酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「親愛なる同志たちへ」~思想と愛の狭間で倒立する世界

2022-04-20 20:56:20 | 映画、ドラマ
 近くのスーパーへ行くと、セルフレジ導入で風景が一変していた。行きつけの松屋でもワンオペの時間帯が増え、調理、配膳だけでなく、ネット注文やウーバーにも対応する店員の働きぶりに感心させられる。同時に、省力化(人員削減)が業界の喫緊の課題であることを実感した。
 
 将棋名人戦第2局は2日目に後手の渡辺明名人が優位を拡大し、132手で斎藤慎太郎八段を押し切った。来年の名人挑戦者を争う順位戦の日程が決まる。羽生九段はB級1組での初戦、同じく降級した山崎隆之八段と指す。藤井聡太5冠は開幕戦で佐藤康光九段とで相まみえる。将棋連盟が新設した名古屋対局場のこけら落としは、愛知県出身の藤井戦か。若き天才棋士が及ぼす経済効果は計り知れない。

 ロシアのウクライナ侵攻、そして前稿のテーマは「ジョージ・オーウェル」……。この流れで今回は「親愛なる同志たちへ」(2020年、アンドレイ・コンチャロフスキー監督)を紹介する。84歳と高齢のコンチャロフスキーは、ハリウッドに移った時期もあったが、本作は国内で製作された。モノクロの映像が登場人物の心象風景を浮き彫りにする。

 前々稿で記した「英雄の証明」にも感じたが、権力と芸術の関係は一筋縄ではない。「親愛――」の背景はソ連時代に隠蔽された「ノボチェルカッスク事件」だったが、プーチン政権は上映を認めている。ノボチェルカッスク事件とはフルシチョフ政権下、ロシア南西部(ウクライナ国境沿い)の国営機関車工場で起きた大規模なストライキだ。

 本作は62年6月1日から3日間の物語で、不倫密会シーンから始まる。共産党市政委員会メンバーのリョーダ(ユリア・ビソツカヤ)は上司のコズロフ宅で逢引きしていた。父(セルゲイ・アーリッシュ)、娘スヴェッツカ(ユリア・ブロワ)が待つ家にいったん帰り、市場に向かう。そこでリョーダは苦しむ庶民と対照的に、共産党幹部の特権でたばこや贅沢品を手に入れる。
 
 スターリン批判(1956年)で世界を震撼させたフルシチョフだが62年当時、農業政策の失敗でソ連国内は深刻な経済危機に陥っていた。食料不足と物価上昇に起因する給与カットで国民の不安が広がり、機関車工場で工員が立ち上がる。共産党地区本部前に5000人もの労働者が集結した。一室で会議中だった委員会のメンバーはパニック状態に陥る。

 呆れてしまうのは会議の空虚さだ。報告事項に内実はなく、「共産党の方針通りに進捗しています」と事なかれ主義で進む。そこにストライキの一報が入り、<理想の国でこんなことが起きるはずがない>と建前論に終始し、地区の党書記、軍上層部にとどまらず、クレムリンからも中央委員がやってくる。

 興味深いのはリョーダと家族との会話だ。独ソ戦で祖国防衛に尽くしたリョーダはスターリンを今も信奉している。彼女にとってフルシチョフなど、死後にスターリンを批判しただけの臆病者に過ぎない。父はコサックにノスタルジーを抱いている。コサックとはウクライナ語で、ウクライナと南ロシアに存在した軍事的共同体で、父はその制服を着ている。コサックは帝政ロシアに近く、父は革命後のソ連に否定的だ。

 娘のスヴェッツカはスターリン死後の社会を満喫し、ソ連は民主主義国家だから、抗議しても捕まることはないと信じている。工場労働者にシンパシーを抱き、デモに加わっていることを直感したリョーダは娘を叱責する。自由を巡る母娘の考えは決定的だった。

 事態はデモ隊への無差別銃撃で一変する。リョーダは地区本部屋上に上がっていくKGB狙撃手を目撃した。軍は<国民に銃を向けない>という最低限のルールに縛られていたが、KGBは異なる。プーチン大統領がKGBの対外情報部員であったことを再認識する。リョーダ宅にスヴェッツカの捜索に現れたのはKGBのヴィクトル(アンドレイ・グセフ)だった。

 ヴィクトルはリョーダと同世代で、考え方は近いが脱力感に蝕まれている。リョーダは拡大会議で「デモ参加者には厳罰を」と主張し、上層部に高く評価された。だが、娘の安否を気遣い、お仕着せの思想は血の通った情に溶けていく。スヴェッツカの行方を捜すうちに、リョーダとヴィクトルの心にケミストリーが起き、世界が倒立する。車内で一緒に歌う曲が印象的だった。

 ウクライナ侵攻と言論統制にそのままリンクする本作に、ロシアの人たちはどのような感想を抱いたのか関心がある。ささやかな愛と絆に勝るものはなく、それを壊すのが戦争なのだから……。
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