酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「悪魔のような女」

2006-09-06 03:46:07 | 映画、ドラマ
 ルネ・クレール、マルセル・カルネ、ジャン・ルノワール、ジュリアン・デュヴィヴィエ、ジャン・コクトー、アンリ・ジョルジュ・クルーゾー……。錚々たる顔ぶれは<映画の公式>を確立したフランスの巨匠たちだ。

 それぞれに思い入れはあるが、個人的な一押しはクルーゾーだ。魔法のメガホンで人間の暗部を抉り出し、スクリーンに刻み付けてしまう。物語を寓話や神話の域に深化させるクルーゾーの術に、畏敬の念を抱くしかない。

 クルーゾーは「フィルムノワールの先駆者」と評されるが、エンターテインメント色も濃い。「恐怖の報酬」(52年)、「悪魔のような女」(55年)はともにハリウッドでリメークされたが、クルーゾー版に遠く及ばない。

 「密告」(43年)、「犯罪河岸」(47年)も必見だが、「情婦マノン」(48年)は男女の深淵に迫った究極の恋愛映画だ。別稿にも書いたが、「浮雲」(55年、成瀬巳喜男)は「情婦マノン」にインスパイアされたというのが俺の勝手な妄想である。

 NHK衛星第2で先日放映された「悪魔のような女」を二十数年ぶりに見た。シンプルながらどんでん返しが用意されたサスペンスで、ヒチコックのサイコスリラーのような味付けもある。興趣を削ぐので、内容の紹介は最低限にとどめたい。

 全寮制男子校の校長ミシェルは暴君として振る舞っているが、権力の源は病弱の妻クリスティナの財産である。女教師ニコルは彼の愛人だが、ミシェルの暴力に悩んでいた。ニコルはクリスティナにある計画を持ちかける……。

 クルーゾー作品において、子供たちは決して無垢ではない。虚言癖のあるモワネ少年を狂言回しに設定し、子供たちは大人と変わらず詮索好きだ。ちなみに原題は「悪魔のような女たち」と複数形だ。内容と一致するかは見てのお楽しみである。

 映画における「悪魔」は2通りある。第一は<内なる邪さ>を「悪魔」に喩えるパターンだ。一方、「尼僧ヨアンナ」などポーランド映画では、「悪魔」を外在的に捉え、<人間に憑き支配するもの>として描いている。ちなみに、本作の「悪魔」は前者である。

 ニュースを見る限り、「悪魔のような女」が日本でも増えている。魔女的佇まいの女性ロッカーに痺れた経験は多々あるが、「悪魔のような女」と身近に接したことはない。もっと残念なのは、「天使のような女」に出会っていないことだけれど……。
コメント (4)
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