酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史」を読む

2009-01-11 00:36:06 | 読書
 16歳の里見香奈倉敷藤花が、男性棋士から公式戦初勝利を挙げた。相手は勝率7割5分を誇る俊英の稲葉4段というから驚きだ。終盤に定評がある里見は、これまでも公開対局で男性棋士を苦しめている。次期NHK杯で女流出場枠をぜひ確保してほしい。

 さて、本題。佐野眞一氏の最新作「沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史」を読んだ。佐野氏の最近の著書は「巨怪伝」、「旅する巨人」、「カリスマ」といった傑作群と比べると緩くなったことは否めないが、その分エンターテインメントにシフトしている。「沖縄――」もページを繰る指が止まらない600㌻超の力作だった。

 冒頭で<大江健三郎や筑紫哲也らによる「お約束の沖縄史」から沖縄を解放したい>(要旨)と延べた通り、新たな視点で沖縄に迫っていた。読了して再認識したのは、沖縄が一貫して戦時にあったことだ。<平和憲法を守ろう>とか<子供を戦争に送るな>といった革新勢力のスローガンは虚妄に過ぎない。日本は六十余年、最強の暴力装置アメリカに与した<テロ支援国家>であり、沖縄は最前線の基地だった。

 沖縄経済の基地依存、軍用地主の桁外れの財力と権力を詳らかにしつつ、著者は沖縄が抱える問題点を指摘する。基地の存在が第1次産業の育成を阻み、多額の助成金が製造業全般の発展を妨げてきたという。何度も登場する故山中貞則氏(通産相など歴任)は沖縄にとって慈父であり、子供をスポイルする過保護な愚父でもあったのだろう。

 太平洋戦争において捨て石にされ、戦後は基地の街だった沖縄は、知識人にとって贖罪の対象だった。だが、その沖縄が差別の加害者であったことを本書で知る。1953年に奄美諸島は日本に復帰する。外国人になった奄美諸島の出身者は、沖縄で苛烈な差別を受けた。官界や金融界で公職から追放され、就職や給与で厳然たる差別が公認される。

 行き場を失った奄美出身者の中からアウトローの世界に身を転じる者も少なからずいた。暴力団の抗争史に多くのページが割かれているが、読み進むうち「沖縄やくざ戦争」(76年)で千葉真一(現サニー千葉)が演じた狂気が重なった。著者は闇経済の規模の大きさが、実体経済(県民所得は全国最下位)より沖縄を豊かに見せていると分析している。

 牛肉をめぐるエピソードも興味深かった。佐野氏は「カリスマ」で、中内功氏の半生を戦後史に組み込む形で描いていた。その中内氏は非関税に目を付け、豪州から大量に輸入した子牛を沖縄で肥育し、本土に輸出して安価で売るシステムを構築した。沖縄はダイエーにとって飛翔のきっかけになる場所だったのだ。

 沖縄芸能史を知り尽くす2人が、沖縄最高のエンターテイナーとして南沙織や民謡歌手ではなく、独特の風貌を持つ瀬長亀次郎を挙げていた。瀬長は衆院議員や沖縄人民党書記長を歴任した抵抗の政治家で、聞き惚れるアジテーションは心を洗うカタルシスだったに違いない。

 “沖縄アンダーワールド”の趣もある本書を、佐野氏は<ゴーヤチャンプルー風のごった煮>と評している。著者自身が混乱しているのだから、当稿が取り留めない内容になったことをご容赦願いたい。


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