酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「名人」~川端康成が描く勝負の深淵

2015-01-06 23:39:44 | 読書
 特定秘密保護法施行当日(12月10日)、アメブロが「真実を探すブログ」と「放射能とたたかうブログ」を削除した。ドキュメンタリーの製作現場では既に自主規制が広がっており、猛スピードで言論封殺が進行している。

 ブログで政治や社会をラディカルに斬っている旧友と、話す機会があった。当ブログの読者数が右肩下がりであることを知っている彼は、「俺もなんだ」とため息交じりに話していた。彼は以下のような疑問を抱いている。<アメブロほど露骨ではないが、各サイトとも原発、秘密保護法、辺野古移設、集団的自衛権といった言葉の検索を制限している>と……。

 彼の指摘が的を射ていたとしても、サイト運営者が真実を語るはずはない。「自由からの逃走」はエーリヒ・フロムの名著だが、タイトルそのものの状況が、今の日本の風潮だ。

 さて、本題……。年末年始に読んだ川端康成の「名人」(1954年発表、新潮文庫)の感想を記したい。川端は38年、本因坊秀哉名人の引退碁の観戦記を担当する。対局者は木谷7段だったが、存命中でもあり、小説では大竹7段と仮名を用いている。

 囲碁は門外漢だが、生を削り、盤に魂を刻む対局者の息遣いが、行間から立ち昇ってくるのを覚えた。引退碁から約1年後に名人は亡くなるが、対面した川端は「一芸に執して、現実の多くを失った人の悲劇の果ての顔」と記している。

 日本中の耳目を集めた引退碁は、時代の帰趨を懸けた闘いでもあった。当時は終身名人制で、続く段位は7段である。川端は<名人=日本の伝統と美学の体現者、大竹=合理主義者>の構図を軸に、名人の側に立って筆を進めている。大竹のモデルである木谷は棋界の革新者と見做されていた。

 持ち時間は40時間で、6月下旬にスタートし12月上旬、大竹の5目勝ちで決着する。途中で入院するなど60代半ばの名人に対し、大竹は豪放磊落のイメージがある。壮年による老人いじめと映らぬこともないが、盤外で主導権を握っていたのは名人だった。誓約違反を繰り返す名人に、大竹は何度も対局中止を申し出ている。

 世紀を超えて読むと、川端が描いた絵の下に、別のデッサンが浮き上がり、両者の対照的な個性が明らかになる。無神経な名人と神経質な大竹の闘いともいえ、川端が「現身を失い幽鬼の如き」と表現した名人は、常識から恬然としており、周りの騒々しさを全く気にしていない。一方の大竹の碁を、川端は「暗く細かい悲観派」と評している。

 対局は次第に悲愴の色を帯びてくる。名人の肉体は衰えを隠せないが、大竹も目に見えて消耗していく。直感で打つ名人に対し、長考派の大竹は残り時間が少なくなってくる。それぞれの妻が対局場の温泉街に宿泊し、夫を間近で支えていた。〝絶対に負けられない闘い〟は家族を巻き込む総力戦の様相を呈してくる。

 セルフプロデュースというとあざとい印象もあるが、名人の自然児ぶりは謎めいている。心身は限界のはずなのに、対局後は関係者を将棋や麻雀に誘い、読みに没頭して長考する。時には大竹を誘って将棋に興じていた。ビリヤードや競馬も好む名人を、川端は業に根差した「勝負事の餓鬼」と表現している。

 勝負の岐路になったのは、大竹の121手目だった。美学に反する実利を追求した一着に、名人は「墨を塗られた」と怒ったが、後に「有効な手」と認めていたという。均衡は崩れ始め、川端は名人の敗着を「心理と生理の破綻」と表現していた。

 心地良い緊張感で、一気に読み切った。名人と呼ばれる人の体内には、凡人の与かり知らぬ濃密な空気が流れていることを知る。名人は決して悲劇の人ではなく、超然と生きた自由人ではなかったか。本作をきっかけに川端の他の作品にも触れていきたい。

 併せて伊坂幸太郎の「死神の精度」(文春文庫)を読んだ。映画「重力ピエロ」と「ゴールデンスランバー」は見たが、小説は初体験だった。阿部和重との共作「キャプテンサンダーボルト」に向けた予習の意味もあったが、深い考察と卓越した筆致の上に、物語が構築されていた。阿部とのコラボが楽しみになってきた。
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