酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「英雄の証明」~普遍性を追求したイラン映画

2022-04-11 22:47:22 | 映画、ドラマ
 別稿(3月24日)を<あしたNPBが開幕する。(中略)注目選手はロッテの佐々木朗希だ。ダルビッシュ級の声が本当なのか確かめたい>と締めた。佐々木の完全試合は衝撃だった。柔らかでしなやかなホームから投じられる160㌔超の直球と落差あるフォークの組み合わせで、19三振を奪いながら投球数は105……。解説者の言を待つまでもなく、同様の快挙を今シーズン中にも達成しそうな勢いだ。

 ロシアのウクライナ侵攻が世界の空気を変えつつある。原発ルネサンスと軍備増強を掲げ再選を目指す中道右派のマクロン大統領だが、1回目の投票で得票率は27・6%にとどまる。極右のルペンは23・4%、急進左派のメランジョンが21・95%だから、フランスの政治は〝健全な三極体制〟のようだ。ルペンとメランジョンはともに不公平に苦しむ中下流層に支持されている。決選投票でマクロンが負ける可能性もある。

 当ブログで繰り返しイラン映画を称賛してきた。新宿シネマカリテで先日、イランを代表する監督のひとり、アスガー・ファルハディの最新作「英雄の証明」(2021年)を見た。カンヌ映画祭でグランプリ(パルム・ドールに次ぐ第2席)に輝くなど、世界中で高い評価を受けた。

 ファルハディ監督作は「彼女が消えた浜辺」に次いで2度目だった。同作について、<欧米化された登場人物は一様に非イスラム的で、ストーリー的に必要とさえ思える祈りのシーンも、意識的? にカットされている>と当ブログで記した。既に出国し、英雄の証明」は国外で撮影したと思い込んでいたが、イラン・フランス合作だった。

 かつて確執を抱えていた当局とファルハディは和解していたようだ。検閲を逃れるために工夫を凝らし、寓意によって物語を神話の領域に飛翔させるというのが俺の勝手なイラン映画の解釈だったが、「英雄の証明」には当てはまらない。〝不自由な宗教国家〟イランの特殊性がテーマではなかった。

 主人公のラヒム・ソルタニ(アミル・ジャディディ)は刑務所に収監中だが、休暇を取って自宅に戻る……。そんなことが可能なはずがない。でも、イランでは許されていた。ラヒムが告訴されたのは借金問題で、解決すればすぐに釈放される。故郷に帰ったのも策を講じるためだった。ロケ地のシーラーズ(イラン南西部)で、遺跡の多い街である。ラヒムが冒頭で仮構のような建物を上っていくシーンが記憶に残っている。

 ラヒムが頼ったのは姉マリ(マルヤム・シャーダイ)と義兄ホセイン(アリレザ・ジャハンディデ)だ。親身になってくれる婚約者ファルコンデ(サハル・ゴルデュースト)がバッグを拾ったことでストーリーは急展開する。中には17枚の金貨が入っていた。ラヒムにとって負債を軽減するチャンスだったが、前妻の父バーラム(モーセン・タナバンデ)との示談交渉が決裂した。親族間の軋轢を収め埋められなかったラヒムは、ある決断をする。金貨を持ち主に返すことにしたのだ。

 ファルコンデ、そして吃音症の息子シアヴァシュとの再スタートにとって必要だったが、イスラム世界に生きる者が持つ倫理観、とりわけ男性がこだわる名誉に基づいて下した決断はSNSを通じて国中の話題になり、ラヒムは一躍〝正直者の囚人〟ともてはやされ英雄視される。慈善団体も寄付金を募り、順風満帆の未来が開けたように思えたが、悪意の書き込みがラヒムの足をすくっていく。

 国によって風景は異なるが、悪意の塊となったSNSの奔流に逆らうのは難しい。後半に進むにつれ、既視感を覚えた方もいたはずだ。この国で起きていることと同じだと……。「英雄の証明」は世界が直面している普遍性を追求している。〝イラン映画らしさ〟を感じたのはラストだ。ファルハディの「彼女が消えた浜辺」でも、〝オチ〟は見る側に委ねられていた。イラン映画独特の匂いに安堵した。
コメント
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