NYタイムズやBBCなど海外メディアは、日本政府のコロナウイルスへの対応を批判している。ロンドン市長選の有力候補2人は、ロンドンが東京の代替地になる用意があると訴えた。<原発による汚染はコントロール下にある>という安倍首相の大嘘が開催の決め手になった東京五輪がコロナ蔓延で中止になる……。こんなドラスティックな展開もあり得ない話ではない。
ここ数日、熱発して咳が止まらない。まさかの不安が脳裏をよぎったが、食事、風邪薬、たっぷり睡眠の繰り返しで症状は少し治まった。断続的に見た夢に父が登場する。真夜中、細い一本道を父が運転する車に乗っていた。俺は10代半ば、父は40代半ばで、着いたのは教会だった。
入ったのは集団告解部屋なのか、ブラザーやシスターが和やかな雰囲気で人々に対応している。父の行方を尋ねると奥を指さされ、「君はここで」と言われた時に目が覚めた。当時の父の状況に思い当たる節がある。DNAを受け継いだ俺も〝罪に至らぬ愚行〟を繰り返してきた。カトリック信者ではないが、教会の門を叩いて告解し、すっきり召されるべきかもしれない。
米民主党大統領候補の討論会に参加したマイケル・ブルームバーグ元ニューヨーク市長が集中砲火を浴びた。日本円で400億円を優に超える巨額を投じて支持率をアップさせたブルームバーグだが、市長時代の人種差別的施策、女性蔑視を攻撃され、トランプ大統領に「小さなマイケルは大丈夫?」と同情されていた。スーパーチューズデーはいかなる結末を迎えるだろうか。
新宿シネマカリテで「オルジャスの白い馬」(2019年)を見た。日本とカザフスタン合作で、脚本も担当した竹葉リサとエルラン・ヌルムハンベトフ共同監督は異なった完成形を志向していた。世界観、習慣、映画製作の手法とリズムも異なるスタッフが文化に差を超えたことで、本作は高いレベルに到達する。
カイラートを演じた森山未來はカザフスタン人で、刑務所帰りという設定だ。カザフ語習得に苦労したことは想像に難くない。演技派として知られるが、俺が森山を見たのは連続ドラマW「煙霞」のみだ。ダブル主演はカンヌで主演女優賞に輝いたアイグリ役のサマル・イェスリャーモアで、揺れる心を巧みに表現していた。語り部の少年オルジャス(マディ・メナイダロフ)の目を通して物語は進行する。普遍的な性への目覚めなども描かれてきた。
本作が輝いた理由のひとつはキャスティングだ。オルジャス役にマディを選んだことで、物語のフレームは広がった。カイラートとオルジャスは〝馬の駅〟で互いの画才を褒め合う。表情といい、しぐさといい、DNAを共有していることは明らかだ。
育ての父は馬飼いで、仲間とともに馬とともに市に向かう。商談成立と思いきや、強盗団相手に非業の死を遂げた。直後に登場したカイラートは育ての父と旧知で、乗馬の技術から見て生業は似ているのだろう。アイグリは地域で疫病神扱いされるが、カイラートの帰還で装いは一変する。生活に疲れ果てた中年おばさん風が、燦めきを宿すようになる。
馬飼い父は市に向かう前、祈りを捧げる。「アーメン」とも「アッラー」ともつかぬ結びの句を聞き漏らしていた。1990年代、独立前後のカザフスタンが舞台だが、育ての父がキリスト教徒だとしたら、その死後、母がイスラム教コミュニティーから追放されるのは当然だ。
雄大な自然を背景に描かれたヒューマンドラマ……。この謳い文句は的を射ていない。「予告された殺人の記録」(ガルシア・マルケス著)を彷彿させる展開はマジックリアリズムに彩られた宿命的西部劇に映るし、イラン映画に魅せられた監督たちによる寓話ともいえる。森山は本作を日本の神話に重ねていた。
アルジャスは母だけでなく、2人の父と子猫、そして白い馬と形ある絆を紡いでいた。現実と幻想の境界を合わせ鏡に映すミステリアスなラストシーンの意味は、見る側の想像力に委ねられる。作品の後景にカザフスタンの美しい自然が広がっている。資源大国カザフスタンは今、中国との関係を強め<一帯一路>の核と位置付けられているようだ。