酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

茶会、将棋、WWE、クラシコ、「音速の彼方へ」~春の雑感あれこれ

2014-03-24 23:50:42 | カルチャー
 週末は知人に誘われ、「はな子夜茶会」(井の頭自然文化園)に足を運んだ。同園で飼育されている象のはな子の長寿(67歳)を祝うという趣旨で、はな子の絵を含む笛田亜希さんの作品展を本人の解説付きで鑑賞した後、茶会へという段取りである。

 風流と無縁の俺は、茶室を前に後ずさりする。今も週1回、整骨院で膝の治療を受ける身だが、知人に恥を掻かせたくない一心で正座する。耐えること10分、俺の表情に気付いた席主が「足を崩していいですよ」と声を掛けてくれた。

 正座を崩さないといえば棋士だ。NHK杯将棋トーナメント決勝は郷田真隆、丸山忠久両九段の組み合わせになる。大乱戦を制したのは郷田だが、感想戦や表彰式で見せた丸山の屈託ない笑顔が印象的だった。今回のNHK杯では大石直嗣六段と西川和宏四段がベスト4に残る。関西の若手の大健闘に、棋士の実力が紙一重であることを再認識した。

 〝知力・精神力・体力を総動員した格闘技〟として将棋を観戦しているが、必ずKOで勝敗が決する残酷なゲームでもある。相手がコンピューターだと勝手が違うのか、「将棋電王戦」で佐藤紳哉六段が敗れ、早くも人間がカド番に追い込まれた。第3局の豊島将之七段はA級棋士に引けを取らない若手のホープだ。彼が負けたら諦めもつく。

 スポーツへの関心は薄らいだが、WWEは熱心に視聴している。先日のRAWシカゴ公演は異様な雰囲気で進行した。当地出身のCMパンクはここ3年、WWEを牽引するレスラーだったが、1月末に急きょ退団する。会場に渦巻いていたのはCMパンクの不在を憤るチャントであり、ファンは最後まで圧倒的人気を誇るダニエル・ブライアンの名を連呼していた。

 「CMパンクになぜ納得いく役割を用意しなかったのか」「ブライアンはどうして王座戦に出場しないのか」……。この思いに駆られたファンは、団体がレッスルマニアの中心に据えようとしているオートン、バティスタ、シナに容赦のないブーイングを浴びせていた。

 かつてWWEは、ホーガンやフレアーらビッグネームを根こそぎ集めたWCWの前に断崖絶壁に追いつめられた。逆襲の立役者は、ビンス・マクマホンWWE会長が「あの男だけは別格」と繰り返し称賛するスティーブ・オースチンである。ファンの声をくみ取ったビンスは、アウトサイダーだったオースチンを前面に立て、WCWを崩壊させる。現在、ロッカールームを仕切っているHHH(ビンスの娘婿)は、自身がレスラーゆえエゴから逃れられないのかもしれない。

 政治では民衆の声が権力者に届かないケースは多いが、プロレスは客が絶対のエンターテインメントだ。ブライアンが引き起こした「イエス旋風」はスポーツ界だけでなくアメリカ社会全般に波及しつつある。WWE上層部はレッスルマニアに向け、大幅な軌道修正を準備しているはず……と信じたい。

 海外サッカーへの興味も失せているが、クラシコは別だ。試合開始前、サンチャゴ・ベルナベウでは、スアレス元首相の死を悼み、黙祷が捧げられた。フランコ死後、スペインの民主化に尽力した政治家という。クラシコは長年、<独裁VS自由>の代理戦争でもあった。過熱しそうという予感は的中し、小競り合いが何度も起きる荒れた試合になった。バルセロナがレアル・マドリードを4対3で下し、〝神の子〟メッシはハットトリックを達成した。うち2本はPKで、審判の判定も微妙だった。

 俺は初めてメッシを見た時、その佇まいに「誰かに似ている」と感じた。誰かがセナであることに先日、思い至る。「アイルトン・セナ~音速の彼方へ」(10年)を「ラッシュ」の予習として録画していたのだが、見る順番が逆になってしまった。

 F1について詳しくないが、セナとプロストがバトルを繰り広げていた頃、周りにつられてチャンネルを合わせていた。「音速の彼方へ」はセナの生涯を追ったドキュメンタリーで、鮮烈なF1デビューから死に至るまでを追っている。「ラッシュ」のハントとラウダは親友同士だったが、セナとプロストが葛藤を抱えていたことを知った。

 メッシは最近、〝おっさん顔〟になってきたが、元祖〝神の子〟セナは30歳を過ぎても少年特有の無垢と憂いを表情に湛えていた。本作では、同国人のFIA会長を動かすプロストの狡猾さと対照的に、政治に翻弄されたセナのレーサー人生が描かれている。だが、ラストには二つの救いが用意されていた。セナの死によって安全への意識が高まり、その後、レース中の死亡事故が起きていないこと。そして、姉が設立したアイルトン・セナ財団の管財人をプロストが務めていることだ。

 本作の白眉は、サンマリノGP決勝でのセナの映像だ。ガルシア・マルケスの小説風にいえば、「予告された悲劇の記録」と呼ぶべき一日である。セナは不安に苛まれており、事態は宿命的に粛々と進行していく。死の直前のオンボードカメラの映像も残されており、その数秒後、〝神の子〟は神の元に召された。世界中で多くの人々が悲嘆に暮れてから20年、俺の心にもようやく、セナの煌めきが鮮やかに刻み込まれた。
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