酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「わが青春つきるとも-伊藤千代子の生涯-」~時代と闘った清冽な魂

2022-05-16 18:00:19 | 映画、ドラマ
 ロシアのウクライナ侵攻以降、世界は戦争モードに転換した。フィンランドに続きスウェーデンもNATO加盟が決定的で、欧州各国は軍事費増強の方向だ。100年前はどうだったのか。当時はスペイン風邪が蔓延し、現在はコロナ禍だ。1917年にロシア革命が起き、翌年に第1次世界大戦が終結した。

 日本では大正デモクラシーで自由の気風が広がったが、米騒動、関東大震災と大きな事件が続き、格差と貧困が拡大し、社会主義が浸透する。<1925年の治安維持法成立で抗議の声が弾圧された>という〝通説〟は誤りで、施行直後の1920年代後半から30年代半ばにかけ、農民や労働者の決起が燎原の火のように広がる。生活実感と表現主義やシュルレアリズムが結びついていた。

 時代に抗った女性に焦点を定めた映画をポレポレ東中野で見た。「わが青春つきるとも-伊藤千代子の生涯-」(2022年、桂荘三郎監督)である。1905年、信州・諏訪で生まれた伊藤千代子は東京女子大に進み、社研に所属して治安維持法の下、変革に立ち上がる。千代子を演じたのは井上百合子だ。

 彼女を含め同志たちの明るさに違和感を覚えたが、〝暗い閉塞の時代〟という刷り込みに囚われているからかもしれない。ショーガールやマネキンガールまで隊列に加わったように、抵抗運動はカラフルだった。本作では前半と後半でトーンが大きく変わる。ささやかな希望が、暗澹たる闇に落ちていくのだ。

 千代子をサポートした歌人の土屋文明(金田明夫)が大学で講義する際、千代子を悼むシーンから本作は始まる。諏訪の女学校、そして東京女子大でも千代子は人望があった。代用教員時代、貧困家庭の少女と弁当を分け合うなど、社会の矛盾に気付いたことが出発点だった。

 千代子は、東大新人会出身で〝左翼のホープ〟浅野晃(窪塚俊介)と結婚する。共産党と友好関係にあった労農党を夫妻揃って支援するなど固い絆で結ばれていたが、三・一五事件でともに検挙される。千代子は特高刑事(石丸謙二郎)らの凄まじい拷問にも耐え、獄中でもリーダーとして仲間を励ました。

 千代子を絶望に陥れ、狂気に追いやったのは浅野の転向だった。拘禁精神病で松澤病院に収容され、肺炎で亡くなる。享年24、清冽な青春だった。千代子を絶望の淵に追いやった浅野を責めることも可能だろう。だが、我が身に翻って考えると難しい。俺など、僅かな拷問にも屈し、身上書を提出し、権力に寝返ることは確実だ。

 転向については様々な論考が記されている。吉本隆明の「転向論」は<日本近代社会の本質を掴み損なったインテリは、劣悪な社会と妥協し、屈服するしかなかった>(要旨)と論じていた。<大衆の原像>を追求した吉本は、転向した者たちの心情にあったのは<大衆との乖離>ゆえの孤独と考えたのではないか。

 千代子が獄中で同志とともに歌うシーンがある。千代子の合図で囚われた女性たちが革命家を合唱する。神々しいロシア革命について、伊藤野枝は3年後、<中心と上下に縛られていた>と批判している。1921年に来日したバートランド・ラッセルが「好ましいと思った日本人はたった一人。伊藤野枝という女性」と語っていたことは、「村に火をつけ、白痴になれ~伊藤野枝伝」(2014年、栗原康著)に記されている。

 全共闘世代、そして俺と年齢が変わらず、上記の吉本、高橋和己を読み、大島渚の映画に親しんだ方は、「わが青春つきるとも――」に入り込めなかったはずだ。共産党色が強過ぎるからである。とはいえ、千代子の最期に胸が苦しくなる。野枝と大杉栄、山本宣治や小林多喜二、鶴彬……。立ち位置は異なっても、抗議の拳を振り上げ、斃れた無数の魂に感謝の思いを捧げたい。

 ラストは1945年、敗戦直後だ。千代子の後輩が夫と子供を連れ、千代子の墓を詣でる。後輩は「あなたが夢見た民主主義、男女平等の社会になった」と報告する。だが、この国の形を変えたのは民衆ではなくGHQだった。そのことが日本の閉塞感の要因だ。

 治安維持法と同時に成立したのが普通選挙法の精神は、今も受け継がれている。莫大な供託金、そして候補者と有権者を分断する公職選挙法は先進国(OECD加盟国)ではあり得ない民主主義の阻害要因になっている。俺もまた、無気力、沈黙、ニヒリズムに溺れ、声が涸れてしまった。
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