酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

紅葉の京都にてPART1~病と闘う妹を見舞う

2008-11-24 10:44:59 | 戯れ言
 先日(19日)、馴染みの床屋で店主とロック談議に花を咲かせていた。ザ・フー来日公演の感想を話していると、義弟から電話が入る。潤んだ声が深刻さを表していた。妹の病状が急変したという。

 薬の服用で日常生活に支障はなかったが、妹は膠原病と闘っており、京都市内で検査入院中だった。帰省する旨を義弟に伝えて携帯を切ると、店内にフーの「ビハインド・ブルー・アイズ」が流れている。胸がむず痒くなり、外に出るや涙腺が決壊した。

 無信心の俺だが、妹の代わりにこの命を奪ってくれとひたすら神仏に祈った。本人から翌夕(20日)、「ましになった」と携帯メールが届き、驚くと同時に安堵する。輸血などの処置もあって熱が下がり、前日から持ち直したのだ。人望ある妹のこと、快復を願う人々の気持ちが天に通じたのかもしれない。

 22日まで入院中だった母もタクシーで駆け付け、妹に付き添ったという。京都駅から病院に直行したが、物々しい医療機器と酸素マスクを着けた妹の姿を目の当たりにして、涙がこぼれそうになった。

 酸素マスクのせいで話し声は聞きづらいが、妹の目は力に溢れていた。家族を守り、地域の活動もこなし、ピアノを教え、童話を書きためる……。積極的に生きる妹にとって、管にがんじからめの現状は歯がゆいだろうが、前向きな気持ちは失っていない。病と闘う姿は気高さに満ちていた。

 妹思いと映る俺だが、決して優しい人間ではない。妹に<正しく愛する力>が備わっているから、受けたものの幾許かを返しているだけだ。愛されないと悩む人もいる。俺も時々そんな思いに打ちひしがれるが、その原因は<正しく愛せない>自分自身にあると妹に教えられた。

 妹は20代前半まで大企業のOLで、異性から異様なほどモテていた。順風満帆の人生は、発病とともに暗転する。絶望の淵を体験したことで、若くして<正しく愛する力>を身に付けたのだろう。妹は下の世話を含めた祖母の介護も厭わなかった。周囲は感心したが、本人は当然のことと受け止めていた。

 母は18日夜、白いインコが自分の方に飛んでくる夢を見た。母にとって夢の中の白い鳥はいい知らせの前触れなのだが、待ち受けていたのは妹の急変だった。その妹は19日夜、熱にうなされながら亡き父の夢を見た。妹が近づくと父は悲しげな表情で立ち尽くしていたという。母の夢は結果として吉兆で、妹の夢は娘に三途の川を渡らせなかった父の決意の表れだと信じている。

 母と義弟の妹への愛の深さに、家族の絆、肉親の情に勝るものはないことを知る。東京砂漠の乾生動物たる俺の心も、人並みの湿度を取り戻した数日間だった。





コメント (3)
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