酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

甦った「ベルリン」~ルー・リードが描いた宿命の愛

2008-11-13 00:22:49 | 映画、ドラマ
 新自由主義は地に墜ちたが、爪跡から滲む血は止まらない。才能豊かな無名のロッカーたちが、世界のあちこちで叫んでいるはずだ。<レーベル=広告代理店=プロモーター=メディア>のビッグマネー環流システムに胡坐をかく飼い犬(メジャーバンド)の首を食いちぎらんとして……。

 ロックはこの半世紀、社会の動きにビビッドに反応し、抵抗をエネルギーに進化してきた。現在の状況でパンク、グランジ並みのムーブメントが起きないとしたら、それは<ロックの精神>の死を意味する。

 今稿から3回、ロックを変えた革命家たちを紹介する。先日「ルー・リード/ベルリン」(07年、ジュリアン・シュナーベル監督)をバウスシアター(吉祥寺)で見た。20年前、「キュアー・イン・オランジュ」を見た映画館である。

 余談だが、ルー・リードとキュアーはデヴィッド・ボウイを結び目に繋がっている。不遇だったルー・リードをサポートしたボウイは、ロバート・スミスが最も敬意を払うアーティストでもある。

 冒頭、<1973年、ルー・リードはアルバム「ベルリン」を発表。商業的に失敗に終わり、ライブでの演奏を封印した>というテロップが流れる。本作は発表後33年を経た「ベルリン」初演(06年、ニューヨーク)の模様を収めたドキュメンタリーだ。普遍的に楽しめる映画ではないし、お薦めするつもりもない。「ベルリン」が人生のサントラなんて、決して褒められたものじゃないからだ。

 俺もルー・リード同様、「ベルリン」を封印していた。80年代前半、UKニューウェーヴに交じって「ベルリン」も頻繁にターンテーブルに載せていたが、CD版購入(87年)後は全く聴いていない。暗い情念が溶け出るのを本能的に避けていたのだろう。

 一曲が終わると、次の曲のイントロが頭の中で奏でられている。20年のブランクを超え、アルバムの中身を完全に記憶していた。♯1「ベルリン」から♯2「レディ・デイ」に流れる瞬間に鳥肌が立ち、♯9「ベッド」に繰り返し現れる“And I said oh oh oh oh oh oh what a feeling”の歌詞を心でハミングするうち、涙が出そうになった。

 パフォーマンスとカットバックするのが、ストーリーに基づくイメージフィルムだ。「ベルリン」は主人公(アメリカ人の青年)、謎めいたキャロライン、ジムの三角関係を軸に進行する絶望、嫉妬、倒錯、哀しみに彩られた宿命の物語だ。弔鐘のような余韻とともに「悲しみの歌」で幕を閉じた後、アンコールで3曲披露される。そのうち2曲はベルベット・アンダーグラウンド時代の「キャンディ・セッズ」と「スイート・ジェーン」だった。

 ニコを加えたベルベッツの1st(67年発表)は、バナナのジャケットが有名なアンディ・ウォーホールのプロデュース作だが、アメリカ国内では発売後1年で数千枚しか売れなかったという。「宿命の女」、「毛皮のヴィーナス」、「ヘロイン」など同作収録曲に、「ベルリン」の断片が窺える。

 ルー・リードは限られた声域のモノローグで、奥深く赤裸々なメッセージを聴く者に伝える。ボブ・ディランとともに、ロックを文学の領域に高めた最大の功労者だ。若い頃は重症のジャンキーだったが、還暦を超えた今は健康そのものだ。ギターを弾く太い腕は筋トレの賜物だろう。
 
 最後に妄想を。「ベルリン」の人物設定は映画「キャバレー」(71年)に似ており、インスパイアされた部分もあったかもしれない。あれこれ詮索されることを嫌ったのも、封印の一つの理由ではないだろうか。

 ルー・リードとベルベッツは、イギー・ポップ&ストゥージズ、ニューヨーク・ドールズとともにパンクの3大始祖だ。次回は直系のパティ・スミスについて記すことにする。
コメント (7)
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