の使い手とされるが、影一族の7人が影武者として日本各地で闘いの先頭に立っている。
影丸の妹明美と重太郎との悲恋がサイドストーリーだ。信長の策略で重太郎は影丸を仇と信じ込むが、影丸が重太郎に語りかける台詞が本作の肝になっている。
<大切なのは勝ち負けではなく、目的に向かって近づくことだ。俺が死んでも志を継ぐ者が必ず現れる。多くの人が平等で幸せに暮らせる日が来るまで、敗れても敗れても闘い続ける。100年先か、1000年先か、そんな日は必ず来る>
掲げる思想が正しければ、弾圧されても必ず後世に受け継がれ、花実を咲かせることになる……。本作の底には、「ゲバラ2部作」と同じく高邁な理想が流れている。無数の影丸たちが身を賭して守ってきた日本の地下水脈だが、この30年で枯れ果てた感がする。
貧困と格差が深刻になった今、1920年代から30年代にかけての闘いを甦らせる必要がある。自分の無力を棚に上げ、「出でよ、影丸たち!」と声を大に叫びたい。