酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「アトミック・ボックス」~池澤夏樹が示す<原発≒原爆>

2014-03-21 16:05:46 | 読書
 安倍首相の靖国参拝、河野談話と村山談話の見直しは、アジアの安定を外交戦略の基本に置くオバマ政権にとって由々しき事態と映るのだろう。その意を受けたのか、自民党内の空気も変わりつつある。〝親米の総元締〟中曽根元首相も、「集団自衛権容認は慎重に」と釘を刺した。

 国際原子力機関(IAEA)が最も厳しい目を向けているのは、イランでも北朝鮮でもなく、プルトニウムの核兵器転用が可能な日本である。年間10㌧近いプトニウム製造を視野に入れた安倍政権のエネルギー基本計画は、アメリカにとっても脅威なのだ。

 東日本大震災の被災地で人道支援を行った米海兵隊員が、東京電力に対し集団訴訟を起こした。東電が放射能汚染の正確な情報を伝えなかったことを理由に挙げている。作業に加わった多くの隊員は帰国後、白血病、失明、出生異常といった深刻な病状に苦しんでいるという。<正確な情報を伝えなかった>のは東電ではなく、国と認定される可能性もある。

 池澤夏樹の新作「アトミック・ボックス」(毎日新聞社)を読了した。国産原爆プロジェクトに関わった宮本耕三と娘美汐を巡る物語で、エンターテインメント性が高いポリティカルサスペンスだった。

 「すばらしい新世界」で池澤は、原発の危険性と自然エネルギーへの転換を説いていた。自然と人間の調和、アイデンティティーの浸潤を志向する池澤は、俯瞰の視点で日本を見据えている。歴史認識も安倍首相と真逆で、「花を運ぶ妹」ではインドネシア、「カデナ」ではフィリピンと、アジア諸国における戦時中の日本軍の蛮行を告発している。

 辺見庸は<すべての表現は3・11以降、以前と別の形にならざるを得ない>と語ったが、その趣旨に沿って言葉を紡いだのが辺見自身と池澤だった。辺見は評論「瓦礫の中から言葉を」、詩集「眼の海」、小説「青い花」を発表し、池澤も評論「春を恨んだりしない」(11年)、小説「双頭の船」で3・11に向き合った。

 <撒き散らされた放射能の微粒子は身辺のどこかに潜んで、やがて誰かの身体に癌を引き起こす。(中略)この社会は死の因子を散布された。放射性物質はどこかでじっと待っている>……。

 「春を――」のこの記述は、「アトミック・ボックス」にテーマとして引き継がれている。

 末期がんの耕三は、死期を早めることを娘に頼む。美汐は父の最期の願いの意味を、託されたCDで知る。広島に投下された原爆による自身の胎内被曝を知る前に、耕三は国産原爆製造プロジェクト「あさぼらけ」に科学者として参加していた。CDに収録されていたのは、その間の経緯と成果だった。福島原発事故による放射能汚染を目の当たりに、耕三は罪の意識に苛まれる。身をもって<原発≒原爆>を理解していたからだ。

 耕三の死後、そして耕三が「あさぼらけ」に関わった80年代……。30年の時を行き来しながらストーリーは進行する。耕三は「あさぼらけ」解散後、瀬戸内海の島で漁師を生業に後半生を送る。結婚し、美汐が生まれた。世捨て人として暮らす間も公安警察の監視対象で、担当は郵便局員に化けた行田である。

 CDを保持して姿を消した美汐は、父殺害の容疑で指名手配されるが、大追跡を巧みに潜り抜ける。逃避行を支えたのは元恋人、幼馴染、そして村上水軍の反骨精神を受け継いだネットワークだ。ちなみに、上関原発建設反対運動を展開する祝島も、瀬戸内海に浮かぶ島である。宮本常一の方法論を受け継いだ美汐は、社会学者として孤島の老人たちに聞き取り調査していた。フィールドワークで得た絆が、美汐の逃亡を手助けする。

 「大和タイムス」は社名と異なりリベラルな新聞だ。記者の竹西は宮本一家と旧知の間柄で、家族、親戚、学生時代の友人まで動員し、美汐の東京行きに協力する。権力に逆らっても真実を伝えたいという信念を貫くメディアとして描かれている。

 原発をテーマにした小説といえば、高村薫の「神の火」だ。元原研技術者の島田、幼馴染の日野が原発を破壊し、世界を終末に導くドラスティックな結末だが、チェルノブイリで被曝した若きロシアの諜報員など、影を持つ登場人物が大阪を舞台に蠢いていた。日野の義弟である柳瀬は、北朝鮮からウラン濃縮技術を持ち帰った研究者という設定になっている。

 濃縮ウランを用いたヒロシマ型、プルトニウムを用いたナガサキ型……。原爆には二つの製造法があるが、「あさぼらけ」は後者を目指した。通称「ダガバジ」の失踪とアメリカからの圧力により「あさぼらけ」は解散するが、ダガバジの行き先は北朝鮮だった。設計図が北朝鮮に渡ったことを、美汐は「あさぼらけ」の統括者、二上から知らされる。

 真実が公表されたら、日本はどうなるか。「あさぼらけ」を企画し推進した大物政治家の大手は死の直前、美汐を病院に呼び寄せる。すべてを語り、面会直後に息を引き取る。明るみに出すべきか、封印するべきか……。美汐は<原発≒原爆>を理解した上で前者を選ぶ。

 原発と北朝鮮による拉致はどこかで繋がっているのではないか……。こんな疑問を当ブログで何度か記してきた。原発が次々に建設された日本海側では、激しい反対運動が起きていた。公安にとって要注意地域で、拉致がなぜ頻繁に起きたのだろう。この問いの答えは、まだ見つかっていない。

 二上も大手も捜査網を振り切った美汐に敬意を表し、ひとりの人間として対峙する。美汐に翻弄された行田の転身も、人間的で微笑ましい。原発と原爆、アメリカと日本、情報保持と公開、管理と自由……。対立項を示しながら、読後感は温かく柔らかい。上滑りではない絆を追求する池澤ワールドに、またも浸ってしまった。
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