酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「ポゼッション」~神と悪魔の狭間でアンナは惑う

2020-02-03 21:24:38 | 映画、ドラマ
 NFLは大河ドラマで、スーパーボウルはちりばめられたストーリーの集大成といえる。大量得点、大量失点の魅力あるチーフスが、スーパーボウルを制した。第4Q中盤以降、3TDを奪い逆転勝利というドラマチックな展開である。俺はチーフスというより、〝悲劇の名将〟アンディ・リードHCの戴冠を願っていたから、満足いく結末だった。

 リードHCはショートパスを多用するウエストコースト・オフェンスの信奉者だが、NFLを熱心に見ていた頃、「保守的なリードは大試合に勝てない」と厳しい評価を耳にしたことがある。堅実と効率を重視してきたリード、規格外の天才QBマホームズ……。このアンビバレンツがケミストリーを生んだ。

 俺が初めて<パンデミック>という言葉を知ったのは11年前のこと。ETV特集「しのびよる破局のなかで」で、辺見庸は<金融危機、気候変動、新型インフルエンザ(2009年)の蔓延を単層ではないパンデミック>と捉えていた。〝預言〟は現在の世界にそのまま当てはまる。共同通信記者時代、共産党の機密文書スクープで中国当局から国外退去処分を受けた辺見は、新型肺炎の蔓延をどう捉えているのだろう。

 新宿シネマカリテで先日、「ポゼッション~40周年リマスター版」(1981年、アンジェイ・ズラウスキー監督)を観賞した。カンヌ映画祭でパルムドールにノミネートされるなど話題を集めた本作は、7年のタイムラグを経て88年に日本で公開された。32年ぶりに衝撃の映像と再会した。

 マルク(サム・ニール)は任務(恐らく諜報活動)を離れ、西ベルリンに帰ってきた。妻アンナ(イザベル・アジャーニ)は妙によそよそしい。壊れた夫婦の絆を描くサイコサスペンス、パラレルワールドで進行する不条理劇、そしてスパイアクション……。複層の構造で成立する本作を支えたのはアジャーニだ。憑依、狂気、無垢、アンニュイ、迸る感情を表現し、凍てつく緊張が途切れることはない。男では理解が及ばない〝女の生理〟に思いを馳せた。

 恋敵のハインリッヒ(ハインツ・ベネント)もアンナの全てを知っているわけではない。〝第三の男〟を疑ったマルクが調査を依頼した探偵は、想像を絶するシーンを目撃する。アンナがおぞましい異物と交わっていたのだ。俺は再度、本作を読み解くキーワードを探し始める。答えは<神と悪魔>だ。

 冒頭、ベルリンの壁の前に聳え立つ十字架が大写しになる。時系列は定かではないが、アンナが教会でキリスト像を見上げ、体をまさぐるシーンは、神との性的な繋がりを窺わせる。アンナは地下道で嘔吐する場面では流産が暗示されている。胎児の父はキリスト、それとも異物? マルクは息子ボブの担任教師ヘレン(アジャーニの2役)に惹かれるが、両者を個に潜む善と悪の表象と見做すことも可能だ。

 ポーランドを事実上追放されたズラウフスキーは母国の伝統を継承している。ブログに繰り返し記してきたが、<ポーランド映画には悪魔が登場する>……。「尼僧ヨアンナ」(1961年、イエジー・カヴァレロヴィッチ監督)は悪魔に憑かれた修道院が舞台で、「地下水道」(56年、アンジェイ・ワイダ監督)には、ポーランドの民主派を見捨てたソ連が悪魔だ。ズラウスキーには「悪魔」(72年)という作品がある。

 廃虚のような西ベルリンで展開するアンナの独り芝居は、実は現実ではなく、心象風景の投影のようにも思える。アンナと交わる異物は、彼女がつくり出した孤独、絶望、欲望のメタファーと捉えることも可能だが、考えれば考えるほど、本作から遠ざかっていく。

 40年前、世界は冷戦のまっただ中だった。「ポゼッション」が映し出す閉塞感は現在、晴れたのだろうか。何かに所有され、支配されているような感覚から逃れられない。何かとはAIに代表される技術かもしれない。
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