酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「突然炎のごとく」~25年で失くしたものは?

2007-02-09 02:16:59 | 映画、ドラマ
 「突然炎のごとく」(62年、トリュフォー)は、青春期の終わりを告げる作品だった。再会をためらっていたが、シネフィルイマジカで放映されたのを機に封印を解く。傷口が開いて蒼い血が噴き出すはずが、心身に漣さえ生じない。四半世紀の光陰が、体温と湿度を変えてしまったようだ。

 ある女性と本作を見た。俺は秘かに<恋人=彼女=俺>という三角形を描いていたが、カフェでの感想会で妄想を打ち砕かれる。「あたしもカトリーヌよ」と切り出すや、彼女は奔放な異性関係を語り始めた。恋人、写真家、中年実業家のパトロン……。自分の居場所が八角形の外、ポツンと付いたシミであることを思い知らされた。驚き、嫉妬、やるせなさといった感情は坩堝の中で業火になり、俺の恋を灰にした。彼女はその後、恋人の公務員と結婚し、複数の子の母になる。柳沢厚労相が拍手しそうな「健全な人生」は、波瀾万丈を期待していたギャラリーを少なからず失望させた。

 とまれ、本作がヌーベルバーグの金字塔であることに変わりはない。カトリーヌ(ジャンヌ・モロー)は公開当時33歳だったが、少女のようにしなやかで、かつエキセントリックだった。トリュフォーとクタール(撮影)が創出した「オール・アバウト・ジャンヌ」の趣さえある作品だ。歯切れ良いテンポで物語は進行し、会話はウィットに富んでいる。ストップモーションや画面サイズの切り替えを多用するなど、映像的な工夫も凝らされていた。

 作家志望のジュールとジムにとって、カトリーヌは挿入歌「つむじ風」の詩にある「ファム・ファタール」(宿命の女)である。アドリア海の公園で彫像に魅入られた二人は、謎めいた笑みを生き写しにしたカトリーヌと出会い、たちまち恋に落ちる。第三の情人アルベールも音楽家で、刹那的なカトリーヌの愛情を受け入れる素地があった。本作に描かれた恋愛は、現実から浮遊して形而上の価値を求める者のみが享受できる形といえるだろう。

 原題は“JULES et JIM”、即ち「ジュールとジム」である、一人の女性を愛することで友情が深まる三角関係は、「こころ」(漱石)が描いた深淵や絶望と異なり、フランス的で救いがある。確かにラストは悲痛だが、ジュールは「つむじ風」をバックに、安堵感を漂わせて坂を下っていった。

 私的な思い出と重なるからこそ、「突然炎のごとく」は俺の中で「神話」であり続けた。<蒼い情熱>や<女性への幻想>を失くした今、「出来のいい青春映画」に格下げになったが、次に見た時、いかなる感想を抱くか分からない。25年後なら75歳。生きていればの話だけれど……。

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Unknown (Unknown)
2007-02-09 13:40:05
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